歴史
鉄道を建設したのは大雄山鉄道で、1921年6月14日に足柄下郡小田原町と足柄上郡南足柄村との間の蒸気動力による鉄道免許が下付されたのち、1922年6月2日に設立された会社である。路線は1925年10月15日、仮の終点である仮小田原と大雄山との間、約9.01キロメートルで開業した。開業時には7駅が営業しており、穴部駅はまだ工事中であったため、この日の運輸営業からは除外されていた。
新駅は相次いで追加された。穴部駅が1926年3月31日、飯田岡駅が1926年5月、井細田駅が1926年11月24日に開業した。1927年4月10日には小田原方で、仮の終点であった仮小田原から、現在の緑町付近にあたる新たな新小田原駅まで延伸され、鉄道は小田原中心部により近づいた。路線は当初から電化されていたが、電圧は控えめな600ボルトであった。
1933年、大雄山鉄道は、西武・プリンスホテルズグループの前身にあたる土地開発会社・箱根土地の経営傘下に入った。これが、この路線と西武陣営との長い結びつきの始まりである。小田原への便はさらに改善され、1935年6月14日に緑町駅が開業し、6月16日には緑町から小田原駅そのものまでの最後の短い区間が延伸されて、このとき相模広小路駅が廃止され、元の新小田原 - 緑町間も廃止された。こうして終点は仮小田原から新小田原、そして最終的に小田原へと段階的に移り、列車は国鉄と接続するようになった。
戦時下の統合は会社を再編した。1941年8月23日、大雄山鉄道は、県境を越えた静岡県側で駿豆線を運営していた駿豆鉄道に吸収合併され、両路線は一つの所有のもとに入った。この統合された会社は1957年6月1日に伊豆箱根鉄道へと改称され、これが今日この路線が名乗る社名となっている。その間の1956年8月13日には、傍らの写真フィルム工場にちなんで富士フイルム前駅が開業していた。
戦後の数十年は着実な近代化をもたらした。1973年1月17日には小田原で上り電車が止まり切れず、車止めを乗り越えてホームに達し、約50人が負傷する事故が起きた。1976年11月25日には架線電圧が600ボルトから1,500ボルトに昇圧され、1984年3月18日には5000系電車が運転を開始した。緑町駅付近に半径100メートルの急曲線があるため、車体長20メートルの大型車は入線できず、当線は17 - 18メートル級の短い車両で運行されており、全般検査などを要する車両は東海道本線経由で駿豆線の大場工場へ回送される。
現在、大雄山線は小田原 - 大雄山間で各駅停車のパターンダイヤを高頻度で運行しており、単線上の交換は途中の交換可能駅で行われる。2003年3月30日には小田原の新駅舎が開業して自動改札機の供用が始まり、2007年3月18日からはICカードのSuicaおよびPASMOが全駅で利用できるようになった。中小私鉄としては輸送量の多い通勤路線であり、毎年正月には最乗寺への参詣客のため終夜運転を行っている。
年表
- 19216月14日:足柄下郡小田原町と足柄上郡南足柄村との間の蒸気動力鉄道の免許状が下付される。
- 19226月2日:大雄山鉄道が設立される。
- 192510月15日:大雄山鉄道が仮小田原 - 大雄山間(約9.01km)を7駅で開業。穴部駅は工事中で除外。600V電化、軌間1,067mm。
- 1926穴部駅が3月31日、飯田岡駅が5月、井細田駅が11月24日に開業。
- 19274月10日:仮の終点・仮小田原から、現在の緑町付近の新小田原駅まで延伸開業。
- 1933大雄山鉄道が、西武・プリンスホテルズグループの前身である箱根土地の経営傘下に入る。
- 19356月14日:緑町駅開業。6月16日:緑町から小田原駅まで延伸開業し、相模広小路駅が廃止。
- 19418月23日:大雄山鉄道が駿豆鉄道に吸収合併され、大雄山線と駿豆線が一つの会社のもとに入る。
- 19568月13日:傍らの写真フィルム工場にちなみ、富士フイルム前駅が開業。
- 19576月1日:会社が伊豆箱根鉄道に改称される。
- 19731月17日:小田原で上り電車が止まり切れず車止めを乗り越えてホームに達し、約50人が負傷する事故。
- 197611月25日:架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧。
- 19843月18日:5000系電車が運転を開始。
- 20033月30日:小田原の新駅舎が開業し、自動改札機の供用を開始(大雄山駅でも供用開始)。
- 20073月18日:ICカードのSuicaおよびPASMOが全駅で利用可能となる。
出典
事実確認日:2026年6月14日