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北条線

Hōjō Line

北条線(ほうじょうせん)は、兵庫県を走る営業キロ13.6キロメートルの鉄道路線で、第三セクターの北条鉄道が運営し、小野市の粟生駅から加西市の北条町駅までを結ぶ。軌間1,067ミリメートルの狭軌・単線の非電化路線で、沿線には8つの駅がある。加西市南部の田園地帯を横切り、市の中心地である北条町と、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線および神戸電鉄粟生線に接続する粟生とを結んでいる。かつては日本国有鉄道の路線であったが、1985年に第三セクターによる運営へと転換された。

神戸加西市2 km
北条線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は国ではなく播州鉄道によって建設され、粟生駅 - 北条町駅間(8.5マイル、約13.68キロメートル)が1915年3月3日に開業した。開業後の数年間にはいくつかの途中駅が追加され、1916年に横田村停留場、1917年に播鉄王子駅(現在の播磨下里駅)、1919年には網引駅 - 法華口駅間に初代の田原駅が設けられた。1922年には鉄道敷設法別表第83号により延伸予定線が設定されたが、これは実現しなかった。

小さな鉄道がより大きな会社に吸収されるなかで、路線の経営は移り変わっていった。1923年12月21日に路線は播丹鉄道に譲渡され、同社は1930年に営業距離の表記をマイルからメートルへと改めた。そして1943年6月1日、播丹鉄道は他の路線とともに国有化され、この路線は北条線という名称の国有鉄道となった。

この路線では、戦時中に重大な事故が起きている。1945年3月31日、試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「紫電改」(川西N1K)が故障のため網引駅 - 法華口駅間に不時着して線路がずれ、直後に来た上り旅客列車が脱線転覆した。北条線列車脱線転覆事故と呼ばれるこの事故では、12人が死亡し、104人が負傷した。

戦後の数十年間に、路線は駅の追加と縮小の双方を経験した。1952年には2代目の田原駅が開業し、1961年には播磨横田駅が、まず仮乗降場として、次いで同年12月20日からは正式な駅として加えられた。一方で、貨物営業は1974年10月1日に廃止され、路線は旅客専用となった。

利用の少ない多くの地方路線と同じく、北条線も日本国有鉄道の合理化に巻き込まれた。1981年9月、輸送量が国鉄路線として維持するには少なすぎると判断された特定地方交通線の第1次廃止対象として、廃止が承認された。しかし路線を廃止するのではなく、1984年5月に第三セクター鉄道への転換が決定され、1985年4月1日に運営は新たに設立された北条鉄道へと引き継がれた。これが現在も続く運営体制である。

北条鉄道のもとで、単線である路線はその中間地点に新たな機能を得た。2020年に法華口駅で列車交換設備が完成し、同年9月1日のダイヤ改正により平日に計5往復が増発された。この交換設備では、運転士が駅のICカードリーダーにタッチすることで信号を開通させる方式が用いられている。2026年4月1日からは、この路線でICOCAが利用できるようになる予定である。

年表

  • 19153月3日:播州鉄道が粟生駅 - 北条町駅間(8.5マイル、約13.68キロメートル)を開業。
  • 19178月14日:播鉄王子駅(現・播磨下里駅)が開業。
  • 191912月22日:網引駅 - 法華口駅間に田原駅(初代)が開業。
  • 192312月21日:路線が播丹鉄道に譲渡される。
  • 19304月1日:播丹鉄道が営業距離をマイル表記からメートル表記に変更。
  • 19436月1日:播丹鉄道が他の路線とともに国有化され、北条線となる。
  • 19453月31日:試験飛行中の日本海軍の戦闘機「紫電改」(川西N1K)が故障のため網引駅 - 法華口駅間に不時着して線路がずれ、直後の上り旅客列車が脱線転覆。12人死亡、104人負傷(北条線列車脱線転覆事故)。
  • 19522月18日:田原駅(2代目)が開業。
  • 196112月20日:横田仮乗降場を駅に変更し、播磨横田駅が開業(同年10月1日に仮乗降場として開設)。
  • 197410月1日:貨物営業を廃止。
  • 19819月18日:特定地方交通線第1次廃止対象として廃止が承認される。
  • 19845月25日:第三セクター鉄道への転換が決定される。
  • 19854月1日:運営が北条鉄道に転換され、現在の体制が始まる。
  • 2020法華口駅に列車交換設備が完成。9月1日のダイヤ改正で平日に計5往復が増発される。
  • 20264月1日:北条鉄道でICOCAの利用が開始される予定。

出典