歴史
この路線は阪急ではなく、京阪電気鉄道傘下の新京阪鉄道によって生み出された。同社は、京都電燈が所有していた鉄道敷設免許を譲り受けていた。この免許は葛野郡松尾村から乙訓郡海印寺村までの区間を対象としたもので、1924年(大正13年)5月13日に京都電燈へ下付され、1927年(昭和2年)10月13日に鉄道敷設権が新京阪鉄道へ譲渡された。
新京阪鉄道は1928年(昭和3年)11月9日に桂駅―嵐山駅間の全線を開業させ、路線は複線で建設された。嵐山駅は6面5線の構造を持つ余裕のあるものだったが、需要は当初予想したほどには伸びなかった。1930年(昭和5年)9月15日に新京阪鉄道は京阪電気鉄道に合併され、このころ乗客の激減により、複線の片側だけを用いた単線運行となった。
戦時の企業統合によって、路線は阪急の傘下に入ることとなった。1943年(昭和18年)10月1日に京阪電気鉄道は阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄―のちの阪急―となり、以後同社の保有路線となった。1944年(昭和19年)1月には、太平洋戦争の戦局悪化に伴う物資の欠乏により金属供出の対象となって片方の線路が撤去され、現在まで続く単線となった。ただし、路盤や架線柱は今も複線分の幅があり、当初のもう一線分の橋台や橋桁が残る部分もある。
戦後、路線は現在見られるような小さな支線運行に落ち着いた。途中駅の松尾神社前駅は1948年(昭和23年)1月1日に松尾駅へ改称され、1950年(昭和25年)3月13日には途中の上桂駅と松尾駅に列車交換設備が設置され、単線区間での列車のすれ違いが再び可能となった。1965年(昭和40年)ごろを最後に、京都本線の河原町駅から嵐山駅まで直通していた普通列車が運行されなくなり、支線は次第に線内折り返しの列車のみを運行するようになった。
戦後の多くの期間、路線と広い鉄道網とを結ぶ主な連絡は、梅田駅(現:大阪梅田駅)からの季節の行楽用臨時急行だった。1982年(昭和57年)秋には桂駅の改造工事の影響でこの梅田―嵐山間の急行が休止され、代わりに梅田―桂間の臨時急行が一時設定された。また1984年(昭和59年)6月の桂駅の配線改造で、嵐山線の発着ホームが移された。1992年(平成4年)秋からこの行楽急行に「さがのエクスプレス」の愛称がつけられ、翌年の春には「嵯峨野エクスプレス」となったが、2000年(平成12年)11月26日を最後に運行を終了した。
21世紀に入り、路線は着実に近代化されている。2009年(平成21年)4月2日には、京都線の特急用だった6300系電車をリニューアルした4両編成が運行を開始し、2013年(平成25年)12月21日には松尾駅が松尾大社駅に改称され、全線で駅ナンバリングが導入された。2026年(令和8年)4月14日には8300系電車をリニューアルした4両編成の運行が始まり、阪急は2027年(令和9年)春頃に嵐山線でワンマン運転を開始すると発表している。現在、路線は通常は線内折り返しの普通列車のみを運行し、朝夕は毎時6往復、日中は毎時4往復で、通常は4両編成だが、行楽シーズンの土曜・休日や大文字五山送り火の日には6両編成が使用されたり増発されたりする。
年表
- 19245月13日:京都電燈に対し、葛野郡松尾村―乙訓郡海印寺村間の鉄道免許状が下付される。
- 192710月13日:鉄道敷設権が新京阪鉄道へ譲渡される(許可)。
- 192811月9日:新京阪鉄道により桂駅―嵐山駅間が複線で開業。
- 19309月15日:新京阪鉄道の京阪電気鉄道への合併により同社の路線となる。このころ乗客の激減により複線の片側だけを用いた単線運行となる。
- 194310月1日:京阪電気鉄道の阪神急行電鉄への合併により、京阪神急行電鉄(のちの阪急)の保有路線となる。
- 19441月9日:太平洋戦争の戦局悪化に伴う金属供出の対象となり片方の線路が撤去され、現在まで続く単線となる。
- 19481月1日:松尾神社前駅を松尾駅に改称。
- 19503月13日:上桂駅と松尾駅に列車交換設備を設置。
- 1965このごろを最後に、京都本線から直通する河原町駅―嵐山駅間の普通列車が運行されなくなる。
- 1992秋:梅田駅―嵐山駅間の行楽臨時急行に「さがのエクスプレス」の愛称がつく(翌年春から「嵯峨野エクスプレス」)。
- 200011月26日:臨時急行「嵯峨野エクスプレス」が運行を終了。
- 20094月2日:京都線特急用だった6300系電車をリニューアルした4両編成の運行を開始。
- 201312月21日:松尾駅を松尾大社駅に改称し、同時に全駅に駅ナンバリングを導入。
- 20264月14日:8300系電車をリニューアルした4両編成の運行を開始。
- 2027春頃(予定):ワンマン運転を開始する予定。
出典
事実確認日:2026年6月14日