歴史
飾磨と網干を結ぶ鉄道は、現在の路線が建設されるよりはるか以前から構想されていた。1927年(昭和2年)には播電鉄道がこうした路線の敷設を申請したが、当時の交通状態からその必要を認めないとして鉄道大臣に却下された。網干方面へ鉄道で到達するという構想は、その後さらに10年あまり眠ることとなった。
この路線は、運営会社の社名そのものと深く結びついている。「山陽電気鉄道」という名称は、宇治川電気時代の1928年に飾磨 - 岡山間の鉄道敷設免許を申請した際、別名義として初めて用いられたものである。この申請は、鉄道省が有年 - 赤穂 - 西大寺という競合ルートをすでに計画していたため却下された(このルートは戦後に赤穂線として開通した)。それでも相生・赤穂、さらには岡山市域方面へ西進するという構想は残り、網干線は一時、その壮大な計画の第一歩として位置づけられていた。
飾磨 - 赤穂間は鉄道省の計画線と競合しなかったため、その後も西への延伸が検討され続け、1936年には電鉄飾磨 - 相生(那波)間の鉄道敷設免許が改めて申請された。このうち電鉄飾磨 - 網干間については、日本製鐵の製鉄所建設の決定など急速な工場立地が進んだことから、その必要性に加えて緊急性が認められ、1937年に免許が交付された一方、残る網干 - 相生間は却下された。1937年5月25日に交付されたこの免許は、電鉄飾磨 - 網干間の動力瓦斯力の鉄道として記録されている。
電鉄飾磨 - 網干間の建設は、日米開戦の直前にあたる1940年10月から翌1941年7月にかけて順次進められた。最初の区間である電鉄飾磨 - 夢前川間が1940年10月15日に開業し、同年12月23日には日鉄前(仮)駅まで延伸された。1941年4月27日には電鉄天満駅まで達するとともに、仮駅が移設されて広畑駅に改称され、同年7月6日に電鉄天満 - 電鉄網干間が開業して全通した。建設予定地が土地区画整理事業区域に含まれていたため、その線形や工法をめぐる兵庫県との折衝に時間を要し、複線分の用地を確保したうえで単線として建設された。このため現在でも線内の全ての駅で列車交換が可能であり、ほぼ全区間にわたって複線分の用地が手当てされている。
網干以西への延伸計画が再び浮上したのは戦後のことである。1952年には、姫路市網干から赤穂市上仮屋に至る25.2キロメートルの鉄道敷設免許が交付された。前年には国鉄赤穂線の相生 - 播州赤穂間がすでに開業していたにもかかわらず並行する路線の免許が交付された背景には、燃料事情の極端な悪化によりバスなどの運行が困難であった当時の社会情勢があった。姫路市内の公民館に保管されている図面には、山陽網干駅の手前で分岐し、揖保川に沿って北西へ進んで竜野・相生を目指すルートが示されている。しかし揖保川への橋梁架設などの技術的困難や多額の建設資金、その後の急速な燃料事情の回復によって延伸の必然性が低下したため、計画はほどなく中断され、1971年秋の網干 - 相生間の免許失効をもって、網干以西への延長計画は消滅した。
1991年4月7日には、本線の山陽姫路方面へ直通していた列車が廃止され、同時に3つの駅が改称された。電鉄飾磨駅は飾磨駅に、電鉄天満駅は山陽天満駅に、電鉄網干駅は山陽網干駅となった。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では全線が不通となったが、翌1月18日には運転を再開した。1995年6月16日にはワンマン運転が始まったが、これは車内で運賃を収受しないいわゆる都市型ワンマンであるため、車両には運賃箱や運賃表示器は設置されていない。
近年も路線の近代化は続いている。2014年4月1日には山陽電気鉄道の全駅に駅ナンバリングが導入され、網干線の各駅にもSY系統の番号が付された。2016年5月17日には3両編成の6000系電車が新たに営業運転を開始し、2019年2月28日には長く当路線の主力であった3200形の運用が終了して、以後は日中の運用で少なくとも1運用を6000系が担うようになった。現在の網干線は飾磨 - 山陽網干間のみを完結して走る路線で、全列車が各駅に停車し、平日のラッシュ時は12分間隔、それ以外の時間帯は15分間隔で運行されている。
年表
- 1927播電鉄道が飾磨と網干を結ぶ鉄道の敷設を申請するが、当時の交通状態からその必要を認めないとして鉄道大臣に却下される。
- 19375月25日:電鉄飾磨 - 網干間の鉄道免許状が交付される(動力瓦斯力として記録)。日本製鐵の製鉄所建設決定などで緊急性が認められた。網干 - 相生間は却下。
- 194010月15日:最初の区間である電鉄飾磨 - 夢前川間が開業する。
- 194012月23日:夢前川 - 日鉄前(仮)駅間が延伸開業する。
- 19414月27日:日鉄前(仮)駅 - 電鉄天満駅間が開業。仮駅を移設し広畑駅に改称する。
- 19417月6日:電鉄天満 - 電鉄網干間が開業して全通する。
- 1952姫路市網干 - 赤穂市上仮屋間25.2kmの鉄道敷設免許が交付される(戦後の燃料事情を反映)。この路線は建設されなかった。
- 1971秋:網干 - 相生間の免許が失効し、網干以西への延長計画が消滅する。
- 19914月7日:本線の山陽姫路駅への直通列車が廃止される。電鉄飾磨駅・電鉄天満駅・電鉄網干駅を、それぞれ飾磨駅・山陽天満駅・山陽網干駅に改称する。
- 19951月17日:阪神・淡路大震災で全線が不通となる。翌1月18日に全線で運転を再開する。
- 19956月16日:ワンマン運転を開始する(運賃を車内収受しない都市型ワンマン)。
- 20144月1日:山陽電気鉄道の全駅に駅ナンバリングが導入され、網干線の各駅にもSY系統の番号が付される。
- 20165月17日:3両編成の6000系電車が新たに営業運転を開始する。
- 20192月28日:長く当路線の主力であった3200形の運用が終了する。以後、日中は少なくとも1運用を6000系が担う。
出典
事実確認日:2026年6月14日