歴史
最初の開業区間は大正時代に、長崎駅前方面から続く路線の一部として開業した。1920年(大正9年)7月9日に古町 - 馬町間が開通し、馬町停留場が開業した。その後しばらくして、同じ年の1920年(大正9年)12月25日に西浜町 - 古町間が、賑橋・酒屋町の両停留場とともに開業し、新しい支線が市中心部の路線網へとつながった。
まもなく車庫も設けられた。1922年(大正11年)3月24日、馬町停留場付近に馬町車庫が完成した。その後、支線は十年余りにわたり短いままで、東端まで達するのは昭和期に入ってからとなった。
決定的な延伸は1934年(昭和9年)に行われた。10月25日に馬町車庫が閉鎖され、12月20日に古町から蛍茶屋までが開通して、諏訪神社下・桜馬場町・中川町・蛍茶屋の各停留場がこの日にそろって開業した。同時にルートが変更され、もとの古町 - 馬町間が廃止されて、支線は中心市街地の東端へと至る現在の経路に定まった。終点には新たに蛍茶屋車庫が設けられ、1937年(昭和12年)3月に完成した。
戦争とその余波は路線に爪痕を残した。1944年(昭和19年)1月、戦時下の急行運転に伴い酒屋町・桜馬場町の両停留場が廃止された。1945年(昭和20年)8月9日、長崎市への原子爆弾投下により路線は不通となり、同年11月25日に運行が再開された。戦後の数十年にも経路の調整は続き、1954年(昭和29年)3月1日のルート変更で古町停留場が廃止され桶屋町停留場が開業、後者は1963年(昭和38年)3月に公会堂前停留場へ改称された。
この支線は事故と災害の双方を経験している。1962年(昭和37年)7月8日、蛍茶屋車庫から360形電車363号が逸走し、新大工町停留場に停車していた365号に追突する事故が起き、12人が死傷した。1982年(昭和57年)7月には長崎大水害により23日に運休し、2日後の25日に運行が再開された。1989年(平成元年)3月29日には、道路拡幅に伴って諏訪神社前 - 新中川町間の軌道が移設され、センターポール化された。
近年、停留場は段階的に改称されている。2018年(平成30年)8月1日にはシステム全体で13か所の停留場が新名称となり、西浜町停留場から分離する形で浜町アーケード停留場が開業した。同じ日に賑橋がめがね橋へ、公会堂前が市民会館へ、諏訪神社前が諏訪神社へと改称された。改称は2023年(令和5年)1月4日にも続き、市民会館停留場が市役所停留場へ改称された。今日も蛍茶屋支線は、市の中心部から東の車庫へと至る短い連絡路として、長崎の大半の電車系統に利用されている。
年表
- 19207月9日:古町 - 馬町間が、長崎駅前方面から続く路線の一部として開通。馬町停留場開業。
- 192012月25日:西浜町 - 古町間開通。賑橋・酒屋町停留場開業。
- 19223月24日:馬町停留場付近に馬町車庫が完成。
- 193410月25日:馬町車庫を閉鎖。
- 193412月20日:古町 - 蛍茶屋間開通。諏訪神社下・桜馬場町・中川町・蛍茶屋各停留場開業。ルート変更により古町 - 馬町間廃止。
- 19373月:蛍茶屋車庫が完成。
- 19441月:戦時下の急行運転に伴い、酒屋町・桜馬場町各停留場が廃止。
- 19458月9日:長崎市への原子爆弾投下により不通。
- 194511月25日:運行再開。
- 19543月1日:ルート変更により古町停留場廃止、桶屋町停留場が開業。
- 19627月8日:蛍茶屋車庫から360形電車363号が逸走し、新大工町停留場の365号に追突、12人が死傷。
- 19633月:桶屋町停留場を公会堂前停留場に改称。
- 19827月23日:長崎大水害により運休。7月25日に運行再開。
- 19893月29日:道路拡幅に伴い、諏訪神社前 - 新中川町間の軌道移設、およびセンターポール化工事完了。
- 20188月1日:システム全体で13停留場を改称、浜町アーケード停留場が開業。賑橋をめがね橋へ、公会堂前を市民会館へ、諏訪神社前を諏訪神社へ改称。
- 20231月4日:市民会館停留場を市役所停留場に改称。
出典
事実確認日:2026年6月14日