JR線·約5分で読めます

気仙沼線

Kesennuma Line

気仙沼線(けせんぬません)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する、宮城県の鉄道・バスラピッドトランジット路線である。現在、列車が走るのは石巻市の前谷地駅から登米市の柳津駅までの内陸区間だけで、距離は17.5キロメートル、全線が軌間1,067ミリメートルの狭軌・単線・非電化である。もともとは太平洋岸の気仙沼まで達する全長約72.8キロメートルの連続した鉄道だったが、柳津より先の沿岸区間は2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受け、バスラピッドトランジット(BRT)の専用路線に転換された上で、2020年に鉄道として正式に廃止された。地方交通線に区分され、南では石巻線と、北では現存するBRTを介して大船渡線と接続する。

仙台2 km
気仙沼線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

三陸海岸に鉄道を敷設する構想が生まれたのは1896年(明治29年)で、この年6月に明治三陸地震が起こって大津波が襲い、死者は2万人以上に達した。災害復旧の一環として鉄道敷設の話が出たが、すぐには進展しなかった。その後も誘致運動が長く続き、1922年(大正11年)には「気仙沼より津谷、志津川を経て前谷地に至る鉄道及津谷より分岐し佐沼を経て田尻に至る鉄道」が鉄道敷設法の別表に記載された。1933年(昭和8年)3月に昭和三陸地震が再び沿岸を襲うと鉄道建設に再び焦点が当たったが、別表には前谷地に至る経路と田尻に至る経路の二つが記されており、内陸の町村と沿岸の町村がどちらを建設するかをめぐって対立した。最終的に政府は、三陸沿岸開発の上で前谷地ルートが有利であるとしてこの問題を決着させた。

1935年(昭和10年)、鉄道省は気仙沼から前谷地に至る路線の建設を翌年から着手することを決め、工事は気仙沼から南へ向けて進められた。しかし1937年(昭和12年)の日中戦争勃発によって工事は中断し、1939年(昭和14年)に再開されたものの、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に再び中断された。戦時中まで工事が行われていたのは、大谷鉱山の地下資源を気仙沼線で輸送することが考えられていたためと推測されている。終戦後の1946年(昭和21年)、沿線の町村は「三陸鉄道促進期成同盟会」を結成して工事の再開を求める請願を始めたが、戦後すぐのこの時期は既成線の復旧が急務とされていた。1952年(昭和27年)にBクラス着工線として補正予算が当てられ、1953年(昭和28年)に工事が再開された。

1956年(昭和31年)には旅客営業に先立って気仙沼から気仙沼港までの貨物支線が開通し、1957年(昭和32年)2月11日に気仙沼線は部分的に開通して気仙沼・本吉間に旅客列車が走り始めた。この区間を、1日6往復の旅客列車が走った。残る本吉から前谷地までの区間の建設は遅れ、鉄道建設審議会が1959年(昭和34年)に着工を承認し、1962年(昭和37年)に前谷地で杭打式が行われ、1964年(昭和39年)からは新たに発足した日本鉄道建設公団が国鉄から承継して工事を担った。その工事の最中の1968年(昭和43年)6月、国鉄諮問委員会は赤字線83線の廃止計画案を提出し、気仙沼線もその中に含まれて沿線に衝撃を与えた。そうした中、1968年(昭和43年)10月24日に前谷地・柳津間が「柳津線」として部分開業した。

最後に残った柳津・本吉間はリアス式海岸の急峻な地形を走り、橋梁とトンネルが区間の64パーセントを占め、その中でも横山トンネルは総延長3,508メートルと気仙沼線最長だった。この難工事を経て、1977年(昭和52年)12月11日に気仙沼線は全線開通した。国鉄の経営が逼迫し、総裁が大赤字の路線の引き取りを拒む意向を示していた中で、結果として気仙沼線の柳津・本吉間は国鉄が開業した最後の地方交通線となった。柳津線は再び編入され、前谷地から気仙沼までの全長約72.8キロメートルの路線が気仙沼線を名乗った。1980年の国鉄再建法は利用の少ない路線の廃止基準を定めたが、気仙沼線は利用者の平均乗車距離が長く利用者数も多いという条件に該当したため、廃止対象から除外された。1987年(昭和62年)4月1日に同線はJR東日本に承継され、1992年(平成4年)3月14日には全線でワンマン運転が始まった。

2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う津波により、全線が不通となった。陸前戸倉・南気仙沼間の沿岸区間は壊滅し、陸前戸倉、志津川、歌津、南気仙沼など9駅が流失し、津谷川橋が落橋し、各所で路盤や築堤が流失した。松岩・最知間で緊急停車していた上り列車1編成が津波に流されたが、乗員・乗客はすでに避難していた。内陸の前谷地・柳津間は約1か月半後の2011年(平成23年)4月29日に復旧したが、JR東日本は残る区間の鉄道としての復旧には年単位の時間がかかるとし、のちにルート移設の費用や利用者減少の見込みから鉄路での復旧を断念した。

不通となった沿岸区間についてJR東日本はBRTの専用路線への転換を提案し、2011年(平成23年)12月27日に正式に地元に示した。2012年(平成24年)5月に気仙沼市・南三陸町・登米市がBRT方式による仮復旧に合意し、同年8月20日より柳津・気仙沼間でバス代行運転扱いとしてBRTによる暫定サービスが始まった。同年12月22日には線路跡を専用道路に転用したBRTの本格運行が始まった。2015年(平成27年)にBRTは前谷地まで延伸され、2016年(平成28年)には沿線自治体がBRTによる本復旧でJR東日本と合意した。2019年(令和元年)11月、JR東日本は柳津・気仙沼間の鉄道事業廃止を届け出て、2020年(令和2年)4月1日に同区間55.3キロメートル・16駅が正式に廃止された。現在の気仙沼線は前谷地・柳津間のキハ110系気動車による短い地方鉄道であり、これに並走してBRTが続き、その日野ブルーリボンシティの車両は2022年12月から自動運転レベル2で運行されている。

年表

  • 1922気仙沼より津谷・志津川を経て前谷地に至る鉄道(及び佐沼を経て田尻に至る支線)が鉄道敷設法別表に記載される。
  • 1935鉄道省が気仙沼・前谷地間の建設を翌年から着手することを決め、工事は気仙沼から南へ進められる。
  • 1937日中戦争の勃発により工事が中断し、1939年に再開するも太平洋戦争中の1943年に再び中断される。
  • 19564月11日:旅客営業に先立ち、気仙沼・気仙沼港間の貨物支線(5.8 km)が開通する。
  • 19572月11日:気仙沼線が部分開業し、気仙沼・本吉間に旅客列車が走る。同区間を1日6往復が運行。
  • 196810月24日:前谷地・柳津間(17.5 km)が「柳津線」として部分開業。同年6月には国鉄諮問委員会が同線を含む赤字83線の廃止案を提出していた。
  • 197712月11日:柳津・本吉間(34.0 km)が開業して全線開通。柳津線を編入し、前谷地・気仙沼間(72.8 km)が気仙沼線となる。国鉄が開業した最後の地方交通線だった。
  • 197911月1日:残る貨物支線(南気仙沼・気仙沼港間)が廃止され、気仙沼港貨物駅が廃止となる。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化により、気仙沼線がJR東日本に承継される。
  • 19973月22日:大谷駅が大谷海岸駅に改称される。
  • 20113月11日:東日本大震災で全線が不通となり、沿岸9駅が流失、緊急停車中の上り列車1編成も流された(乗員・乗客は避難済み)。4月29日に内陸の前谷地・柳津間が復旧した。
  • 2012不通区間でBRTが採用され、8月20日に柳津・気仙沼間でバス代行運転扱いの暫定BRTが始まり、12月22日にBRTの本格運行が始まった。
  • 20156月27日:BRTが前谷地駅まで延伸され、現存の鉄道と並走して運行される。
  • 20204月1日:2012年以来BRTで運行されていた柳津・気仙沼間の鉄道(55.3 km、16駅)が正式に廃止され、鉄道としては前谷地・柳津間のみが残った。

出典