歴史
この路線は、東京圏の新しい空港を建設するという長く紛糾した事業から生まれた。1966年7月に政府が新東京国際空港(現・成田国際空港)を成田市三里塚に建設することを決定すると、京成は空港へのアクセス輸送に乗り出した。同社は1968年12月に京成成田駅と空港の駅とを結ぶ地方鉄道敷設免許を申請し、1969年11月にこれを取得した。建設工事は1970年11月に着手され、突貫工事により1972年11月に総建設費約135億円で鉄道側の設備は完成したが、開業は待たねばならなかった。空港そのものへの激しい反対運動——成田空港問題および三里塚闘争として知られる出来事——が空港の開港を、ひいては鉄道の開業を繰り返し遅らせたのである。
路線はようやく1978年5月21日、新空港が開港した翌日であり、定期航空便が就航した日に開業した。当時この経路は単に京成本線の一部であり、京成成田駅から初代の成田空港駅までを結んで、同社の空港アクセス輸送を担っていた。当時の空港駅は旅客ターミナルからやや離れた位置にあったものの、この鉄道連絡は都心と新たな玄関口とを結ぶ京成の取り組みの中心であり、開業時より通常運賃に上乗せされる加算運賃が設定されていた。
路線の役割は1991年に大きく変わった。中止された成田新幹線の計画用地を活用して、空港の旅客ターミナルまで達する新線が建設され、1991年3月19日、駒井野信号場と新たな二代目の成田空港駅とを結ぶ成田空港高速鉄道の区間が本線の一部として開業した。初代の成田空港駅は東成田駅に改称され、京成成田駅から東成田駅までの区間は東成田線と改められた。これ以降、空港への本線の経路を担うのは旧線ではなく新線となった。本線との実際の分岐点は駒井野信号場であるため、京成成田駅 - 駒井野信号場間——路線の7.1キロメートルのうち約6.0キロメートル——は両経路が共用する重複区間となっている。
空港輸送が新線へ移ると、東成田線は今日まで続く周縁的な地位に落ち着き、その路線名は旅客向けの案内からほとんど姿を消した。京成の時刻表や公式サイトでも、独立した路線としてではなく本線の一部として扱われるのが通例である。利用は低迷したままで、路線の営業係数は500を超えており、これは日本の大手私鉄の中でも最も儲からない路線のひとつであることを示す数字である。また開業時に設定された加算運賃は、開業から45年が経過した2022年度時点でも、本来想定された費用のわずか9.1パーセントしか回収できていない。
新たな役割は2002年に訪れた。同年10月27日、東成田の先で芝山鉄道線が開業し、東成田線は同線との直通運転を開始して、新しい第三セクター鉄道を京成本線、さらに都心方面への広域的な直通運転網へと結びつけた。東成田線そのものにおいて、京成は空港延伸区間やのちの成田スカイアクセス線とは異なり、施設を保有し列車も運行する、いわゆる第一種鉄道事業者であり続けている。
現在の東成田線の運行はささやかなもので、1時間に1 - 2本程度、ラッシュ時でも3本程度にとどまり、その多くが芝山鉄道線へ直通している。2022年11月26日には京成が日中時間帯の列車にワンマン運転を導入し、それまで平日のみだった4両編成の列車が休日にも運行されるようになった。静かで利用の少ないこの路線は、空港の難産を物語る歴史の遺物として——自らが運ぶべく建設された当の空港輸送に追い越された、成田への最初の鉄道アプローチとして——今に残っている。
年表
- 19667月:政府が新東京国際空港(現・成田国際空港)を成田市三里塚に建設することを決定。
- 196812月:京成が京成成田駅 - 成田空港駅間の地方鉄道敷設免許を申請。
- 196911月:京成成田駅 - 成田空港駅間の地方鉄道敷設免許を取得。
- 197011月:建設工事に着手。
- 197211月:突貫工事により鉄道側の設備が総建設費約135億円で完成するが、空港反対運動により開業は遅延。
- 19785月21日:空港開港の翌日に京成成田駅 - 成田空港駅(初代)間が開業。この時点では京成本線の一部であった。
- 19913月19日:成田空港駅(初代)を東成田駅に改称。成田新幹線用地を活用した本線 駒井野信号場 - 成田空港駅(2代)間の開業に伴い、京成成田駅 - 東成田駅間を東成田線とする。
- 200210月27日:芝山鉄道線が開業し、東成田線は同線との相互直通運転を開始。
- 202211月26日:日中時間帯の列車でワンマン運転を開始。平日のみだった4両編成の列車が休日にも運行されるようになる。
出典
事実確認日:2026年6月14日