歴史
この路線は名鉄が建設したものではなく、尾張国西部の尾西地方にちなんで名づけられた独立企業、尾西鉄道(びさいてつどう)によって建設された。同社は1896年10月21日に鉄道免許状の下付を受け、1898年4月3日に最初の区間である弥富 - 津島間を開業した。この1898年の開業は、路線網としての名鉄の歴史がたどられる際の起点となる年である。
その最初の区間から、尾西鉄道は着実に北へと延伸していった。1899年2月17日に津島 - 森上間が、続いて同年7月18日に森上 - 萩原間が開業し、1900年1月24日には萩原から一ノ宮まで延伸されて、津島と発展しつつあった繊維のまち一宮が結ばれた。こうして路線は木曽川と尾張中心部との間の平野部を貫くようになり、当時は毛織物・繊維産業が盛んな地域を結んだ。
鉄道は次の十年でさらに拡張した。1914年8月4日には一宮の北側で玉ノ井・木曽川橋方面(木曽川沿い)への区間が開業し、1918年5月1日には木曽川橋からさらに川の港である木曽川港まで貨物専用の支線が開業した。これらの延伸により、この小さな会社は旅客の幹線に加えて貨物の積出口も得た。
電化は1920年代初頭に行われた。木曽川港 - 森上間が1922年に直流600ボルトで電化され、翌年には弥富まで架線が延ばされて、1923年11月28日に弥富 - 津島間が電化され全線の電化が完成した。このころ尾西鉄道は、近代的な名鉄を生み出した合併・統合の波の一部となっていた。1925年8月1日、同社は事業を名古屋鉄道に譲渡し、路線は尾西線となった。その後の企業再編を通じて、運営者の名称は名古屋鉄道から名岐鉄道へ、そして再び現在の名古屋鉄道へと移り変わった。
名鉄のもとで同線の電化方式は近代化された。1948年に弥富 - 津島間の電圧が600ボルトから直流1,500ボルトへ昇圧され、1952年にはこの高い電圧が路線の残りの区間にも拡大されて、より広い名鉄路線網と統一された。一方、貨物の役割は道路輸送の普及とともに衰え、川の港へ下る旧来の貨物線である玉ノ井 - 木曽川港間は1959年11月25日に廃止された。
戦後の数十年で輸送量が増えると、利用の多い南半分の一部には複線が敷かれた。津島 - 森上間の複線化は1967年から1974年にかけて行われ、工事は1967年12月の佐屋 - 津島間から始まった。これらの改良は、長距離路線ではなく通勤の支線としての同線の定着した役割を反映していた。
今日、尾西線は尾張平野を横断する普通・特急列車を運行し、津島と一宮を縫うように結んでいる。そして、1898年の尾西鉄道——日本第三位の規模を誇る私鉄路線網が育った種子——を今に伝える現役の路線であり続けている。
年表
- 189610月21日:尾西鉄道に鉄道免許状が下付される。
- 18984月3日:尾西鉄道が最初の区間である弥富 - 津島間を開業。現在の名鉄路線網で最も古い路線。
- 18992月17日:津島 - 森上間開業。7月18日:森上 - 萩原間開業。
- 19001月24日:萩原 - 一ノ宮間が開業し、一宮まで延伸。
- 19148月4日:一宮の北側、玉ノ井・木曽川橋方面へ延伸(木曽川橋は後に廃止)。
- 19185月1日:木曽川橋 - 木曽川港間の貨物線が開業。
- 19227月10日:木曽川港 - 森上間(新一宮 - 木曽川港間)が直流600Vで電化。
- 1923弥富まで電化が延伸。11月28日に弥富 - 津島間が電化され、全線の電化が完成。
- 19258月1日:尾西鉄道が事業を名古屋鉄道(名鉄)に譲渡し、尾西線となる。
- 1948弥富 - 津島間の電圧が600Vから直流1,500Vへ昇圧される。
- 1952直流1,500Vへの昇圧が路線の残りの区間にも拡大される。
- 195911月25日:玉ノ井 - 木曽川港間(旧貨物線)が廃止される。
- 196712月17日:佐屋 - 津島間が複線化。津島 - 森上間の1967年~1974年の複線化の一環。
出典
事実確認日:2026年6月14日