歴史
この路線は初代の土佐電気鉄道によって建設され、最初の区間が1904年5月2日に「本町線」として、堀詰 - 乗出(現在のグランド通停留場)間が単線で開業した。その後西へ向けて段階的に延伸され、1906年10月9日に乗出 - 鏡川橋間、1907年9月16日に鏡川橋 - 咥内間、1907年11月7日に枝川 - 伊野間が開業した。
残る区間は翌年に開通した。1908年2月20日に咥内 - 枝川間が開業し、1908年10月31日には下知(現在の宝永町)- 堀詰間が開業して全線が開通した。続いて中心部の混雑する区間の複線化が始まり、堀詰 - 乗出間が1909年2月20日までに、乗出 - 本町筋五丁目(現在の上町五丁目)間が1909年5月22日までに複線化された。
運営会社は20世紀前半を通じて何度も変わった。土佐水力電気との合併と社名変更により、路線は1922年8月1日に土佐電気のものとなり、1941年7月12日には高知鉄道・土佐バスとの合併によって土佐交通の路線となり、1948年6月3日には南海鍛圧機との合併を経て2代目の土佐電気鉄道のものとなった。並行して複線化も続けられ、1950年4月17日までに蛍橋まで、1958年10月1日までに鏡川橋まで複線化され、1955年6月11日には鳴谷停留場が新設された。
戦後の数十年間にはさまざまな経路・停留場の変更が行われた。1960年には宮の奥 - 宇治団地前間の軌道が移設されて咥内坂トンネルが撤去され、北山口停留場と塩崎停留場が統合されて北山停留場が新設された。スピードアップのためいくつかの停留場が廃止され、1967年に旭町二丁目、1977年に中ノ橋通と上町三丁目が廃止された。また1979年2月18日には、咥内 - 宇治団地前間で電車611号と618号が正面衝突する事故が発生した。
現代に入ると、保安・運行の改革が進められた。2014年10月1日、2代目の土佐電気鉄道は、高知県交通・土佐電ドリームサービスとの経営統合により、とさでん交通へ承継された。朝倉停留場では2016年11月17日と2019年3月25日に、伊野行きの車両が通票を受け取らずに発車する重大インシデントが発生し、これを受けて会社は朝倉と八代信号所に係員を配置して通票の授受を行う対策をとった。
2021年1月9日には八代行違い場所での通票交換が一切なくなり、朝倉 - 伊野間の通票(タブレット)の形状が統一された。そして2023年4月10日、朝倉 - 伊野間の保安方式が通票式(タブレット)から特殊自動閉塞式へ変更され、日本国内で通票式を用いた軌道路線が消滅した。再配置されていた朝倉停留場の駅長も5月末をもって廃止され、同停留場は再び無人化された。
年表
- 19045月2日:初代の土佐電気鉄道により、本町線として堀詰 - 乗出(現在のグランド通)間が単線で開業。
- 190610月9日:乗出 - 鏡川橋間が単線で開業。
- 19079月16日:鏡川橋 - 咥内間が開業。11月7日:枝川 - 伊野間が開業。
- 19082月20日:咥内 - 枝川間が開業。10月31日:下知(現在の宝永町)- 堀詰間が開業し全通。
- 19092月20日:堀詰 - 乗出間の複線化が完了。5月22日:乗出 - 本町筋五丁目(現在の上町五丁目)間の複線化が完了。
- 19228月1日:土佐水力電気との合併・社名変更により土佐電気の路線となる。
- 19417月12日:高知鉄道・土佐バスとの合併・社名変更により土佐交通の路線となる。
- 19486月3日:南海鍛圧機との合併により土佐電気鉄道(2代目)の路線となる。
- 195810月1日:蛍橋 - 鏡川橋間の複線化が完了(本丁筋五丁目 - 蛍橋間は1950年に複線化済み)。
- 1960宮の奥 - 宇治団地前間の軌道移設により咥内坂トンネルを撤去。北山口停留場と塩崎停留場を統合し北山停留場を新設。
- 19776月20日:スピードアップのため中ノ橋通停留場と上町三丁目停留場を廃止(旭町二丁目停留場は1967年に廃止)。
- 19792月18日:咥内 - 宇治団地前間で電車611号と618号が正面衝突する事故が発生。
- 201410月1日:土佐電気鉄道の高知県交通・土佐電ドリームサービスとの経営統合に伴い、とさでん交通に承継。
- 20193月25日:朝倉停留場で、伊野行きの車両が通票を受け取らずに発車する重大インシデントが発生(2016年11月17日にも同様の事例)。以後、朝倉と八代信号所に係員を配置して通票の授受を行う。
- 20234月10日:朝倉 - 伊野間の保安方式が通票式(タブレット)から特殊自動閉塞式へ変更され、日本国内で通票式を用いた軌道路線が消滅。朝倉停留場の駅長も5月末をもって廃止され再び無人化。
出典
事実確認日:2026年6月14日