歴史
この路線は、はるかに大規模な計画の一部として生まれた。改正鉄道敷設法別表第61号は「静岡県熱海ヨリ下田、松崎ヲ経テ大仁ニ至ル鉄道」を定めており、当初は熱海と下田町とを複線で結ぶ構想であった。しかし世界恐慌下で濱口雄幸首相のもとに進められた緊縮財政政策により計画は縮小を余儀なくされ、熱海駅 - 伊東駅間のみが、しかも単線で建設されることとなった。
建設は難工事であった。伊豆半島の東岸は山が海岸に迫る険しい地勢で、断層や軟弱地層を貫くため数多くのトンネルと橋梁を要した。宇佐美トンネルなどの掘削時に温泉が湧出し、そこで得られた掘削技術は同時期に進められていた清水トンネルや丹那トンネルの工事にフィードバックされた。最初の区間である熱海駅 - 網代駅間(8.7キロメートル)は1935年3月30日に開業し、来宮駅・伊豆多賀駅・網代駅が設置された。
網代駅 - 伊東駅間(8.2キロメートル)は1938年12月15日に延伸開業して全通し、宇佐美駅・伊東駅が開業した。両区間とも開業時から直流1,500ボルトで電化されていた。観光路線としてすぐに注目を集め、全通すると間もなく東京駅からの直通列車の運転が始まった。その後の南への延伸は当初遅れ、やがて第二次世界大戦の勃発によって中止された。
伊東線には技術上の特筆すべき点がある。日本国有鉄道(国鉄)の路線として初めて列車集中制御装置(CTC)が導入された線区だということである。1958年5月11日に来宮駅 - 伊東駅間でCTCの試運用が始まり、同年5月20日には本運用が開始された。この時期を通じて、当線は広域ネットワークへの接続線として、また伊豆観光の通路として、現在の役割を着実に固めていった。
南への直通は1961年に実現した。私鉄の東京急行電鉄(東急)が下田までの建設権を取得し、その区間の建設・運営にあたる伊豆急行を設立して、1961年12月10日に伊豆急行線が開業すると、両線間の直通運転が始まった。1968年には当線唯一の複線区間が生まれた。同年9月9日に熱海駅 - 来宮駅間を併走していた東海道本線が新線に移されたことで、旧来の複線が伊東線専用となり、1.2キロメートルの複線区間が完成したのである。全線が将来の複線化を見込んで路盤整備されていたものの、それ以上の複線化は行われなかった。
当線の貨物営業は1984年2月1日に廃止された。1987年4月1日の国鉄分割民営化により伊東線はJR東日本に承継され、JR貨物が当線の第二種鉄道事業者となって、伊豆急行への車両搬入出に限るという限定的な形で貨物営業が再開された。1996年10月1日には当線の管轄がJR東日本の横浜支社に移り、2004年11月下旬には保安装置がATS-SNからATS-Pへ更新された。2015年3月8日からは熱海駅と伊東駅を除く全駅が無人化され、駅遠隔操作システムによって運用されている。現在、当線は東京近郊区間およびSuicaの首都圏エリアに含まれ、特急「踊り子」「サフィール踊り子」が伊豆急行線へ直通するほか、一部の普通列車は東海道線・上野東京ライン経由で乗り入れている。
年表
- 19353月30日:最初の区間である熱海駅 - 網代駅間(8.7km)が開業。来宮駅・伊豆多賀駅・網代駅が開業。
- 193812月15日:網代駅 - 伊東駅間(8.2km)が延伸開業して全通。宇佐美駅・伊東駅が開業。両区間とも開業時から直流1,500Vで電化。
- 19585月11日:来宮駅 - 伊東駅間でCTC(列車集中制御装置)の試運用を開始。国鉄の路線として初のCTC導入であった。5月20日に本運用開始。
- 196112月10日:伊東駅以南で伊豆急行線が開業し、伊東線と伊豆急行線との直通運転を開始。
- 19689月9日:熱海駅 - 来宮駅間の東海道本線が新線に移り、旧線(複線)が伊東線専用となる。1.2kmの複線区間が完成。
- 19842月1日:全線の貨物営業が廃止される。
- 19852月25日:老朽化したCTC装置を取り替えて使用開始。
- 19874月1日:国鉄分割民営化によりJR東日本が継承。JR貨物が第二種鉄道事業者となり、伊豆急行への車両搬入出に限り貨物営業を再開。
- 199610月1日:横浜支社の発足に伴い、全線の管轄が横浜支社に変更される。
- 200411月下旬:保安装置がATS-SNからATS-Pへ更新される。
- 20138月19日:熱海駅・伊東駅で、始発列車について半自動ドアの通年運用を開始。
- 20153月8日:熱海駅と伊東駅を除く全駅が無人化され、駅遠隔操作システムを導入。
出典
事実確認日:2026年6月14日