歴史
この路線の遠い起源は旅客輸送ではなく石材業にある。桐生線のもとになった藪塚石材軌道は、石材採掘販売を営んでいた事業を改組したもので、社長は葉住利蔵であった。同社は太田 - 藪塚間に軌道を敷設し、当初は人力で石材を運搬していたが、太田の大光院(呑竜様)の開山忌などには参詣客の輸送も行っていた。
藪塚石材軌道株式会社は1909年7月20日に設立され、1911年5月には石材運搬用として太田 - 藪塚間に軌間610ミリメートルの人車軌道を開設した。やがて一般旅客および貨物を輸送するため軽便鉄道敷設を出願し、1911年7月に免許状が下付されると、同年10月に太田軽便鉄道へと社名を変更した。
蒸気機関車による運転へ改めるべく、同社は東武鉄道専務の吉野伝治を社長に迎え、東武鉄道の出資により改築工事を始め、やがて鉄道部門を東武鉄道へ譲渡することになった。東武鉄道は1913年3月5日に太田軽便鉄道の鉄道部門を買収し(石材部は太田石材に改称)、同年3月19日に桐生線として太田 - 相老間が開業した。この際、軌間は1,067ミリメートルに改軌され、当初は蒸気運転であった。
全線の電化は1928年3月1日に行われた。1932年3月には相老から新大間々(のちの赤城)まで延伸され、桐生線はおおむね現在の形となった。1937年5月5日には阿左美駅が開業し、1958年11月1日には新大間々駅が現在の終点である赤城駅に改称された。
戦後の数十年で路線は段階的に近代化された。1973年4月1日からATS地上装置(地上子)が導入され、1979年10月1日には列車無線の使用が始まった。長く路線の輸送の一部を占めていた貨物営業は、1996年10月1日に廃止された(運行最終日は9月25日)。
近年の変化は旅客輸送のあり方を改めている。2006年3月18日からは普通列車のワンマン運転が始まり、接続する小泉線への直通運転も開始された。2012年3月17日には全駅で駅ナンバリングが導入され、2020年3月14日には阿左美駅が新桐生側に0.2キロメートル移設された。現在は全列車が線内の各駅に停車するほか、伊勢崎線へ直通して東京の浅草との間を結ぶ特急「りょうもう」も運行されている。
年表
- 19097月20日:藪塚石材軌道株式会社が設立される。
- 19115月:藪塚石材軌道が太田 - 藪塚間に石材運搬用の軌間610mmの人車軌道を開設。
- 19117月18日:鉄道免許状が下付される(太田 - 岩宿間、軌間2フィート、動力人力)。10月1日に太田軽便鉄道へ社名変更。
- 19133月5日:東武鉄道が太田軽便鉄道の鉄道部門を買収(石材部は太田石材に改称)。
- 19133月19日:桐生線として太田 - 相老間が開業。軌間1,067mmに改軌され、当初は蒸気運転。
- 19283月1日:全線が電化される。
- 19323月18日:相老 - 新大間々(現在の赤城)間が延伸開業。
- 19375月5日:阿左美駅が開業。
- 195811月1日:新大間々駅が赤城駅に改称される。
- 19734月1日:ATS地上装置(地上子)を導入し、使用を開始。
- 197910月1日:列車無線の使用を開始。
- 199610月1日:貨物営業を廃止(運行最終日は9月25日)。
- 20063月18日:普通列車のワンマン運転、および小泉線への直通運転を開始。
- 20123月17日:全駅で駅ナンバリングを導入。
- 20203月14日:阿左美駅を新桐生側に0.2km移設。
出典
事実確認日:2026年6月14日