歴史
この鉄道は加太軽便鉄道として始まった。1910年10月5日に北島-加太間の鉄道免許状が下付され、1912年6月16日に和歌山口(のちの北島)-加太間を開業した。1914年には初代の和歌山口駅を移転して北島駅に改称し、同年9月23日には紀ノ川橋梁が完成して路線が川を越えて延伸され、南海の和歌山市駅と連絡した。
1930年12月1日に和歌山口-加太間が直流1,500ボルトで電化され、同時に東松江駅と西ノ庄駅が開業した。その約3週間後の1930年12月22日には、会社名を加太電気鉄道と改めた。1942年2月1日には南海鉄道に合併されて同社の加太線となり、和歌山口駅は和歌山市駅に統合された。
その後、戦時の企業統合によって路線はより大きな会社に組み込まれた。1944年6月1日、陸上交通事業調整法に基づき南海鉄道は関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となり、加太線も近畿日本鉄道の路線となった。路線の経路が変わり始めたのはこの近畿日本鉄道時代で、同年10月1日には貨物線として松江線が紀ノ川-東松江間に開業した。1947年6月1日には、旧・南海鉄道の路線が新たに発足した南海電気鉄道に分離譲渡された。
戦後、路線は松江線を軸に再編成された。松江線は1949年10月1日に電化され、1950年7月15日に同線に梶取信号所が開設され、同年7月25日に松江線の旅客営業が始まって加太線の運転系統が北島経由から紀ノ川経由に変更された。一方で旧線は被害が相次ぎ、1950年9月には台風で紀ノ川橋梁が被災し、1953年7月18日には水害により同橋梁の橋脚が傾いて運行不能となり、同年9月15日に和歌山市-北島間が休止された。
1955年2月15日に和歌山市-北島間が正式に廃止され、残った紀ノ川-加太間は加太支線(のちに再び加太線)に、北島-東松江間は北島支線に改められた。その北島支線も1966年12月1日に廃止され、路線はほぼ現在の姿となった。1980年9月1日にPTC(列車運行管理システム)が導入され、1984年2月1日には加太線の貨物営業が廃止された。これは南海電鉄で最後の貨物営業であった。
近年では、路線は行楽・観光輸送へと重心を移している。2001年3月24日にワンマン運転が始まり、2012年6月16日に開業100周年を迎えた。2014年11月1日には、沿線の海産物を売り物に観光客を誘致する「加太さかな線プロジェクト」が始動し、2016年4月29日からは7100系電車を改装した魚や海をモチーフとする観光列車「めでたいでんしゃ」の運行が始まった。「めでたいでんしゃ」はその後も増強され、2021年と2024年にも新たな編成が加わった。
年表
- 191010月5日:加太軽便鉄道に対し、北島-加太間の鉄道免許状が下付される。
- 19126月16日:加太軽便鉄道が和歌山口(のちの北島)-加太間を開業。
- 19149月23日:紀ノ川橋梁が完成し、和歌山口-北島間が開業して南海の和歌山市駅と連絡(9月21日に初代の和歌山口駅を移転して北島駅に改称)。
- 193012月1日:和歌山口-加太間が直流1,500ボルトで電化され、東松江駅・西ノ庄駅が開業。12月22日に加太電気鉄道に社名変更。
- 19422月1日:南海鉄道に合併され加太線となる。和歌山口駅を和歌山市駅に統合。
- 19446月1日:陸上交通事業調整法に基づき南海鉄道が関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となり、加太線もその路線となる。10月1日に貨物線の松江線が紀ノ川-東松江間に開業。
- 19476月1日:旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡される。
- 194910月1日:松江線が電化される。
- 19507月25日:松江線の旅客営業が始まり(7月15日に梶取信号所開設)、加太線の運転系統が北島経由から紀ノ川経由に変更される。
- 19537月18日:水害により紀ノ川橋梁の橋脚が傾いて運行不能となり、9月15日に和歌山市-北島間が休止。
- 19552月15日:和歌山市-北島間が廃止。紀ノ川-加太間を加太支線(のちの加太線)、北島-東松江間を北島支線に変更。
- 196612月1日:北島支線が廃止され、路線はほぼ現在の姿となる。
- 19842月1日:加太線の貨物営業が廃止。南海電鉄で最後の貨物営業となる。
- 20013月24日:ワンマン運転を開始。
- 201411月1日:「加太さかな線プロジェクト」が始動し、「加太さかな線」の愛称でプロモーションが行われる。
- 20164月29日:観光列車「めでたいでんしゃ」(7100系を改装したピンク色の編成)が運行を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日