歴史
この路線は、中国山地を越える計画をめぐる誘致合戦から生まれた。当初は私鉄の中国鉄道に免許が交付されたが、日露戦争後の景気低迷による資金難で計画は頓挫した。そこで鉄道院は、伯耆大山 - 根雨間を根雨線という名称で軽便鉄道として国費で建設することを決めた。その工事中に本格的な幹線連絡の計画が持ち上がり、倉敷の実業家・大原孫三郎の陳情活動によって山陽本線との分岐点は倉敷に定められ、1918年に伯備線と改称されて現在の経路で本格的な鉄道として建設されることとなった。
建設は南北両側から進められた。北側がまず伯備北線として1919年8月10日に伯耆溝口 - 伯耆大山間で開業し、その後、江尾(1922年)、根雨(1922年)、黒坂(1922年)、生山(1923年)、上石見(1924年)、足立(1926年)へと段階的に南へ延伸された。南側は1925年2月17日に伯備南線として倉敷 - 宍粟(現在の豪渓)間で開業し、美袋(1925年)、備中高梁(1926年)を経て、1927年7月31日に備中川面まで延びた。
南北の両線は1928年10月25日、備中川面 - 足立間の開業によって結ばれた。この日をもって伯備南線が新規開業区間と伯備北線を編入し、全線が伯備線と改称され、方谷・井倉・石蟹・新見・備中神代などの各駅が開業した。路線は簡素な丙線規格の地方鉄道として建設されており、当初は並行する木次線や芸備線よりも重要度の低い、ささやかな山越え路線とみなされていた。
この路線の運命を一変させたのが新幹線であった。山陽新幹線の新大阪 - 岡山間の先行開業が決まると、伯備線は岡山と米子・松江・出雲市方面を短絡する経路として整備されることとなった。同線を経由して岡山 - 出雲市間を走る特急「やくも」は、新幹線の岡山到達に合わせて1972年3月15日に運転を開始した。1970年代前半を通じて、経路の付け替えや複線化により路線は段階的に改良された。清音 - 備中高梁間は1968年から1973年にかけて、倉敷 - 清音間は1979年に複線化され、井倉 - 石蟹間は経路を短縮する線路の付け替えと合わせて1982年から1983年にかけて複線化された。CTC(列車集中制御装置)も1970年代前半に全線へ導入された。1972〜73年の蒸気機関車終焉までは、中国山地を越える区間でD51形蒸気機関車が石灰石列車を三重連で牽引することで知られ、布原信号場は全国から鉄道写真の愛好家が訪れる名所となっていた。
直流1,500ボルトによる電化は、1982年7月1日に倉敷 - 伯耆大山間の全線で、山陰本線の知井宮(現・西出雲)までと合わせて完成し、伯備線は陰陽連絡路線で最も早く電化された路線となった。「やくも」は電車運転に切り替えられ、振り子式の381系電車によって運行された。1987年4月1日の国鉄分割民営化により、当線はJR西日本に承継され、日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者として乗り入れ、布原信号場は布原駅となった。
JR西日本のもとでも改良は続いた。「やくも」の備中高梁以南での120キロメートル毎時運転は1990年に始まり、1998年7月1日からは新しい寝台特急「サンライズ出雲」の経路として当線が選ばれ、伯備線初の定期夜行列車、かつ東京からの初の定期直通列車となった。一方で自然災害による大きな運休も経験しており、2000年の鳥取県西部地震や、2018年7月の西日本豪雨では数日間にわたり運転が見合わされ、後者では同年8月1日に全線で運転を再開した。減便された時期を経て、「やくも」は2024年3月の改正で1日15往復に復帰し、2024年4月6日からは長年使われてきた381系に代わって新型の273系が順次導入された。今日でも伯備線は中国山地を越える各路線のうちで最も運転本数が多く設備の整った路線であり、「やくも」「サンライズ出雲」や貨物列車を地域輸送とともに担っているが、山中には今なお単線区間や急カーブが残っている。
年表
- 19198月10日:伯備北線 伯耆大山 - 伯耆溝口間(約11.3km)が開業。将来の路線の最初の区間。
- 1922伯備北線が江尾(3月25日)、根雨(7月30日)、黒坂(11月10日)へと南へ延伸される。
- 192412月6日:伯備北線が上石見に到達(1923年に生山まで延伸の後)。
- 19252月17日:伯備南線 倉敷 - 宍粟(現・豪渓)間が開業。5月17日に美袋まで延伸。
- 1926南線が備中高梁を経て木野山まで延伸(6月20日)、北線が足立まで到達(12月1日)。
- 19277月31日:伯備南線が木野山 - 備中川面間を延伸開業。
- 192810月25日:備中川面 - 足立間が開業して南北が接続。全線が伯備線と改称され、新見駅などが開業。
- 1968清音 - 備中高梁間の複線化が始まる(9月に清音 - 総社 - 豪渓間が複線化)。1973年まで続く。
- 19723月15日:山陽新幹線の岡山到達に合わせ特急「やくも」が運転開始。倉敷 - 新郷間にCTCを導入、D51三重連も最後の運転。
- 197910月9日:倉敷 - 清音間が複線化(3月に新見 - 布原信号場間の一部も複線化)。
- 19827月1日:倉敷 - 伯耆大山間の全線が直流1,500Vで電化(陰陽連絡路線で初の電化)。「やくも」が381系電車化。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継。JR貨物が第二種鉄道事業者となり、布原信号場が布原駅となる。
- 19903月10日:備中高梁以南で「やくも」の120km/h運転を開始。
- 19987月1日:新しい寝台特急「サンライズ出雲」が伯備線経由となり、当線初の定期夜行列車・東京からの初の定期直通列車となる。
- 20187月5日以降、西日本豪雨により全線で運転を見合わせ。8月1日に全線で運転再開(布原駅は8月27日)。
- 20243月のダイヤ改正で「やくも」が1日15往復に復帰し、4月6日から新型273系が長年の381系に代わり運行開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日