歴史
直通運転は開業当初からこの路線を特徴づけた。1966年4月28日、国鉄中央本線荻窪駅までの直通が始まったが、当初は営団からの片乗り入れであった。同年10月1日に国鉄301系が東西線へ乗り入れることで相互直通運転となった。全線開業後、西側の直通区間は1969年4月8日に三鷹駅まで延長され、同日、東側でも国鉄総武本線津田沼駅への乗り入れが開始された。総武線方面の直通はラッシュ時を中心とする形に落ち着き、1972年10月2日からは津田沼駅までの相互直通運転がラッシュ時限定で運行されるようになった。1987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、中央線・総武線の直通先は東日本旅客鉄道(JR東日本)となった。該当する路線は中央・総武線(各駅停車)である。
ネットワークは1996年に二つ目の直通相手を得た。1996年4月27日、東葉高速鉄道が西船橋〜東葉勝田台間で東葉高速線を開業させ、同日に東西線との相互直通運転が始まった。東葉高速線は実質的に東西線の東方への延長として機能するが、東西線が直通サービスを提供する独立した民鉄事業者のままである。2004年には運営事業者自体の改組が行われ、4月1日に営団として知られた帝都高速度交通営団が東京地下鉄株式会社(東京メトロ)へと再編された。
こうして東西線は両端で直通運転を行う路線となった。西側(中野方)では列車が中央・総武線へ乗り入れて三鷹方面へ向かい、東側(西船橋方)では中央・総武線へ乗り入れて津田沼方面へ、あるいは東葉高速線へ乗り入れて東葉勝田台方面へ向かう。東西線は東京の地下鉄網で最も利用者の多い路線であり、2024年には1日平均約150万人を運んだ。東京都交通局が2018年に示した数値では、木場〜門前仲町間で最大199%の混雑率に達し、日本で最も混雑する鉄道路線とされた。三つの事業者にまたがって千葉県へ伸びる直通運転網は、相互に結ばれた東京の鉄道網の中でも特に利用の多い構成要素の一つとなっている。
運行形態
東西線は両端で直通運転を行う。西側では、JR東日本の中央・総武線(各駅停車)へ乗り入れて三鷹駅まで、深夜を除く終日運行される。東側では、東葉高速線へ乗り入れて東葉勝田台駅まで(終日)、または平日の朝夕ラッシュ時のみJR東日本の中央・総武線(各駅停車)へ乗り入れて津田沼駅まで運行される。ラッシュ時以外は、各駅停車が中央線へ、快速が東葉高速線へ直通する。
年表
- 19641964年12月23日、東西線の最初の区間である高田馬場〜九段下間(4.8km)が開業し、5000系電車での営業運転を開始した。なお同年10月27日に、5号線として計画されていた路線を「東西線」と呼称することが決定していた。
- 19661966年4月28日、国鉄中央本線荻窪駅までの直通運転が開始された。当初は営団からの片乗り入れであったが、同年10月1日に国鉄301系が東西線へ乗り入れて相互直通運転が始まった。これは東京の地下鉄が国鉄と直通した最初の事例であった。
- 19691969年3月29日、最後の区間である東陽町〜西船橋間(15.0km)が開業して全線が開通した。続く4月8日に、中央本線への直通区間が三鷹駅まで延長されるとともに、東側で国鉄総武本線津田沼駅への乗り入れが開始された。
- 1972英語版資料(rev 1354376640)では1972年4月8日に総武線への終日直通運転がラッシュ時限定に縮小されたと記録している。一方、日本語版資料(rev 109677804)は1972年10月2日を津田沼駅へのラッシュ時限定相互直通運転が正式に確立された日付として記している。これらは関連する二つの出来事、すなわち運転縮小と、その後のラッシュ時限定パターンの正式な整備・再編と捉えられる可能性が高い。
- 19871987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、中央線・総武線の直通先が東日本旅客鉄道(JR東日本)となった。
- 19961996年4月27日、東葉高速鉄道の東葉高速線(西船橋〜東葉勝田台間)が開業し、東西線との相互直通運転が始まった。東葉高速線は実質的に東西線の東方への延長として機能するが、独立した民鉄事業者のままである。
- 20042004年4月1日、帝都高速度交通営団(営団)が東京地下鉄株式会社(東京メトロ)へ改組され、東西線の運営事業者となった。
出典
事実確認日:2026年6月3日