歴史
粟生線は何よりも山岳通勤路線である。神戸周辺の盆地から西側の山地へと登っていく途中、鈴蘭台駅 - 木津駅間には最急で50パーミル(1キロメートルにつき50メートルの上り)に達する勾配があり、曲線は最小で半径200メートルに及ぶ。こうした特徴は開業以来、車両や運転速度を規定し続けてきた。
この路線は神戸電鉄ではなく、別の事業者である三木電気鉄道株式会社によって始まった。同社は1936年6月29日に設立された。神戸地区と三木町を結ぶこの区間の鉄道免許は、それ以前の1928年に神戸有馬電気鉄道に下付されており、その敷設権が新設の三木電気鉄道へ譲渡された。1936年12月28日、同社は最初の区間である鈴蘭台駅 - 広野ゴルフ場前駅間を開業し、当初は気動車で営業した。
電化はほどなく続いた。全線が電化され、1937年4月15日に電車運転が始まった。同じ年の1937年12月28日には広野ゴルフ場前駅から三木方面へ東進し、三木に達する延伸区間が1938年1月28日に開業した。こうしてこの若い鉄道は、最初の列車から約2年のうちに、神戸西部で成長する住宅地と古い城下町である三木とを結んだ。
運営会社はその後数年のうちに合併と改称を重ねた。1947年1月9日、神戸有馬電気鉄道が三木電気鉄道を合併し、1949年4月30日にはこの統合された会社が神戸電気鉄道と名を改めた。この社名のもとで路線はついに現在の西端まで延伸される。三木 - 電鉄小野駅間が1951年12月28日に開業し、最後の区間である電鉄小野駅 - 粟生駅間が1952年4月10日に開業して全線が開通した。その後の数十年、鉄道は郊外の発展に対応するため路線を着実に改良していった。1966年の3両編成運転、1970年の西鈴蘭台駅の新設、1979年から1989年にかけての混雑する内側区間の複線化、1988年の60から70キロメートル毎時への速度引き上げ、そして2001年までに全線で4両編成の運転を可能とする工事である。
しかし1990年代後半から、粟生線は著しい衰退の時期に入った。1992年度に約1,420万人でピークを迎えた輸送人員は、2007年度には約743万人、2008年度には約729万人へと落ち込み、ピークのほぼ半分となった。沿線のニュータウンが高齢化し、住民が定年退職を迎え、少子化が通勤利用者の層を細らせたためである。路線は毎年赤字を計上し、2001年度以降は年間の赤字が10億円を超え、2006年度と2007年度には過去最悪の12億7000万円に達した。1998年度から2007年度までの10年間で、累積赤字は約102億円に上った。この赤字は路線の存続を公的な問題へと変え、2000年代半ば以降、兵庫県と沿線の自治体が補助金や一連の地域公共交通計画によって関与し、粟生線の運行維持を図ってきた。
年表
- 19287月4日:神戸有馬電気鉄道に対し、当該区間(武庫郡山田村 - 美嚢郡三木町間)の鉄道免許状が下付される。
- 19366月29日:路線建設のため三木電気鉄道株式会社が設立される。
- 193612月28日:三木電気鉄道により鈴蘭台駅 - 広野ゴルフ場前駅間が開業。気動車で営業を開始。
- 19374月15日:全線電化が完成し、同日より電車運転を開始。
- 19381月28日:広野ゴルフ場前駅から三木東口駅(1937年12月28日開業)を経て三木福有橋駅に至り、三木に到達。
- 19471月9日:神戸有馬電気鉄道が三木電気鉄道を合併し、神有三木電気鉄道に社名変更。
- 19494月30日:神戸電気鉄道に社名変更。
- 195112月28日:三木福有橋駅 - 電鉄小野駅間が開業。
- 19524月10日:電鉄小野駅 - 粟生駅間が開業し、全線が開通。
- 19706月5日:西鈴蘭台駅が開業。
- 198210月31日:西鈴蘭台駅 - 藍那駅間が複線化される。
- 19884月2日:ダイヤ改正に伴い、最高速度が60km/hから70km/hに引き上げられる。
- 19893月26日:川池信号所 - 木津駅 - 見津信号所間が複線化され、1979年からの木津 - 押部谷付近の段階的な複線化が完了。
- 20016月23日:恵比須駅 - 粟生駅間の設備改良工事が完成し、全線で4両編成列車の乗り入れが可能となる。
- 200311月30日:鈴蘭台駅 - 粟生駅間でワンマン運転を開始。
- 20183月4日:三木駅の下りホーム側駅舎が近隣火災の延焼で焼失。減便ダイヤを経て、9日に通常ダイヤへ復旧。
出典
事実確認日:2026年6月14日