歴史
この路線はもともと伊予鉄道が建設したものではなく、競合相手であった松山電気軌道が、1911年に標準軌(1,435ミリメートル)の電気軌道として最初の区間を開業させたものである。開業は段階的に行われ、住吉 - 本町間と札ノ辻 - 道後(現在の道後温泉)間が1911年9月1日に、短い本町 - 札ノ辻間が同年9月19日に、江ノ口 - 住吉間が1912年2月7日に開業し、これにより三津浜の内港付近の江ノ口から市内を横断して道後に至る軌道が通じた。
松山の二つの競合事業者が別々であった期間は長くなかった。1921年4月1日に伊予鉄道が松山電気軌道を合併し、引き継いだ軌道路線は城南線と名付けられた。伊予鉄道自身の路線はより狭い1,067ミリメートル軌間を用いていたため、新たに取得した線路は他の路線と規格が合わず、1923年6月30日に江ノ口 - 道後温泉間の軌間が1,435ミリメートルから1,067ミリメートルへと改軌され、会社の路線網に合わせられた。
その後の数十年間、この路線は松山中心部の発展に伴って繰り返し改変された。1926年5月2日、一番町を通っていた旧道後鉄道線が廃止されると、不要になった上一万の立体交差が撤去され、一番町(現在の大街道) - 六角堂(現在の警察署前付近)間の経路が御宝町(現在の勝山町)経由に変更された。同じ工事で一番町 - 道後温泉間が複線化されている。幹線街路の拡幅に伴ってさらに複線化が進み、西堀端 - 裁判所前(現在の県庁前)間が1936年に、県庁前 - 一番町間が1949年に複線化された。一方、旧線のうち江ノ口 - 萱町間は1927年に廃止され、1929年の古町 - 萱町間開業を経て、本町経由の西側区間は1948年に廃止されて現在の本町線に置き換えられた。
さらなる変化は1969年12月1日に訪れた。伊予鉄道がこの日、城南線と城北線を結ぶ環状運転を開始したのである。上一万における城北線との分岐が、道後温泉方面からの分岐から警察署前方面からの分岐へと変更され、この環状運転を成り立たせるために平和通一丁目 - 上一万間の連絡区間が新たに開業した。2018年度版の『鉄道要覧』からこの短い区間は連絡線として別に記載されるようになり、城南線は現在の道後温泉 - 西堀端間の路線として残された。
現在の松山において、城南線は通勤路線であると同時に観光名所でもある。市内の色分けされた複数の市内電車系統が走り、中心部の大街道商店街や県庁・市役所と、日本有数の古湯への玄関口である道後温泉終点とを結んでいる。この路線を走るのが名高い坊っちゃん列車(坊っちゃん列車)で、夏目漱石の1906年の小説『坊っちゃん』で知られる伊予鉄道創業時の蒸気機関車をディーゼル動力で再現した車両であり、2001年以来、明治初期の市内電車の風情を再現して、松山の市内電車を日本で最もよく知られたものの一つにしている。
年表
- 19119月1日:松山電気軌道が最初の区間(住吉 - 本町間、札ノ辻 - 道後間)を標準軌(1,435mm)の電気軌道として開業。
- 19119月19日:松山電気軌道が本町 - 札ノ辻間を開業。
- 19122月7日:江ノ口 - 住吉間が開業し、三津浜港付近の江ノ口から道後までの軌道が全通。
- 19214月1日:伊予鉄道が松山電気軌道を合併し、引き継いだ路線を城南線とする。
- 19236月30日:江ノ口 - 道後温泉間の軌間を1,435mmから1,067mmに改軌し、伊予鉄道の路線網に合わせる。
- 19265月2日:一番町経由の旧道後鉄道線廃止に伴い、上一万の立体交差を撤去、一番町 - 六角堂間を御宝町経由に変更。一番町 - 道後温泉間を複線化。
- 192711月1日:旧線のうち江ノ口 - 萱町間を廃止。
- 19365月1日:西堀端 - 裁判所前(現在の県庁前)間を複線化。
- 19487月1日:古町 - 萱町 - 本町 - 西堀端間を廃止し、代わって本町線が開業。
- 19493月5日:県庁前 - 一番町間を複線化。
- 196912月1日:城北線・城南線の環状運転を開始。上一万での分岐を警察署前方面に変更し、平和通一丁目 - 上一万間が開業。
- 20182018年度の『鉄道要覧』から平和通一丁目 - 上一万間が連絡線として別記され、城南線は道後温泉 - 西堀端間の路線として残る。
出典
事実確認日:2026年6月14日