歴史
函館の軌道は電気ではなく馬から始まった。1897年(明治30年)、民営の亀函馬車鉄道が市内初の軌道路線を開業し、その後この事業は数度にわたり所有者を変えた。1911年(明治44年)10月には、後に電化を実施することになる電力会社・函館水電が、この馬車鉄道事業を買収した。
電化は1913年(大正2年)に実現した。同年6月29日に東雲町 - 湯川間が電化され、これは北海道初の路面電車であった。同年10月31日には弁天町 - 十字街 - 東雲町間も電化された。十字街付近にあたる現在の宝来・谷地頭線の北側部分は、この最初の電気運転の時期にさかのぼる。南側の区間は翌年に加わり、1914年(大正3年)5月1日に宝来町 - 谷地頭間が開業し、同年10月31日までに函館の全線で電気運転が行われるようになった。
路線上の停留場はそれぞれに古い歴史を持つ。現在の宝来町停留場は、1913年6月17日に異なる字(蓬莱町)の名で開業し、1936年9月15日に移設され、その際に東雲線の分岐駅ともなった。そして1965年7月1日に現在の表記の宝来町停留場へと改称された。南の終点である谷地頭は1913年に開業し、現在も当システムで最も番号の若い、最南端の停留場であり続けている。
1930年代には、この路線網を災害が襲った。1934年(昭和9年)3月21日の函館大火により、48両の電車が新川車庫とともに焼失し、運行に必要な諸設備の多くも失われた。運行は1週間ほどで一部再開され、同月末までに全線が復旧した。その後、大火で失われた車庫の代替施設が建設された。
市営化は第二次世界大戦中に実現した。さらなる所有者の変遷を経て、1943年(昭和18年)11月1日に路線は函館市へと譲渡され、市電(および2003年までは市営バス)を運営する函館市交通局が発足した。1970年代以降、利用者の減少により市は路線網の縮小を迫られ、1978年・1992年・1993年に各区間が廃止された。宝来町で分岐していた東雲線もその一つで、1992年4月1日に廃止された。
今日、宝来・谷地頭線は、総延長わずか10.9キロメートル・26停留場という路線網の中で、小さいながらもよく使われる支線として残っている。電車は、路線網の他の区間と接続する歴史ある十字街の分岐点を経て、函館山の麓に近く人気の温泉浴場にも近い谷地頭へと至る。運営主体は、2011年4月1日に旧来の交通局が水道局と統合した際に函館市企業局交通部へと改称された。函館市電は、札幌市電とともに北海道遺産の一つに選定されている。
年表
- 1897民営の亀函馬車鉄道が、馬車による函館市内初の軌道路線を開業。
- 191110月1日:函館水電が函館馬車鉄道を買収。
- 19136月29日:東雲町 - 湯川間が電化され、北海道初の路面電車となる。10月31日:弁天町 - 十字街 - 東雲町間が電化され、現在の路線の十字街付近にあたる北側部分が成立。
- 19136月17日:現在の宝来町にあたる停留場が、旧表記の蓬莱町として開業。南の終点・谷地頭も1913年に開業。
- 19145月1日:宝来町 - 谷地頭間が開業し、現在の路線の南側区間が成立。10月31日:函館の全線で電気運転を開始。
- 19343月21日:函館大火により電車48両と新川車庫が焼失。同月末までに全線復旧。
- 19369月15日:宝来町(当時の蓬莱町)停留場が移設され、東雲線の分岐駅となる。
- 194311月1日:路線が函館市へ譲渡され、函館市交通局(函館市役所交通局)が発足。
- 19657月1日:蓬莱町停留場が、現在の表記である宝来町停留場に改称。
- 19924月1日:宝来町で分岐していた東雲線が廃止。
- 19991月2日:谷地頭で滑走した電車が車止めを越える事故が発生。後に頑丈な車止めと緩衝用バラストが設置された。
- 20091月30日:宝来町停留場の改築が完了し、供用を開始。
- 20114月1日:交通局が水道局と統合し、運営主体が函館市企業局交通部となる。
- 201711月30日:谷地頭の折返線・線路改修工事を実施。十字街 - 谷地頭間が終日運休となり、代替バスが運行された。
出典
事実確認日:2026年6月14日