歴史
路線が通る地域は古くから交通の盛んな一帯で、江戸時代には下仁田道が中山道のバイパスの役割を果たしていた。1871年(明治4年)の官営富岡製糸場の開設に伴って近代交通導入への機運が高まり、1873年(明治6年)には本庄 - 富岡間で乗合馬車が開業したが、営業不振から廃業し、1881年(明治14年)に計画された木道馬車も結局完成しなかった。1884年(明治17年)の日本鉄道高崎線開通を機に再び交通改革への動きが始まり、1895年(明治28年)には有志により、妙義・荒船両山系の地域交通の便を図るとともに地元の鉱山からの鉱石・石灰の搬出を目的として上野鉄道(こうずけてつどう)が設立された。
鉄道は安価な762ミリメートルの狭軌の軽便線として建設され、蒸気で運転された。開業は1897年に段階的に行われ、5月10日に高崎 - 福島間(福島は現在の上州福島)、7月7日に福島 - 南蛇井間、そして9月10日に最後の南蛇井 - 下仁田間が開業して33.7キロメートルの全線が完成した。客貨混合列車が全線をおよそ2時間半かけて走破した。1911年(明治44年)2月16日には軽便鉄道法による軽便鉄道に指定された。
輸送量の増加に伴い、狭軌の軽便鉄道規格では時代に対応できなくなり、会社は全線を1,067ミリメートルに改軌し、直流1,500ボルトで電化することを決めた。当時、千曲川に沿って長野県の中込まで路線を延伸する計画も得ており、これに関連して1921年(大正10年)8月25日に社名を上信電気鉄道(じょうしんでんきてつどう)に改称した。延伸は実現しなかったが改良工事は進められ、高崎 - 上州富岡間が1924年(大正13年)10月3日に、上州富岡 - 下仁田間が同年12月25日に改軌・電化された。蒸気牽引の混合列車に代わって旅客は電車に、貨物は電気機関車牽引に置き換えられ、全線の旅客所要時間は1時間前後へと大幅に短縮された。会社は1964年(昭和39年)5月11日に現在の社名である上信電鉄に改称した。
戦後の数十年間、路線は運転設備の近代化とサービスの調整を進めた。閉塞方式は年を追って改良され、1973年には自動閉塞と自動信号が導入され、1981年11月25日のダイヤ改正では従来の快速に加えて急行・準急の運転が始まった。しかし、こうした速達化の動きは大きな事故によって転機を迎える。1984年12月21日、千平 - 下仁田間の赤津信号所付近で、運転士の居眠りによる下り列車が上り列車と正面衝突し、上り列車の運転士が死亡、125人が重軽傷を負った。事故を受けて会社は1985年12月25日に自動列車停止装置(ATS)を導入し、速達化よりも利便性向上へと方針を転換した。
1990年代に入ると、路線の役割は地域輸送へと収斂していった。急行は1992年に廃止され、貨物営業は1994年10月1日に廃止、1996年10月1日には準急が廃止されてワンマン運転が始まった。所要時間の短縮を追うのではなく、新駅の開業や停車駅の増加によって需要を喚起する方針がとられ、1990年に東富岡駅、2002年に高崎商科大学前駅、そして2014年12月22日に線内で最も新しい佐野のわたし駅が開業した。
現在も上信線は群馬県西部の生活の足であり、ささやかな観光路線でもある。近年は利用者の減少傾向が続いているものの、2014年の富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録は、製糸場の玄関口である上州富岡駅を擁するこの路線に改めて注目を集めた。会社は貸切列車などの企画でも路線をアピールしており、1924年の電化に際してドイツのシーメンス社から購入したデキ1形電気機関車は、現在も不定期に工事列車やイベント列車を牽引している。
年表
- 1871官営富岡製糸場が開設され、後に沿線となる地域で近代交通導入への機運が高まる。
- 18949月13日:高崎 - 下仁田間について、発起人小沢武雄の上野鉄道に仮免状が下付される。
- 1895有志により上野鉄道が設立される。12月27日に免許状が下付される。
- 1897762mm軌間・蒸気動力で段階的に開業。5月10日に高崎 - 福島(現・上州福島)間、7月7日に福島 - 南蛇井間、9月10日に南蛇井 - 下仁田間が開業し、33.7kmの全線が完成。
- 19112月16日:軽便鉄道法により軽便鉄道に指定される。
- 19218月25日:長野県中込への延伸計画に関連し、社名を上信電気鉄道に改称。
- 19241,067mmへの改軌と直流1,500V電化を実施。10月3日に高崎 - 上州富岡間、12月25日に上州富岡 - 下仁田間。蒸気の混合列車に代わり電車・電気機関車が導入される。
- 19645月11日:社名を現在の上信電鉄に改称。
- 197312月28日:自動閉塞と自動信号を導入し、佐野信号所を開設。
- 198111月25日:ダイヤ改正により、従来の快速に加えて急行・準急の運転を開始。
- 198412月21日:千平 - 下仁田間の赤津信号所付近で、運転士の居眠りによる下り列車が上り列車と正面衝突。上り列車の運転士が死亡、125人が重軽傷。
- 198512月25日:全線に自動列車停止装置(ATS)を導入。
- 19927月15日:急行を廃止。
- 199410月1日:貨物営業を廃止。
- 199610月1日:準急を廃止し、ワンマン運転を開始。
- 201412月22日:線内で最も新しい佐野のわたし駅が開業。同年、上州富岡が玄関口となる富岡製糸場が世界遺産に登録される。
出典
事実確認日:2026年6月14日