歴史
建設は岩国側から始められた。1929年4月5日に短い麻里布 - 岩国間が岩徳線として開業し、当時岩国と呼ばれていた駅(現在の西岩国)が営業を開始した。西側からも工事が始まると、1932年5月29日に岩徳西線が櫛ケ浜 - 周防花岡間で開業したのと同じ日に、既存の区間は岩徳東線と改称された。両側の区間はその後、丘陵を貫いて互いに向かって延伸され、西側の路線は1934年3月に高水へ達した。
その間隙は1934年12月1日に閉じられ、岩国 - 高水間が開業して経路は初めて全通した。この時点で全線が、岩国 - 櫛ケ浜間を結ぶより短い新たな幹線として山陽本線に編入され、柳井を経由する従来の海岸沿いの経路は格下げされて、分離のうえ柳井線と改称された。それから10年足らずの間、岩徳経由の経路が山陽本線の幹線輸送を担い、延長3,149メートルの欽明路トンネルとほか6本のトンネルで分水嶺を越えていた。
内陸の経路は幹線としては扱いにくいものであった。山陽本線の複線化が計画された際、岩徳経由の経路は勾配やカーブが多く、欽明路トンネルと並行してもう1本長大トンネルを掘らねばならないことから、拡幅は実際的でなかった。そのため複線化は、代わりに柳井を経由する元の海岸沿いの経路で実施された。1944年10月11日、海岸沿いの柳井線が山陽本線として復活し、岩国から櫛ケ浜までの内陸区間は再び分離されて正式に岩徳線となった——短い幹線時代を経て、以後ずっと変わらぬ支線へと戻ったのである。
日本国有鉄道のもとで、この路線は静かな地方輸送に落ち着いた。1956年4月16日にディーゼルカーが導入され、1960年11月1日に岩日線(現在の錦川鉄道錦川清流線)が川西から開業すると、当線に分岐ができた。蒸気機関車による牽引は1971年3月初めにディーゼル機関車・気動車に切り替えられて終わり、貨物営業はすべて1974年10月1日に廃止され、広島から制御する列車集中制御装置(CTC)が1982年3月10日に全線で使用開始された。
1987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、岩徳線は全線が新たに発足した西日本旅客鉄道に引き継がれ、以後同社が運営を続けている。JR西日本は1992年3月14日からほとんどの列車でワンマン運転を導入し、長年のうちにいくつかの新駅を加えて、当線は15駅を擁するに至った。
この路線には各駅に停車する普通列車のみが運行され、快速列車や特急列車などは設定されていない。2018年7月の豪雨により7月6日から全線で運転が見合わせとなり、岩国 - 周防高森間は8月20日に、残る周防高森 - 櫛ケ浜間は2018年9月22日に運転を再開した。その後、輸送密度は1日あたり2,000人未満と報告されており、岩徳線は今日、利用の少ない地方路線であって、JR西日本はその将来について沿線自治体との協議を提起している。
年表
- 19294月5日:麻里布 - 岩国間が岩徳線として開業。当時岩国と呼ばれた駅(現在の西岩国)が営業開始。
- 19325月29日:岩徳西線が櫛ケ浜 - 周防花岡間で開業。同日、既存の東側区間が岩徳東線と改称される。
- 19343月28日:西側の路線が周防花岡 - 高水間(11.0km)で延伸開業。
- 193412月1日:岩国 - 高水間が開業して全通。全線がより短い幹線として山陽本線に編入され、柳井経由の旧海岸線は分離されて柳井線となる。
- 19424月1日:麻里布駅が岩国駅に、従来の岩国駅が西岩国駅にそれぞれ改称される。
- 194410月11日:複線化された海岸沿いの柳井経由の経路が山陽本線として復活。岩国 - 櫛ケ浜間の内陸区間は再び分離され、正式に岩徳線(43.7km)となる。
- 19564月16日:当線でディーゼルカーの運行が始まる。
- 196011月1日:岩日線(現在の錦川鉄道錦川清流線)が川西から開業し、岩徳線に分岐ができる。
- 1971蒸気機関車牽引が(2月末に)終わり、3月1日からディーゼル機関車・気動車運転に切り替えられる。
- 197410月1日:当線の貨物営業がすべて廃止される。
- 19823月10日:広島から制御する列車集中制御装置(CTC)が全線で使用開始される。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)が岩徳線の全線を継承する。
- 19923月14日:JR西日本がほとんどの列車でワンマン運転を導入する。
- 2018平成30年7月豪雨により7月6日から全線運休。岩国 - 周防高森間は8月20日、周防高森 - 櫛ケ浜間は9月22日に運転を再開する。
- 20224月11日:JR西日本の路線収支公表で、岩徳線は輸送密度2,000人/日未満とされる。4月27日、同社は将来について沿線自治体との協議を求める。
出典
事実確認日:2026年6月14日