歴史
甲陽線はもともと阪急の建設計画にはなかった路線で、戦前の阪急と阪神電気鉄道との激しい競争のなかで生まれた。1922年(大正11年)、阪神は子会社として摂津電気自動車を設立し、香櫨園から苦楽園までトロリーバスを建設する免許を取得した。これに対抗して、阪急の直系前身である阪神急行電鉄は同年12月に急遽軌道敷設免許を申請し、1924年に甲陽線を開業させた。結局、阪神のトロリーバスは具体化しなかったが、のちに阪神バスが甲陽園への乗り入れを果たしている。
最初で唯一の区間である夙川 - 甲陽園間は1924年10月1日に、途中駅のない形で開業した。1925年3月8日には途中の越木岩信号所が苦楽園口駅に昇格し、現在の3駅となった。開業当初、甲陽園や隣接する苦楽園は行楽地であり、路線は観光路線の色合いが強かったが、両地区が昭和期に衰退すると、並行する阪急今津線と同様、沿線に誘致された学校への通学客を多く運ぶ路線へと変化した。戦前には「甲陽支線」と表記されることもあった。また1956年に単線自動閉塞化されるまでは、関西の私鉄では珍しいタブレット閉塞を使用していた。
戦後の数十年でいくつかの近代化が進められた。1967年10月8日には架線電圧が600ボルトから直流1,500ボルトへ昇圧され、阪急の他線と統一された。1978年3月10日には全線が軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道へと変更された。1982年3月29日には大型車3両(3ドア車)編成化が行われ、甲陽線を最後の活躍の場としていた800系・920系が引退して、以後、阪急の車両はすべて車体長19メートルの大型車となった。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災により当線は不通となり、約6週間にわたって運転を見合わせたのち、3月1日に夙川 - 甲陽園間が復旧した。1998年10月1日には、今津線南側の西宮北口 - 今津間や伊丹線と同様にワンマン運転が始まった。当線は単線で、両端の駅がいずれも1面1線であるため、同時に走らせられる列車は2編成までであり、輸送力を高めるには編成を長くするのではなく運行間隔を詰めるほかない。
大きな変化は2006年10月28日のダイヤ改正で訪れた。このとき夙川駅に神戸線の特急が停車するようになり、甲陽線のダイヤも特急に接続する形へ改められて、日中の運行間隔が15分から10分へ短縮され、平日18往復・休日15往復の増発となった。西宮北口での乗り継ぎが不要になったことで、日中の甲陽園から大阪梅田までの最短所要時間は27 - 31分から22分へと短縮された。2008年9月20日には甲陽園駅付近で3両編成の普通電車が脱線したが負傷者はなく、翌日午前中まで運休となった。2013年12月21日には全駅に駅ナンバリングが導入された。苦楽園口 - 甲陽園間を地下化して踏切を廃止する計画も検討されたが、地域の反対を受けて2009年に休止と判断された。現在、当線は阪急6000系の3両編成で運転され、苦楽園口駅で列車交換を行っている。
年表
- 1922阪神電気鉄道が摂津電気自動車を設立し、香櫨園 - 苦楽園間のトロリーバス免許を取得。対抗して阪神急行電鉄(阪急の前身)が12月に軌道敷設免許を申請する。
- 192410月1日:甲陽線の夙川 - 甲陽園間が、途中駅のない形で開業する。
- 19253月8日:越木岩信号所が苦楽園口駅に昇格し、当線は3駅となる。
- 1956関西の私鉄では珍しいタブレット閉塞を使用していた当線が、単線自動閉塞化される。
- 196710月8日:架線電圧が600Vから直流1,500Vへ昇圧される。
- 19783月10日:全線が軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道へ変更される。
- 19823月29日:大型車3両(3ドア車)編成化。甲陽線を最後の活躍の場としていた800系・920系が引退する。
- 19951月17日:阪神・淡路大震災により不通となる。約6週間後の3月1日に夙川 - 甲陽園間が復旧する。
- 199810月1日:ワンマン運転が始まる。
- 200610月28日:夙川駅に神戸線特急が停車するようになり、日中の運行間隔が15分から10分へ短縮され、増発される。
- 20089月20日:甲陽園駅付近で3両編成の普通電車が脱線。負傷者はなく、翌日午前中まで運休となる。
- 201312月21日:全駅に駅ナンバリングが導入される。
出典
事実確認日:2026年6月14日