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知多新線

Chita New Line

知多新線(ちたしんせん)は、愛知県の知多半島を走る営業キロ13.9キロメートルの鉄道路線で、名古屋鉄道(名鉄)が所有・運営する。武豊町の富貴駅で名鉄河和線から分岐し、半島を横断して伊勢湾に面する西側の丘陵部を南下し、南知多町の内海駅に至る。内海駅は名鉄全線で最も南に位置する駅である。主に南知多の宅地・観光開発のために建設され、名鉄で「新線」を名乗る唯一の路線である。全線が単線で、踏切を避けるため高架を走り、名鉄の路線の中で最もトンネル数が多い(7か所)。

名古屋南知多町美浜町2 km
知多新線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

風光明媚だが人口の少ない半島南部へ鉄道を伸ばす試みは、路線そのものに先立って戦前から企図されていた。戦前には、愛知電気鉄道(名鉄の前身)が1912年8月に常滑から内海へ至る「内海線」の免許を取得し、地元資本が1913年5月に知多軽便鉄道を設立し、鉄道省も武豊線の延伸として師崎への測量を行った。しかし南知多は鉄道敷設に見合うほど人口密度が高くなく、産業も乏しかったため、昭和不況や太平洋戦争の戦況悪化もあって、いずれの案も実現せずに終わった。

戦後、半島北部は名古屋港や衣浦港を軸に工業化・宅地化が進んだ一方で、南部は自然の海岸線を残し、1958年には三河湾国定公園の一部に指定された。昭和30年代から南知多の開発に力を注ぎ、河和駅からバス連絡で観光客を輸送していた名鉄は、これを機に南知多への鉄道延伸を改めて企図した。分岐ルートは常滑駅延伸案、河和駅延伸案、河和線途中分岐案の3案が検討され、半島中央部の開発が期待できる途中分岐の『野間ルート』が採用され、半島西部では宅地造成に適する丘陵ルートが海岸ルートよりも選ばれた。

分岐地点そのものも計画段階で変遷した。1966年9月に申請し翌年に認可された当初の計画では、知多武豊駅と富貴駅の間に武豊信号所を設けて分岐する予定だったが、用地買収が難航したため、1968年12月に分岐地点は富貴駅に変更された。第1工区の富貴駅 - 別曽池間は1969年10月に施工認可が下り、1970年1月20日に富貴駅構内で起工式が挙行された。残る別曽池 - 内海間の施工認可は1971年6月に下りた。

建設は難しい地盤に悩まされた。深谷トンネルの掘削中に出水事故が起き、排水の目処が立たなかったため、工法を開削工法に切り替えて用地を追加買収し、同トンネルは予定より約6ヶ月遅れて1973年4月に開通した。最初の区間である富貴駅 - 上野間駅間は1974年6月30日に開業し、座席指定特急「ヤングビーチ号」が運転を開始した。その後路線は1駅ずつ南下し、1975年7月6日に知多奥田駅、1976年4月4日に野間駅まで延伸したが、この小刻みな延伸はオイルショックの影響もあったとされる。

内海への延伸は最も難航した区間となった。地元住民が海岸沿いの駅設置に反対したため、名鉄は折れて駅を内陸側の現在地に変更し、内海トンネルを一つ追加した。この駅の位置変更と末端部のルート変更は1979年5月に認可された。1978年6月には内海駅の建設工事中に、東海地方最古とされる先苅(まずかり)貝塚が発見され、発掘調査のため延伸がさらに遅れた。野間駅 - 内海駅間は1980年6月5日に開業して全通し、起工から実に10年を経て路線は完成した。

全通の頃には南知多を巡る情勢は大きく変わっていた。沿線の大半が市街化調整区域に指定されて宅地造成がほぼ不可能となり、美浜緑苑などわずかな開発に留まったほか、内海駅と同時に開業予定だった仮称・小野浦駅は未成駅となった。利用者数が予測を大きく下回ったため、名鉄は1977年に南知多開発局を設けて観光開発に転じ、1980年4月に南知多ビーチランド、1982年10月に内海フォレストパークを開園し、1984年には観光特急「パノラマDX」8800系を投入した。1983年に日本福祉大学が近くに移転して以降は、通学利用が路線の中心となっている。

その後も設備と運行の面で変化があった。1986年とその後に路線へCTC(列車集中制御装置)が拡大され、1986年3月に別曽池信号場が設置され、1987年4月24日には美浜緑苑駅が途中駅として開業した。2007年からトランパス、2011年からICカード「manaca」が使えるようになり、2023年3月18日にはワンマン運転に切り替わり、これに伴って上野間駅と野間駅の交換設備が使用停止となった。現在、知多新線は南知多町に乗り入れる唯一の鉄道であり、富貴駅で名古屋方面へ向かう河和線の列車に接続する線内折り返しの普通列車を中心に、朝夕を中心とした直通特急を残して運転している。

年表

  • 19669月5日:名鉄が武豊信号所 - 内海間の地方鉄道敷設免許を運輸省に申請。
  • 196712月14日:敷設免許が認可される。
  • 196910月:分岐地点を富貴駅に移したうえで(1968年12月に武豊信号所予定地から変更)、第1工区の富貴駅 - 別曽池間の施工が認可される。
  • 19701月20日:第1工区(富貴駅 - 別曽池3.1km)の起工式を富貴駅構内で挙行。
  • 19716月:別曽池 - 内海間の施工が認可され、同年8月に第2工区(別曽池 - 上野間間2.9km)が着工。
  • 19734月:出水事故で約6ヶ月遅れた深谷トンネルが竣工。
  • 19746月30日:富貴駅 - 上野間駅間が開業。座席指定特急「ヤングビーチ号」運転開始。
  • 19757月6日:上野間駅 - 知多奥田駅間が開業。
  • 19764月4日:知多奥田駅 - 野間駅間が開業。9月8日、台風17号の集中豪雨で不通となり、10日に復旧。
  • 19786月:内海駅建設工事中に、東海地方最古とされる先苅貝塚を発見し、延伸が遅れる。
  • 19795月11日:内海駅の位置変更とそれに伴う末端部のルート変更が認可される。
  • 19806月5日:野間駅 - 内海駅間が開業して全通。「ヤングビーチ号」を定期運用の「うつみ号」に変更。
  • 19863月18日:別曽池信号場が設置される(3月17日に富貴駅 - 別曽池間にCTC導入)。
  • 19874月24日:美浜緑苑駅が途中駅として開業。
  • 20112月11日:全駅でICカード「manaca」を導入(2007年にトランパスを導入)。
  • 20233月18日:ワンマン運転を開始。上野間駅と野間駅の2番線(交換設備)が使用停止となる。

出典