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吉都線

Kitto Line

吉都線(きっとせん)は、九州旅客鉄道(JR九州)が運営する営業キロ61.6キロメートルの非電化鉄道路線で、日本の南九州に位置する。鹿児島県湧水町の吉松駅を起点に、霧島山の北側に広がるえびの・小林の高原地帯を東へ横断し、宮崎県の都城駅へと至る。全線が単線で、軌間は1,067ミリメートルの狭軌、キハ40系気動車により最高速度85km/hで運転される。肥薩線の八代駅 - 吉松駅間と合わせて「えびの高原線」の愛称が付けられている。利用の少ない地方交通線であり、17の駅を擁するが、2008年度の輸送密度は1日約576人とJR九州の路線中で最下位であった。

湧水町霧島市10 km
吉都線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、当時鹿児島本線の駅であった吉松駅から内陸へ建設された官設鉄道「宮崎線」として始まった。最初の区間である吉松駅 - 小林町駅(現在の小林駅)間が1912年10月1日に開業し、京町駅・加久藤駅・飯野駅・小林町駅が設けられた。線路は翌年さらに東へと延ばされ、1913年5月11日に小林町駅 - 谷頭駅間、同年10月8日に谷頭駅 - 都城駅間が開業して、現在の吉都線にあたる区間が全通した。

建設は都城以遠へも続けられ、1916年10月25日には宮崎線が宮崎駅まで全通して、宮崎県南部の内陸に初めて地域鉄道網への連絡をもたらした。1917年9月21日には宮崎線から宮崎本線へと改称された。やがて鉄道は北へ延伸されて豊州本線と結ばれ、小倉から宮崎へと至る一連の経路が形づくられていき、その直通連絡が1923年12月15日に完成すると、全体が日豊本線へと改称された。この時期、現在の吉都線は吉松を経由して宮崎へ向かう幹線の一部を成していた。

こうした幹線としての地位は、より直通性の高い海沿いの経路が建設されたことで終わりを迎えた。1932年12月6日に都城駅 - 隼人駅間が開業し、日豊本線は隼人を経由する海岸回りの経路へと付け替えられた。これにより、都城駅 - 吉松駅間の旧来の内陸経路は本線から分離され、吉都線という独自の名称を与えられた。以来この名称が用いられている。その間にも途中駅は増えており、1929年に西小林駅が、戦後にもさらに駅が開業した。

日本国有鉄道の時代、吉都線は山あいを走る静かな地方路線でありながら、九州を横断する優等列車の経路の一部としても機能した。1959年5月1日には準急(のちの急行)「えびの」が熊本駅 - 宮崎駅間で運転を開始し、1974年からは特急「おおよど」が当線を経由して博多駅と宮崎駅を結んだ。1968年2月21日にはえびの地震により線路や鉄橋が被災したが、29日に復旧した。蒸気機関車の運用は1974年4月27日に終了し、最終の蒸気列車はD51形が牽引したのち、ディーゼル機関車に置き換えられた。これほど山がちな地域を走る路線としては珍しく、当線には全線にわたってトンネルが一つもない。

1987年4月1日の国鉄分割民営化により、当線は新たに発足した九州旅客鉄道(JR九州)に承継され、貨物営業は廃止された。内陸の路線で輸送量が一貫して少なかったため、国鉄改革の際に廃止対象とされた「特定地方交通線」なみの輸送密度が長く続いていたが、平均乗車キロが長い路線に対する例外規定によってその対象を免れていた。JR九州のもとでは合理化が進み、1993年10月1日にワンマン運転が導入された。特急「おおよど」はすでに1980年に、急行「えびの」は2000年に廃止され、2016年3月26日からは車掌の乗務が取りやめられて全列車がワンマン化された。

今日の吉都線は優等列車のない地方路線であり、すべての列車が全線を通して運転されるワンマンの普通列車で、日中には数時間以上間隔が開くこともある。一部の列車は肥薩線に乗り入れて隼人方面と直通し、数本は日豊本線を経て南宮崎駅や宮崎駅まで足を延ばす。利用者の減少は続いており、2020年代には輸送密度が1日400人を下回った。路線名の語呂合わせを生かした企画も行われており、2018年から2019年にかけてはネスレのチョコレート菓子「キットカット」とのコラボレーションによる「キット、願いかなう」ラッピング列車が最もよく知られている。2024年3月には、路線の開業110周年などを記念してキハ40形が国鉄色に復刻された。

年表

  • 191210月1日:宮崎線として、当時鹿児島本線の駅であった吉松から分岐する最初の区間、吉松 - 小林町(現在の小林)間が開業。
  • 19135月11日:小林町 - 谷頭間が開業。10月8日:谷頭 - 都城間が開業し、現在の吉都線にあたる区間が全通。
  • 191610月25日:宮崎線が宮崎まで全通。
  • 19179月21日:宮崎線から宮崎本線に改称。
  • 192312月15日:小倉 - 吉松間の全通により宮崎本線から日豊本線に改称。現在の吉都線は宮崎へ向かう幹線の一部を成した。
  • 19292月1日:西小林駅が開業。
  • 193212月6日:都城 - 隼人間の開業により日豊本線が海岸回りに付け替えられ、内陸の都城 - 吉松間が吉都線として分離。
  • 19595月1日:準急(のちの急行)「えびの」が熊本 - 宮崎間で運転を開始。
  • 19682月21日:えびの地震により線路・鉄橋が被災。29日に復旧。
  • 19744月25日:特急「おおよど」(博多 - 宮崎)が運転開始。4月27日:蒸気機関車の運用が終了し、最終列車はD51形が牽引、ディーゼル機関車に置き換え。
  • 198010月1日:特急「おおよど」が廃止。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継。全線で貨物営業を廃止。
  • 199310月1日:ワンマン運転を開始。
  • 20003月11日:急行「えびの」が廃止され、当線の優等列車がなくなる。
  • 20163月26日:車掌の乗務を廃止し、全列車をワンマン化。
  • 20243月18日:肥薩線120周年・吉都線110周年・指宿枕崎線60周年を記念し、キハ40形を国鉄色に復刻して運転開始。

出典