JR線·約3分で読めます

左沢線

Aterazawa Line

左沢線(あてらざわせん)は、山形県を走る営業キロ24.3キロメートルの地域鉄道路線で、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する。奥羽本線から分岐する北山形駅を起点に、最上川の谷沿いに西から北へ進み、大江町の左沢駅へと至る。軌間は1,067ミリメートルの狭軌で、全線が単線かつ非電化であり、ディーゼル気動車により最高速度85キロメートル毎時で運行される。路線は正式には北山形を起点とするが、すべての列車が奥羽本線を一駅先の県都・山形駅まで直通して発着する。沿線に広がる果樹地帯から「フルーツライン」の愛称で呼ばれている。

山形市山辺町5 km
左沢線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、軽便鉄道として国により建設された。最初の区間である山形 - 羽前長崎間12.9キロメートルは、1921年7月20日に左沢軽便線として開業した。同年12月11日には羽前長崎から寒河江まで、さらに4.4キロメートルが延伸開業し、沿線最大の町である寒河江に達した。

残る寒河江から左沢までの8.9キロメートルの区間は1922年4月23日に開業し、山形から左沢までの直通経路が全通した。1922年9月2日には路線が改められ、単に左沢線と改称された。1927年には奥羽本線の長距離列車が北山形に停車するようになり、支線が幹線と接続する分岐点としての機能が強まった。

開業からの数十年で、路線は地方の支線としての役割に落ち着いていった。1951年12月25日には、沿線に5つの新駅が一日のうちに開業して駅数が倍増し、鉄道が地域社会により近いものとなった。1958年4月1日からは蒸気けん引に代わって気動車が導入され、地域輸送が近代化されて所要時間が短縮された。

1982年には、より効率的な運行のために路線が近代化された。3月に列車集中制御装置(CTC)が導入されて北山形に制御センターが置かれ、同時に快速列車の運行も始まった。同年11月5日には全線の貨物営業が廃止され、純然たる旅客路線となった。1987年4月1日、この路線は全国の鉄道網とともに、国鉄分割民営化により日本国有鉄道から新たに発足した東日本旅客鉄道へと引き継がれた。

JR東日本のもとで、路線はさらに合理化された。1990年3月10日には全線でワンマン運転が始まり、左沢線営業所が発足した。1998年7月2日には線路名称上の区間が北山形 - 左沢間と改められ、左沢線の列車が引き続き山形まで直通する一方で、山形 - 北山形間を奥羽本線の一部として扱う従来の慣行が正式なものとなった。

この路線は、最上川流域を結ぶ単線の地方路線であり続けている。最上川に架かる弦のあるトラス橋である最上川橋梁は、2008年に土木学会選奨土木遺産に選定された。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の後には一時運転が見合わされたのち復旧した。近年もJR東日本は路線をより広い鉄道網へと組み込み続けており、2024年3月16日には北山形 - 寒河江間でSuicaの利用が始まった。今日の左沢線はキハ101形気動車によって運行され、主に山形・寒河江・左沢間の地域利用者を担っている。

年表

  • 19217月20日:最初の区間である山形 - 羽前長崎間(12.9km)が左沢軽便線として開業。
  • 192112月11日:羽前長崎 - 寒河江間(4.4km)を延伸開業。
  • 19224月23日:寒河江 - 左沢間(8.9km)を延伸開業し全通。
  • 19229月2日:山形 - 左沢間を左沢線と改称。
  • 19279月11日:北山形駅に奥羽本線の列車が停車を開始。
  • 195112月25日:5つの新駅が一日で開業し、駅数が倍増する。
  • 19584月1日:気動車による運行に置き換えられる。
  • 19823月:列車集中制御装置(CTC)が使用開始され(北山形にCTCセンター設置)、快速列車の運行も始まる。
  • 198211月5日:全線の貨物営業を廃止し、旅客専業の路線となる。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道が承継する。
  • 19903月10日:全線でワンマン運転を開始。左沢線営業所が発足する。
  • 19987月2日:線路名称上の区間を北山形 - 左沢間に変更。
  • 2008最上川橋梁が土木学会選奨土木遺産に選定される。
  • 20113月11日:東北地方太平洋沖地震の発生により全線で不通となり、のちに復旧する。
  • 20243月16日:北山形 - 寒河江間でSuicaのサービスが始まる。

出典