JR線·約4分で読めます

会津鬼怒川線

Aizu Kinugawa Line

会津鬼怒川線(あいづきぬがわせん)は、栃木県・福島県両県が共同で出資する第三セクター鉄道である野岩鉄道が運営する営業キロ30.7キロメートルの鉄道路線で、同社唯一の路線である。栃木県日光市の新藤原駅を起点に、険しい山間部を北へ抜けて福島県南会津町の会津高原尾瀬口駅に至る。全線が単線で、直流1,500ボルトで電化され、軌間は1,067ミリメートルの狭軌である。路線名は北端の会津地方と南側の鬼怒川温泉地域を組み合わせたもので、愛称は「ほっとスパ・ライン」という。東武鬼怒川線の終点と会津鉄道会津線の終点を結ぶことで、東京と福島県会津地方を短絡するルートの一部を形成している。

日光市塩谷町5 km
会津鬼怒川線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

路線は栃木県と福島県の県境にある急峻な山間部を縫って走り、そのほとんどが日光国立公園内にある。起点の新藤原駅の標高は425.3メートル、終点の会津高原尾瀬口駅の標高は722.5メートル、最も高い位置にある男鹿高原駅の標高は759.7メートルである。日本鉄道建設公団により高規格な路線として建設されたため、ほとんどの区間がトンネル・高架・橋梁による直線で構成されており、トンネルは18、橋梁は64か所に及び、踏切は新藤原駅付近の1か所と両端駅の構内踏切を除いて存在しない。そのため全駅停車の列車でも全線の所要時間は約35分、表定速度は約50キロメートル毎時であり、平地の鉄道と変わらない高速運行が可能となっている。

路線の起源は、改正鉄道敷設法別表に掲げられた予定線にある。これは別表第33号「栃木縣今市ヨリ高德ヲ經テ福島縣田島ニ至ル鐵道」の一部であり、会津線・只見線などを介して東北本線と奥羽本線とを結び、山形県米沢市と茨城県古河市とを連絡する、より広域の野岩羽線構想の一区間として構想されたものである。予定線は1922年4月に別表へ登録され、1957年に調査線、1962年に工事線へと格上げされ、1964年に日本鉄道建設公団の工事線に指定された。

建設は、東武鬼怒川線と競合する今市 - 藤原間を除外したうえで、公団の野岩線として北側から進められた。滝ノ原 - 上三依間9.9キロメートルが1966年5月に認可されたのを皮切りに、1980年までに各区間が順次認可され、橋梁やトンネルを含むほとんどの鉄道施設が完成していた。その後、国鉄再建法により工事は凍結された。それでも鉄道の開通を目指す地元自治体などによって第三セクター方式での運営が決まり、設立された野岩鉄道が事業を引き継いだ。路線は非電化で建設されていたため、新藤原駅で東武鬼怒川線に接続し直通運転を行えるよう、追加で電化工事が実施された。

野岩鉄道株式会社は1981年11月20日に設立された。電化は1984年に運輸省・大蔵省より認められ、路線名「会津鬼怒川線」は1985年春に一般公募によって決定し、駅名は1985年8月に決まった。路線は1986年10月9日に新藤原 - 会津高原(現・会津高原尾瀬口)間30.7キロメートルが開業し、同日より東武鉄道との直通運転が始まった。開業初年度の輸送人員は61.1万人であった。

1990年10月12日には、会津鉄道会津線の会津高原 - 会津田島間の電化に伴い、同線との直通運転が始まり、列車は会津田島方面へと延びた。優等列車も年を追って変化し、1988年に座席指定制の快速急行が、1991年に急行「南会津」が設定されたのち、2005年に同急行は廃止され、これに代わって快速「AIZUマウントエクスプレス」が当線への直通運転を開始した。2006年3月18日には、沿線の多くの温泉地をPRするため愛称「ほっとスパ・ライン」の使用が始まり、中三依を中三依温泉、上三依塩原を上三依塩原温泉口、会津高原を会津高原尾瀬口とするなど、いくつかの駅が改称された。

路線は自然災害により二度大きく運休している。2011年3月14日には、東北地方太平洋沖地震に伴う計画停電の影響で、東武各線および会津鉄道会津線との相互直通運転が休止され、3月20日に再開された。次いで2015年9月10日には、関東・東北豪雨により東京電力の送電鉄塔が傾斜して停電が発生し、一部区間の線路に土砂が流入したことから全線が不通となった。運転は段階的に再開され、9月18日に新藤原 - 上三依塩原温泉口間で、9月19日には全線で(ただし北側区間は気動車により)再開され、最終的に2015年12月11日に上三依塩原温泉口 - 会津高原尾瀬口間の電車による運行が再開された。

2017年4月21日には、東武500系「リバティ」を用いる特急「リバティ会津」が、当線を介して浅草 - 会津田島間で運行を開始した。2022年3月12日のダイヤ改正では、観光需要の減少を受けて運行本数が上下各17本から10本に減便された。今日の会津鬼怒川線は圧倒的に観光・保養のための路線であり、利用客の大多数は東京都やその近郊から東武線を乗り継いで沿線の温泉や高原を訪れる定期外利用者で、通勤・通学定期の利用は極めて少ない。線内では普通列車が折り返し運転され、南側の東武鬼怒川線、北側の会津鉄道会津線との直通列車が引き続き当線を結んでいる。

年表

  • 19224月:当該ルート(野岩線)が改正鉄道敷設法別表の予定線として登録される。
  • 19644月:予定線は1957年に調査線、1962年に工事線となったのち、日本鉄道建設公団の工事線に指定される。
  • 19665月7日:最初の区間として、滝ノ原 - 上三依(現・上三依塩原温泉口)間9.9kmの工事が認可される。
  • 198111月20日:国鉄再建法により凍結された建設を引き継ぐため、第三セクターの野岩鉄道株式会社が設立される。
  • 19845月:非電化で建設された路線の電化が、運輸省・大蔵省より認められる。
  • 1985春:一般公募により路線名が「会津鬼怒川線」に決定。8月には駅名が決まる。
  • 198610月9日:新藤原 - 会津高原(現・会津高原尾瀬口)間30.7kmが開業。同日、東武鉄道との直通運転を開始。
  • 198810月19日:下野上三依駅を上三依塩原駅に改称。座席指定制の快速急行列車を新設。
  • 199010月12日:会津鉄道会津線の会津高原 - 会津田島間電化に伴い、同線との直通運転を開始。
  • 19917月21日:独自の急行料金を設定した急行「南会津」が新設される。
  • 20053月1日:急行「南会津」が廃止され、快速「AIZUマウントエクスプレス」が当線への直通運転を開始。
  • 20063月18日:路線愛称「ほっとスパ・ライン」の使用を開始し、会津高原を会津高原尾瀬口とするなど複数の駅を改称。
  • 20113月14日:東北地方太平洋沖地震に伴う計画停電の影響で、東武各線・会津鉄道会津線との相互直通運転を休止(3月20日再開)。
  • 20159月10日:関東・東北豪雨により全線不通となる。運転は段階的に再開され、北側区間の電車運行は12月11日に再開された。
  • 20174月21日:東武500系を用いる特急「リバティ会津」が、浅草 - 会津田島間で運行を開始。
  • 20223月12日:ダイヤ改正により、観光需要の減少を受けて運行本数を上下各17本から10本に減便。

出典