歴史
この路線ができる以前、青森と函館の間の鉄道輸送は、日本国有鉄道(国鉄)が運航する青函連絡船によって津軽海峡を渡っていた。しかし海峡の渡航はたびたび脅かされた。1950年代には朝鮮戦争によるものと見られる浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入し、とりわけ1954年には、接近する台風の下で誤った気象判断によって出航した連絡船が遭難する洞爺丸事故が起きた。これを受けて、太平洋戦争前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、船舶輸送のより安定した代替手段として、長い工期と巨額の工費を費やして青函トンネルが建設されることとなった。
計画は長い年月をかけて公的に温められてきた。1946年2月には運輸省に非公式の「津軽海峡連絡隧道委員会」が設置され、その後長年にわたって陸上部・海底部の地質調査が行われ、1953年には建設予定線に追加された。1961年に調査線へ編入され、1970年に工事線に指定されて、1971年11月には本州・北海道の両側で本工事の起工式が行われた。当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格へと変更されて建設された。整備新幹線計画が凍結された後は暫定的に在来線として開業したものの、軌間と架線電圧の違いをのぞけば、のちのスーパー特急方式の原型となった。
国鉄分割民営化後の1988年3月13日、青函トンネルの開通と同じ日に、本州と北海道を結ぶJR線として海峡線が開業し、この日限りで青函連絡船の定期運航が終了した。海峡線は市販の時刻表で自らの名で案内されることはほとんどなく、すべての列車が直通するJR東日本の津軽線、JR北海道の江差線(のちの道南いさりび鉄道線)・函館本線のそれぞれ一部区間と合わせて「津軽海峡線」という愛称で案内された。青函トンネル内には竜飛海底駅・吉岡海底駅という二つの特殊な駅が設けられ、これらはトンネルの避難施設を兼ね、一般旅客ではなく見学者のみが利用できる駅であった。
この路線は高速運転を前提に造られ、段階的に速度が引き上げられた。開業当初の最高速度は120キロメートル毎時であったが、1991年3月16日に中小国駅 - 木古内駅間で140キロメートル毎時へと引き上げられ、青森駅 - 函館駅間の特急の所要時間が約7分短縮された。また1990年7月1日には、新湯の里信号場が旅客駅化されて知内駅として開業した。貨物面では、1994年3月1日のダイヤ改正で海峡線を通る貨物列車の完全コンテナ化が完了し、車扱輸送はほぼ消滅した。以後はコンテナ列車が中心となり、危険物など一部の貨物は安全対策のため青函トンネル経由の輸送が制限されている。
その後、在来線の旅客輸送は段階的に縮小していった。2002年12月のダイヤ改正で快速「海峡」が廃止され、津軽海峡線から普通列車が消滅して、急行・特急列車のみが残った。海底駅も整理され、吉岡海底駅は2006年3月18日に定期列車の停車を終了して同年8月28日から全列車通過となり、竜飛海底駅も2013年11月11日から全列車通過となった。2014年3月15日には竜飛海底駅・吉岡海底駅・知内駅がいずれも廃止され、二つの海底駅は緊急時の避難施設として残される竜飛定点・吉岡定点となり、知内駅は湯の里知内信号場となった。
決定的な変化は北海道新幹線によってもたらされた。その開業に備えて、既存の狭軌の線路に標準軌のレールが併設されて三線軌条の区間が設けられ、新中小国信号場 - 木古内駅間の架線電圧は2016年3月22日に交流20,000ボルトから25,000ボルトへと昇圧され、在来線用のアナログATCはデジタルのDS-ATCに置き換えられた。最後の在来線旅客列車である特急「白鳥」・「スーパー白鳥」と急行「はまなす」は2016年3月21日に運行を終えた。2016年3月26日には北海道新幹線が新青森 - 新函館北斗間で開業し、新中小国信号場 - 木古内駅間は標準軌・狭軌共用の区間となり、津軽今別駅は廃止されて新幹線の奥津軽いまべつ駅として再開業し、同線の在来線定期旅客列車は消滅した。
現在、海峡線は実質的に貨物専用の路線であり、本州と北海道を結ぶ物流の動脈として、航空機や船舶に比べて天候に左右されにくい輸送を担っている。昇圧やデジタルATC化といった設備更新により従来の電車・電気機関車は走行できなくなったため、JR貨物は交直両用ならぬ二電圧対応のEH800形電気機関車を投入して直通運転を続けており、木古内駅に残されていた海峡線の旅客ホームも2017年に撤去された。現在この路線を走行する旅客列車は、2017年5月に運行を開始した豪華クルーズ列車「TRAIN SUITE 四季島」のような団体臨時列車のみである。線路を共用しているため、同じ線路に在来線・海峡線の地方交通線運賃と新幹線の幹線運賃の2種類が設定されている。なお、JR北海道は津軽線と重複する中小国駅 - 新中小国信号場間の2.3キロメートルについて、2027年4月1日付での廃止を届け出ているが、同区間はJR東日本の津軽線として物理的には存続する。
年表
- 19462月:運輸省に非公式の「津軽海峡連絡隧道委員会」が設置され、長年にわたる地質調査が始まる。
- 19549月26日:台風下の洞爺丸事故が、本州と北海道をトンネルで結ぶ構想を加速させる。
- 197111月:青函トンネルの本工事の起工式が本州・北海道の両側で行われる(1970年に工事線指定)。
- 19883月13日:青函トンネル開通とともに海峡線中小国駅 - 木古内駅間(87.8km)が開業。青函連絡船の定期運航が終了。開業当初の最高速度は120km/h。
- 19907月1日:新湯の里信号場が旅客駅化され、知内駅として開業。
- 19913月16日:中小国駅 - 木古内駅間の最高速度を120km/hから140km/hに引き上げ、青森 - 函館間の特急が約7分短縮。
- 19943月1日:ダイヤ改正で海峡線を通る貨物列車の完全コンテナ化が完了し、車扱輸送がほぼ消滅。
- 200212月1日:快速「海峡」が廃止され、津軽海峡線から普通列車が消滅、急行・特急列車のみとなる。
- 20063月18日:吉岡海底駅への定期列車の停車を終了。8月28日から全列車通過となり臨時駅となる。
- 201311月11日:見学コース終了に伴い、竜飛海底駅が全列車通過となる。
- 20143月15日:竜飛海底駅・吉岡海底駅・知内駅が廃止。海底2駅は竜飛定点・吉岡定点(避難施設)となり、知内駅は湯の里知内信号場となる。
- 20163月21日:最後の在来線旅客列車である特急「白鳥」・「スーパー白鳥」、急行「はまなす」が運行を終了。
- 20163月22日:新中小国信号場 - 木古内駅間の架線電圧を交流20,000Vから25,000Vに昇圧。アナログATCをデジタルのDS-ATCに更新。
- 20163月26日:北海道新幹線(新青森 - 新函館北斗間)が開業。新中小国信号場 - 木古内駅間が三線軌条の共用区間となり、津軽今別駅は廃止・奥津軽いまべつ駅として再開業、在来線定期旅客列車が消滅。
- 20175月:団体臨時列車として豪華クルーズ列車「TRAIN SUITE 四季島」の運行が始まる。木古内駅に残されていた海峡線の旅客ホームも同年に撤去。
- 20274月1日(予定):JR北海道が津軽線と重複する中小国駅 - 新中小国信号場間(2.3km)を廃止。同区間はJR東日本の津軽線として物理的には存続する。
出典
事実確認日:2026年6月14日