歴史
この路線は公共鉄道としてではなく、工場専用線として始まった。1936年8月5日、富士に工業地帯を築く取り組みの一環として、日産重工業専用鉄道がこの地域で使用を開始した。公共鉄道としての営業は第二次世界大戦後に始まり、運営会社である岳南鉄道が段階的に路線を開業させた。最初の区間である鈴川駅(現在の吉原駅)から吉原本町駅までが、1949年11月18日に開業した。
岳南鉄道はその後の数年間で路線を東へと延伸した。吉原本町駅から当時の吉原駅(現在の本吉原駅)までの区間が1950年4月18日に開業し、続いて岳南富士岡駅までの区間が1951年12月20日に開業した。1953年1月20日には岳南富士岡駅から岳南江尾駅までの最後の区間が開業し、現在の路線長で全線が開通した。1956年4月10日には一連の駅名改称が行われ、鈴川駅が吉原駅に、それまでの吉原駅が本吉原駅に改称されて、現在の駅名の多くがこのとき定まった。
路線は1969年に近代化された。同年9月10日、架線電圧が600ボルトから現在の直流1,500ボルトに昇圧された。そのわずか3週間後の1969年9月30日には、吉原駅と左富士信号所の間で電車と貨車が衝突し、126人が負傷する事故が起きた。1980年代を通じて路線の余剰となった信号所が廃止され、ワンマン運転(運転士のみ乗務)が、1997年3月22日に一部列車で開始されたのを皮切りに、同年12月12日には全列車へと拡大された。
長く路線の収益の柱であった貨物輸送は、数十年かけて縮小されていった。須津駅 - 岳南江尾駅間の貨物営業は1984年2月1日に廃止され、長い衰退の末、路線に残る貨物列車の運行はすべて2012年3月17日に終了した。(英語版ウィキペディアは貨物終了を2012年3月16日としているが、ここでは日本語の出典に従い3月17日とする。)貨物の終了は、この路線を特徴づけてきた要素を取り除き、路線を純粋な旅客運営へと変えた。
最も大きな企業上の変化は2013年に訪れた。鉄道事業は富士急行グループの子会社である岳南鉄道によって運営されてきたが、2013年4月1日、路線の運営は岳南鉄道から、新たに設立された子会社である岳南電車株式会社(岳南電車)へと移管され、以後この会社が路線を運営している。この変更により、路線や駅はそのままに、鉄道事業が独立した会社へと分離された。
旅客時代の路線は、富士の工場群という立地を生かした観光に力を入れてきた。2014年7月18日には日本夜景遺産に認定され、路線から見える工場の灯り――工場夜景――が、昼間の富士山という背景とともに評価された。これらの眺めは、路線の短い距離や、吉原駅で東海道本線と接続することと相まって、この短い鉄道を鉄道ファンや観光客の目的地としている。
年表
- 19368月5日:富士に工業地帯を築く取り組みの一環として、日産重工業専用鉄道が使用を開始する。
- 194911月18日:岳南鉄道により鈴川駅(現・吉原駅) - 吉原本町駅間が開業。
- 19504月18日:吉原本町駅 - 吉原駅(現・本吉原駅)間が開業。
- 195112月20日:吉原駅(現・本吉原駅) - 岳南富士岡駅間が開業。
- 19531月20日:岳南富士岡駅 - 岳南江尾駅間が開業し、全線開通。
- 19564月10日:鈴川駅を吉原駅に、吉原駅を本吉原駅に改称。
- 19699月10日:架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 19699月30日:吉原駅 - 左富士信号所間で電車と貨車が衝突し、126人が重軽傷を負う。
- 19842月1日:須津 - 岳南江尾間の貨物営業廃止。
- 19973月22日に一部列車でワンマン運転を開始し、12月12日に全列車でワンマン運転を開始。
- 20123月17日:貨物列車の運行廃止。(英語版ウィキペディアは3月16日とするが、日本語出典に従い3月17日とする。)
- 20134月1日:路線の運営を岳南鉄道から岳南電車に移管。
- 20147月18日:日本夜景遺産に認定される。
出典
事実確認日:2026年6月14日