歴史
この路線は、1923年6月18日に有馬電気鉄道という会社に対し、神戸から有馬町に至る路線の鉄道免許状が下付されたことに始まる。1924年6月1日にはこの事業は神戸有馬電気鉄道へと改称され、運営会社である神戸有馬電気鉄道株式会社は1926年3月27日に正式に設立された。その目的は、神戸の街から、神戸の背後の山あいに抱かれた、日本で最も古く名高い温泉町のひとつである有馬温泉まで路線を敷くことであった。
こうした鉄道を建設するということは、有馬を海沿いの街から隔てる六甲山地の急峻な斜面に立ち向かうことを意味し、路線は険しい山岳勾配に対応できるよう設計された。これは以後、同社の車両がつねにその前提のもとで設計されてきた、この路線を特徴づける性格である。全線は1928年11月28日に開業し、湊川から当時電鉄有馬と呼ばれた終点、すなわち現在の有馬温泉駅までを結んだ。それからわずか3週間ほど後の1928年12月18日には、同社は対をなす路線である三田線を、唐櫃(現在の有馬口)からさらに三田まで開業させ、ネットワークを山の向こうへと広げた。
開業からの数十年のあいだに、郊外の発展とともに途中駅が設けられ、また廃止されていった。鵯越と鈴蘭台の間にあった神有耶馬という駅は1939年2月15日に廃止され、有馬口 - 有馬温泉間には新有馬駅が設けられたが、のちに1965年に休止され、最終的に2013年2月28日に廃止された。路線のほぼ中間にある鈴蘭台は、ネットワークの主要な分岐点へと成長し、現在も粟生線が分かれていく地点となっている。
第二次世界大戦とその後の時期は、路線そのものよりも親会社のあり方を変えた。1947年1月9日に神戸有馬電気鉄道は三木電気鉄道を合併して神有三木電気鉄道へと改称し、1949年4月30日には神戸電気鉄道の社名を名乗った。同社はのちに今日日常的に用いられている社名を採用し、それによって神鉄として広く知られるようになった。現在は阪急阪神の持株グループの一員である。
路線は、神戸とその拡大する北部郊外との間で増加する通勤輸送に対応するため、段階的に改良されていった。山岳区間は1960年代半ばに段階的に複線化され、鈴蘭台 - 谷上間が1965年1月26日に、谷上 - 有馬口間が1966年3月1日に複線化されて、街から山を登る区間の隘路が緩和された。
この路線の歴史上最も深刻な混乱は、阪神・淡路大震災によってもたらされた。1995年1月17日、この地震により全線が不通となった。復旧はその後の数か月にわたって段階的に進められ、鈴蘭台 - 有馬口間が1月19日に、鈴蘭台 - 神鉄長田間が2月7日に、有馬口 - 有馬温泉間が3月31日に運転を再開し、1995年6月22日に神鉄長田 - 湊川間が再開して直通運転が回復し、全線が運行に復した。
今日、有馬線は神戸市中心部を北区と有馬温泉の温泉地に結ぶ、にぎやかな通勤の動脈となっている。街側の端ではほとんどすべての列車が神戸電鉄神戸高速線に直通して新開地との間を行き来し、有馬口ではほぼすべての列車が三田線の三田との間で直通運転を行う。有馬温泉そのものへの直通列車は主に朝夕のラッシュ時に限られ、それ以外の時間帯は有馬口と有馬温泉の間をシャトル列車が連絡している。三田線、そして分岐する粟生線とともに、この路線は今も神戸電鉄の屋台骨であり続けている。
年表
- 19236月18日:有馬電気鉄道に対し、神戸から有馬町に至る路線の鉄道免許状が下付される。
- 19246月1日:神戸有馬電気鉄道に名称変更。
- 19263月27日:神戸有馬電気鉄道株式会社が設立される。
- 192811月28日:有馬線全線(湊川 - 電鉄有馬〈現・有馬温泉〉)が開業。22.5km、軌間1,067mm、直流1,500V電化。
- 192812月18日:対をなす三田線(唐櫃〈現・有馬口〉 - 三田)が開業し、ネットワークを山の向こうへ延ばす。
- 19392月15日:鵯越 - 鈴蘭台間にあった神有耶馬駅が廃止される。
- 19471月9日:神戸有馬電気鉄道が三木電気鉄道を合併し、神有三木電気鉄道に社名変更。
- 19494月30日:神戸電気鉄道株式会社に社名変更。
- 19651月26日:鈴蘭台 - 谷上間が複線化される。
- 19663月1日:谷上 - 有馬口間が複線化され、街から山を登る区間の隘路が緩和される。
- 19951月17日:阪神・淡路大震災により全線が不通となる。
- 19951月19日~6月22日:段階的に復旧。鈴蘭台 - 有馬口(1/19)、鈴蘭台 - 神鉄長田(2/7)、有馬口 - 有馬温泉(3/31)と再開し、6月22日に神鉄長田 - 湊川が再開して全線開通。
- 20132月28日:新有馬駅(有馬口 - 有馬温泉間、1965年に休止)が廃止される。
出典
事実確認日:2026年6月14日