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鉄道線

Hakone Tozan Line

鉄道線(てつどうせん)は、神奈川県を走る営業キロ15.0キロメートルの山岳鉄道路線で、小田原から箱根の温泉・観光地を登って強羅までを結ぶ。運営するのは小田急グループの小田急箱根で、同社は接続する箱根登山ケーブルカー、箱根ロープウェイ、箱根観光船も運営している。一つの路線として案内されるが、実際には性格の異なる二つの区間からなる。下部の小田原-箱根湯本間は狭軌で小田急小田原線の直通列車のみが走り、上部の箱根湯本-強羅間は急勾配と急カーブのために標準軌で建設された登山区間で、乗客は箱根湯本で乗り換える。登山区間は約527メートルを登り、三か所のスイッチバックを持つ。その80パーミル(8%)の最急勾配は、鉄道事業法の適用を受ける日本の粘着式鉄道では最も急である。

箱根町2 km
鉄道線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

本路線の起源は馬車鉄道時代の前身にさかのぼる。小田原馬車鉄道は1888年10月1日に国府津駅から小田原を経て箱根湯本までの路線を開業した。同社は1896年に小田原電気鉄道と改称し、1900年に電気化されて直流600ボルトの軌道線として運転された。箱根の奥地へ登山鉄道を走らせる計画は1896年以降何度も検討されたが、具体化したのは1910年で、小田原電気鉄道が湯本から強羅への延伸を決定した。建設免許は1911年3月1日に交付されたが、「自然の景観を極力損なわないこと」という条件が付された。

路線の選定は難航した。当初は最急125パーミルのアプト式鉄道とする計画もあったが、1912年に主任技師長の半田貢をヨーロッパへ派遣し、長い区間に70パーミルの急勾配を持つスイスのベルニナ鉄道を視察させた。粘着式鉄道では125パーミルを登れないことが判明したため、ベルニナ鉄道を手本に、途中三か所にスイッチバックを設けた最急勾配80パーミルの粘着式鉄道として建設することになった。日本では前例のない急勾配の計画は1913年に鉄道院に認められた。なお、このベルニナ鉄道との縁から、1979年に箱根登山鉄道とレーティッシュ鉄道は姉妹鉄道提携を結んでいる。

建設は長期化し、費用も膨らんだ。1914年の第一次世界大戦勃発で資材や車両の輸入が途絶え、代わりにアメリカ製の車両を購入したほか、1916年の調査では宮ノ下-二ノ平間のトンネル掘削が温泉脈に悪影響を与えることが判明し、山肌に沿う遠回りのルートへの変更と小涌谷駅の新設を余儀なくされた。東海道本線の天竜川橋梁から払い下げたトラスを転用した早川橋梁は架設に約2年を要し、最も難航した工事とされる。着工から7年以上を経た1919年5月24日に全ての工事が完了し、同年6月1日に箱根湯本-強羅間で登山電車(直流600ボルト)の運行が開始された。

1923年9月1日の関東大震災で、鉄道線は甚大な被害を蒙った。軌道の大部分が崩壊または埋没し、建造物の半数近くが半壊し、軽微な損傷で済んだ早川橋梁を除いてほぼ全ての橋梁が破壊された。7両あった登山電車も全て脱線転覆または埋没したが、焼失した車両はなかった。復旧工事は1924年1月から行われ、区間ごとに順次運転を再開して同年12月28日に全区間が復旧した。1928年1月に小田原電気鉄道はいったん日本電力に合併された後、同年8月に再び箱根登山鉄道として分社化された。

その後の数十年で、路線は山を下って延伸し、広い鉄道網と結ばれた。1935年10月1日、鉄道線は小田原-強羅間で直通運転を開始した。これに先立ち、風祭からの軌道を改修し、半径30メートルの急曲線と80パーミルの急勾配で安全に2両連結運転を可能にするため、鉄道省の指導を仰いで特殊な連結器を開発した。これにより小田原-強羅間は最短50分で結ばれるようになった。同社は1948年6月1日に小田急グループに加わった。1950年8月1日には小田急電鉄の列車が新宿から箱根湯本まで直通し始めたが、小田急は1,067ミリの狭軌、登山線は1,435ミリの標準軌であったため、小田原-箱根湯本間に三線軌条が敷かれ、電圧も600ボルトから1,500ボルトに昇圧された。

観光客の増加(1991年には年間輸送人員が1千万人を超えた)を受けて、3両編成の登山電車を走らせる計画が進められた。これには各駅のホーム延伸(トンネルに挟まれた塔ノ沢駅の工事はほとんど手掘りだった)と、登山区間を600ボルトから750ボルトへ昇圧する必要があり、1993年7月14日から3両編成の運行が開始された。標準軌の登山車両は小田急の長い列車より輸送力が小さかったため、三線軌条による運行は次第に縮小され、2006年3月18日のダイヤ改正から小田原-箱根湯本間の列車は全て小田急車両となり、三線軌条の大半が撤去されて、車庫のある入生田-箱根湯本間の短い区間のみが三線軌条として残された。

近年、路線は災害と会社の再編の両方を経験した。2019年10月13日、令和元年東日本台風(台風19号)によって大平台-小涌谷間を中心に土砂流入や橋脚流失など甚大な被害を受け、箱根湯本-強羅間が長期不通となった。試運転は2020年7月9日に再開され、同年7月23日に約9か月ぶりに全線で運転を再開した。2024年4月1日、小田急箱根グループの会社再編に伴い、運行事業者が箱根登山鉄道から小田急箱根に社名変更され、1928年以来の「箱根登山鉄道」の社名が消滅したが、路線の愛称は「箱根登山電車」のままである。

年表

  • 188810月1日:当路線の軌道時代の前身となる小田原馬車鉄道が、国府津から小田原を経て箱根湯本までを開業。
  • 1900前身の軌道線(1896年に小田原電気鉄道と改称)が電気化され、直流600ボルトの軌道線として運転。
  • 19113月1日:湯本から強羅への登山鉄道建設の免許が交付。「自然の景観を極力損なわないこと」が条件とされた。
  • 19196月1日:5月24日の全工事完了を経て、箱根湯本-強羅間で登山電車(直流600ボルト)の運行を開始。
  • 19239月1日:関東大震災で鉄道線が甚大な被害を受け、早川橋梁を除くほぼ全橋梁と軌道の大部分が崩壊、7両の登山電車はすべて脱線転覆または埋没。
  • 19241月から復旧工事を進め、区間ごとに順次再開。最後の大平台-宮ノ下間は12月28日に復旧。
  • 19281月に小田原電気鉄道が日本電力に合併され、同年8月に箱根登山鉄道として分社化。
  • 193510月1日:小田原-強羅間で直通運転を開始。小田原-強羅間は最短50分となった。
  • 19486月1日:箱根登山鉄道が小田急グループに加わる。
  • 19508月1日:小田急電鉄が新宿-箱根湯本間の直通を開始。小田原-箱根湯本間は三線軌条化され、600ボルトから1,500ボルトに昇圧。
  • 19723月15日:二ノ平駅が、箱根彫刻の森美術館最寄りの彫刻の森駅に改称。
  • 19937月14日:箱根湯本-強羅間を600ボルトから750ボルトへ昇圧し、ホームを延伸して、3両編成の運行を開始。
  • 20063月18日:ダイヤ改正で小田原-箱根湯本間の列車が全て小田急車両となり、三線軌条の大半が撤去。車庫接続のため入生田-箱根湯本間のみ残された。
  • 20083月15日:小田急ロマンスカーの北千住への新規直通を開始。風祭駅の改良でドアカットも解消。
  • 201910月13日:令和元年東日本台風(台風19号)で甚大な被害を受け、箱根湯本-強羅間が長期不通となる。
  • 20207月23日:台風19号による不通から約9か月ぶりに全線で運転を再開(7月9日に試運転を再開)。
  • 20244月1日:運行事業者が箱根登山鉄道から小田急箱根に社名変更され、1928年以来の社名が消滅。

出典