歴史
この路線は1925年に豊橋電気軌道によって開業した。最初の区間である駅前から神明を経て札木十字路までの0.8キロメートルと、神明から柳生橋までの支線1.1キロメートルが、1925年7月14日に営業を開始した。路線は同じ年のうちに東へと相次いで延伸され、7月21日に赤門前へ、そして12月25日には路線名の由来となる東田まで達した。
豊橋市街の多くと同様に、この軌道も1945年6月の空襲で大きな被害を受けて全線が不通となり、その後の数か月かけて復旧した。事業者は戦後に二度再編されており、豊橋電気軌道は1949年9月1日に豊橋交通となり、1954年7月22日に豊橋鉄道へと改称して、現在に至る名称となった。
路線の東端が現在の終点に達したのは1960年6月1日で、競輪場前停留場から赤岩口停留場までの1.2キロメートルが開業し、あわせて赤岩口に車庫が新設された。日本一急とされる半径11メートルのカーブが設けられたのも、この延伸区間の井原の分岐点である。
柳生橋支線は段階的に縮小されたのち廃止され、新川 - 柳生橋間の0.9キロメートルが1976年3月7日に廃止された。路線の最後の新規開業は1982年7月31日で、井原から運動公園前までの0.6キロメートルの支線が開業し、これは長崎電気軌道の延伸以来14年ぶりとなる日本での新たな路面電車の延伸とされた。
近年、路線は市街地側の端で改良されている。1998年2月19日には駅前停留場が約150メートル移設され、豊橋駅前のペデストリアンデッキの下に乗り入れて、電車が駅前広場に直接到達するようになった。2005年3月31日には、駅前と新川の間に駅前大通停留場が新設された。
その翌日の2005年4月1日、名鉄岐阜市内線と美濃町線が廃止されたことにより、東田本線は東海地方で唯一残る路面電車となった。今日この路線は、小規模ながらよく利用される都市の路面電車であり、他都市の路面電車から譲り受けた中古車両で運行され、豊橋市中心部を横断する主要な路面電車として役割を果たし続けている。
年表
- 19257月14日:豊橋電気軌道が最初の区間、駅前 - 神明 - 札木十字路間(0.8 km)と、神明 - 柳生橋間の支線(1.1 km)を開業。
- 19257月21日:札木十字路 - 赤門前間(1.1 km)が開業。
- 192512月25日:赤門前 - 東田間(1.2 km)が開業。東田は路線名の由来となる停留場。
- 19456月20日:豊橋空襲の被害により全線が不通となる。その後数か月かけて復旧。
- 19499月1日:豊橋電気軌道が豊橋交通に社名変更。
- 19547月22日:豊橋交通が豊橋鉄道に社名変更。現在に至る名称となる。
- 19606月1日:競輪場前 - 赤岩口間(1.2 km)が開業し、現在の東端の終点まで延伸。赤岩口に車庫を新設。日本一急とされる半径11mの井原カーブもこの延伸による。
- 19763月7日:柳生橋支線の新川 - 柳生橋間(0.9 km)が廃止。
- 19827月31日:井原 - 運動公園前間(0.6 km)が開業。長崎電気軌道の延伸以来14年ぶりの日本での路面電車新規開業とされる。
- 19982月19日:駅前停留場を約150m移設し、豊橋駅前のペデストリアンデッキ下に乗り入れ。
- 20053月31日:駅前と新川の間に駅前大通停留場が開業。
- 20054月1日:名鉄岐阜市内線・美濃町線の廃止により、東田本線が東海地方で唯一の路面電車となる。
出典
事実確認日:2026年6月14日