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鋼索線

Eizan Cable

鋼索線(こうさくせん)は、通称を叡山ケーブル(えいざんケーブル)といい、日本の京都府京都市左京区で京福電気鉄道が運営する全長1.3キロメートルのケーブルカー路線である。ケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅までを結び、京都市内から比叡山山頂へ至るルートの一部として比叡山の西斜面を登る。高低差は561メートルあり、ケーブルカーとしては日本最大である。

京都2 km
鋼索線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、比叡山の京都側における山岳交通の一環を成している。利用者は京都市中心部から叡山電鉄叡山本線で麓の起点駅に至り、ケーブルカーでケーブル比叡まで登り、さらに叡山ロープウェイで山頂方面へと向かう。鋼索線は、比叡山上の天台宗の古刹・延暦寺への西側からの参詣路として建設されたものである。同じ延暦寺へ東側から通じる、滋賀県側の坂本ケーブル(比叡山鉄道線)とはまったく別の路線である。

構造上は単線2両交走式のケーブルカーで、軌間1,067ミリメートル、全長1.3キロメートルにわたって2駅のみを結ぶ。勾配は非常に急で、最大勾配は530パーミル(約27度55分)、最小勾配は215パーミル、平均勾配は413パーミルである。この長さと急勾配の組み合わせによって561メートルの高低差が生まれ、国内で最も高低差の大きいケーブルカーとなっている。

この路線の鉄道免許は、旧愛宕郡八瀬村の青良谷から四明嶽までの区間について、1922年(大正11年)11月8日に下付された。路線は1925年(大正14年)12月20日に開業し、京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として建設・運営した。開業時は西塔橋(現在のケーブル八瀬)から四明ヶ嶽(現在のケーブル比叡)までを結んでいた。

戦時下の私鉄再編のなかで、鋼索線は京都電燈から分離され、前月に認可を受けたうえで、1942年(昭和17年)3月2日に新たに発足した京福電気鉄道へ譲渡された。多くの不要不急とされた山岳鉄道と同様、太平洋戦争による資材・労力の逼迫を受けて1944年(昭和19年)に休止され、終戦後の1946年(昭和21年)に運行を再開した。

この路線の2駅は、戦後の数十年のあいだに改称された。1965年(昭和40年)8月1日には、西塔橋駅が、当時山麓にあった八瀬遊園にちなんでケーブル八瀬遊園駅となり、四明ヶ嶽駅はケーブル比叡駅と改称された。2002年(平成14年)3月10日には、下の駅がケーブル八瀬遊園駅から現在のケーブル八瀬駅へと再び改称された。

現在、叡山ケーブルは平日には20分から30分間隔で運行され、所要時間は約9分で、土曜・休日や多客期には増便される。2006年12月以降は叡山ロープウェイとともに、例年12月初旬から春分の日の頃まで冬期運休するが、正月だけは例外として、延暦寺へ参詣する初詣客のために1月1日から3日まで特別運行する。在籍する2両の旅客車(1・2)は、1987年に武庫川車両工業で製造されたもので、スイス製の車台と日本製の車体に由来する旧来の車両の走り装置を流用している。

年表

  • 192211月8日:愛宕郡八瀬村の青良谷 - 四明嶽間の鉄道免許状が下付される。
  • 192512月20日:京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として、西塔橋(現・ケーブル八瀬) - 四明ヶ嶽(現・ケーブル比叡)間を開業。
  • 19423月2日:京福電気鉄道へ分離譲渡される(2月10日許可)。
  • 1944太平洋戦争下で休止される。
  • 1946終戦後、運行を再開する。
  • 19658月1日:西塔橋駅をケーブル八瀬遊園駅に、四明ヶ嶽駅をケーブル比叡駅に改称。
  • 20023月10日:ケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅に改称。

出典