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1条線

Ichijō Line

一条線(いちじょうせん)は、北海道札幌市中央区を走る路面電車・札幌市電の一路線である。現在は札幌市電が描く環状の一周路の西側の短い弧で、西4丁目停留場から西15丁目停留場までの停留場4か所・1.436キロメートルの区間からなる。ほかの区間と同じく軌間1,067ミリメートル、直流600ボルトの架空電車線方式により電化されており、総延長8.905キロメートルの軌道の一部を成している。設備および車両は札幌市交通局が保有し、電車の運行は2020年以降、札幌市交通事業振興公社が担当している。一条線は1918年に開業した最初の電車3路線の一つであり、かつては西の円山公園まで達していたが、現在は環状路の短い北側の弧として残るのみとなっている。

札幌中央区2 km
1条線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

札幌の路面電車は馬車鉄道を母体としている。1909年(明治42年)、建築用石材として需要が急増した「札幌軟石」の輸送線として山鼻 - 石切山間に馬車軌道が敷設され、1912年(明治45年)からは事業者(札幌石材馬車鉄道、後の札幌市街馬車軌道)が路線網を市街地まで拡張した。1918年(大正7年)に開道50周年を記念する北海道大博覧会が開催されることになったのを機に、馬車鉄道を路面電車化しようという動きが高まり、1916年(大正5年)10月には社名を「馬車軌道」から「電気軌道」へと改めた。改軌および電化の工事は1918年(大正7年)4月から始められた。

路線は当初、軌間を1,372ミリメートルとし、車両はイギリスのデッカー社から輸入する計画だったが、第一次世界大戦の影響でヨーロッパからの海上輸送は困難となった。そのため急遽、名古屋電気鉄道から中古車両を譲り受け、アメリカから中古のレールを輸入し、その車両に合わせて軌間は国有鉄道と同じ1,067ミリメートルに変更された。こうした混乱のため博覧会の開会には間に合わず、8月12日に札幌電気軌道として停公線・南四条線・一条線が開業した。一条線の開業時の区間は、南1条西14丁目 - 南1条東2丁目間で、路線名の由来となった南1条通上を走るものであった。1927年(昭和2年)12月1日に市営化された際の総延長は16.3キロメートル、保有車両数は63両であった。

一条線はその後、主に西の円山方面へ向けて段階的に延伸された。開業時の区間は西へ西15丁目まで達しており、1920年(大正9年)1月には頓宮前 - 東2丁目間が東へ延伸され、1921年(大正10年)12月には西15丁目 - 医大病院前間が西へ延伸された。延伸は1923年(大正12年)も西へと続き、10月に西20丁目、11月に琴似街道へと達し、1924年(大正13年)5月には円山公園まで延ばされた。最後に1925年(大正14年)1月、東側の一条橋 - 頓宮前間が開業し、一条線は東の一条橋から西の円山公園まで至る全区間が出そろった。

路線網は1950年代後半に最盛期を迎えたが、乗車人員は1964年(昭和39年)度をピークに減少へ転じた。1966年(昭和41年)に札幌が1972年の冬季オリンピック開催地に決まると地下鉄の建設が始まり、地下鉄南北線の開業を機に市電の路線廃止が相次いだ。1971年(昭和46年、2回)・1973年(昭和48年)・1974年(昭和49年)の4度にわたって多くの路線が廃止され、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線を残すのみとなった。一条線もこの時期に大きく短縮され、1965年(昭和40年)8月1日に西15丁目停留場が医大病院前に統合・廃止され、1973年(昭和48年)4月1日には東側の一条橋 - 西4丁目間と西側の医大病院前 - 円山公園間がいずれも廃止されて、かつて市街を横断していた路線は現在残る短い中核区間にまで縮小した。残存路線の全廃も検討されたが、沿線住民からの存続要望を受け、地下鉄を補完する交通機関として位置づけることで存続された。

縮小後の市電は、2001年(平成13年)に函館市電とともに北海道遺産に選定された。2002年(平成14年)に再び赤字へ転落し、車両の老朽化や将来の利用も不安視されたが、上田文雄札幌市長は2005年(平成17年)2月に路線の存続を決定した。札幌市は1990年代後半から、C字型の路線を環状化すべく西4丁目 - すすきの間の復活を検討しており、2012年(平成24年)1月には札幌駅前通上を複線で結び、狸小路に新停留場を設ける方針を固めた。

当初2015年(平成27年)春とされていた開業は、軌道工事の入札不調と品質管理上の問題による工事の遅れで延期されたが、2015年(平成27年)12月20日に西4丁目 - すすきの間を結ぶ都心線が開業し、同時に狸小路停留場が開業してループ化が完成した。これにより一条線・山鼻西線・山鼻線・都心線がつながって一周する環状路となり、直通電車で運行されるようになって、一条線は西4丁目から西15丁目へと至る環状路の短い北側の弧を担うこととなった。利用者数は1日あたり約2万4396人と約11パーセント増加した。2020年(令和2年)4月1日には、上下分離方式により札幌市電の運行が札幌市交通局から札幌市交通事業振興公社へ移管され、設備・車両の保有は引き続き交通局が担っている。

年表

  • 1909建築用石材「札幌軟石」の輸送線として、山鼻 - 石切山間に馬車軌道が敷設される(後の市電の起源)。
  • 191610月:北海道大博覧会開催を控え、電化のため社名を「馬車軌道」から「電気軌道」へ改称。
  • 19188月12日:札幌電気軌道が停公線・南四条線・一条線を軌間1,067mmで開業。一条線の開業区間は南1条西14丁目 - 南1条東2丁目間。
  • 19201月:一条線が頓宮前 - 東2丁目間を東へ延伸。
  • 192112月:一条線が西15丁目 - 医大病院前間を西へ延伸。
  • 192310月~11月:医大病院前 - 西20丁目間(10月)、西20丁目 - 琴似街道間(11月)が西へ延伸開業。
  • 19245月:一条線が琴似街道 - 円山公園間を延伸開業。
  • 19251月:東側の一条橋 - 頓宮前間が開業し、一条線は東の一条橋から西の円山公園まで全区間が出そろう。
  • 192712月1日:札幌の路面電車が市営化される。当時の総延長は16.3km、保有車両63両。
  • 1964札幌市電の乗車人員が1964年度をピークに減少へ転じる。
  • 19658月1日:一条線の西15丁目停留場が医大病院前に統合され廃止。
  • 19734月1日:一条線の一条橋 - 西4丁目間と医大病院前 - 円山公園間が廃止され、横断路線が短い中核区間に縮小。地下鉄南北線に伴う1971~1974年の廃止により、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線のみが残る。
  • 2001札幌市電が函館市電とともに北海道遺産に選定される。
  • 20052月:再び赤字に陥っていた市電について、上田文雄札幌市長が存続を決定。
  • 201512月20日:西4丁目 - すすきの間の都心線が開業しループ化が完成。一条線・山鼻西線・山鼻線・都心線が一周する環状路となり、利用者は約11%増の1日約2万4396人となる。
  • 20204月1日:上下分離方式により、札幌市電の運行が札幌市交通局から札幌市交通事業振興公社へ移管。設備・車両の保有は交通局が継続。

出典

事実確認日:2026年6月14日