JR線·約2分で読めます

第一期線

First Phase Line

第一期線(だいいっきせん)は、九州南部の鹿児島市にある営業キロ3.0キロメートルの軌道路線で、鹿児島市交通局が運営する鹿児島市電の路線の一つである。下荒田の武之橋停留場から浜町の鹿児島駅前停留場(鹿児島駅前)までを結び、11の停留場を有する。全線が複線で、軌間は1,435ミリメートルの標準軌、電化方式は直流600ボルトの架空電車線方式である。中心市街地の天文館を貫いて市電の都心部の背骨をなし、その車両は接続する谷山線・第二期線・唐湊線へ直通運転する。

鹿児島2 km
第一期線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、1910年代に鹿児島へ電車の路面軌道をもたらした私設会社、鹿児島電気軌道に由来する。同社の最初の路線である谷山線が1912年に開業した後、事業者はこの市街地区間を次の段階として建設した。この建設の順序こそが路線名の由来であり、都心部の併用軌道網のうちの「第一期」にあたる。

路線は1914年のうちに、相次ぐ延伸によって開業した。鹿児島電気軌道はまず1914年7月3日に武之橋 - 山之口馬場間を開業し、続いて7月22日に天文館通まで、10月3日に朝日通まで北へと延ばした。さらに10月16日には不断光院(現在の市役所前停留場の場所)まで延伸し、1914年12月20日に不断光院 - 鹿児島駅前間の最後の区間が開業して、武之橋から鹿児島駅までの通し運転が全通した。

鹿児島市は1920年代後半にこの軌道を公営化した。当線は1928年7月1日に新設された鹿児島市電気局へ移管され、私設事業としての歴史を終えた。公営の運営主体はその後たびたび改組され、1933年1月に鹿児島市交通課、そして1952年10月に現在の名称である鹿児島市交通局となった。

他の路線と同様に、当線も歴史のなかでいくつかの停留場を失った。市営化初期に存在した山之口町・日置裏門通・金生町の各停留場は1943年5月5日に廃止され、市庁通や和泉屋町などほかにもいくつかの停留場が、記録上は廃止時期の定かでない時点で姿を消した。後年、県庁付近の二つの停留場が改称され、県庁前は1996年11月6日に県庁跡となり、その県庁跡も1997年8月に水族館口となった。

現在、第一期線は市内の二つの主要な市電系統を担っている。1系統(谷山 - 武之橋 - 鹿児島駅前)は当線の全区間をおよそ7.5分間隔で運行し、2系統(郡元 - 鹿児島中央駅前 - 鹿児島駅前)は高見馬場 - 鹿児島駅前間を共用して、この共通区間では両系統が交互に運行されている。天文館を抜けてJRの駅前へと至る頻発運転により、当線は1世紀以上にわたって鹿児島を支えてきた市電網の最も主要な背骨であり続けている。

年表

  • 19147月3日:鹿児島電気軌道が当線の最初の区間、武之橋 - 山之口馬場間を開業する。
  • 19147月22日:山之口馬場 - 天文館通間が開業する。
  • 191410月3日:天文館通 - 朝日通間が開業する。
  • 191410月16日:朝日通 - 不断光院(現・市役所前)間が開業する。
  • 191412月20日:不断光院 - 鹿児島駅前間が開業して全通し、武之橋から鹿児島駅までが結ばれる。
  • 19287月1日:当線が新設された鹿児島市電気局に移管され、私営としての運行を終える。
  • 19331月:運営主体が鹿児島市交通課に改組される。
  • 19435月5日:山之口町・日置裏門通・金生町の各停留場が廃止される。
  • 195210月:運営主体が現在の名称である鹿児島市交通局に改組される。
  • 199611月6日:県庁前停留場が県庁跡停留場へ改称される。
  • 19978月:県庁跡停留場が水族館口停留場へ改称される。

出典

事実確認日:2026年6月14日