歴史
この路線は富山の市内電車の最初の十年間にさかのぼる。軌道線網は富山電気軌道によって建設され、同社は1912年(大正元年)末に軌道敷設特許を取得し、1913年(大正2年)9月1日に最初の各線を開業した。続いて1915年(大正4年)12月16日に郵便局前 - 呉羽公園間の軌道特許状が下付され、1916年(大正5年)11月22日に呉羽線が、郵便局前から招魂社裏・安野屋町を経て呉羽公園に至る区間で開業した。このように当初の呉羽線は、現在残る区間よりもかなり長く、神通川の西側を呉羽方面へと延びていた。
軌道線の経営は、本線の初期の数十年に二度移った。経営不振に悩んだ富山電気軌道は、1920年(大正9年)7月1日に富山市へ譲渡され、富山市営軌道となった。民営となった現在まで残る「市電」という呼び名は、この市営時代に由来する。続いて1943年(昭和18年)1月1日、戦時下の陸上交通事業調整法に基づき、軌道線網全体が富山地方鉄道に譲渡され、以後同社が運営を続けている。この頃には安野屋町停留場が単に安野屋へと改称され、その後継の停留場は現在もその名で呼ばれている。
第二次世界大戦は呉羽線を大きく短縮させた。最も西の陸軍病院前 - 呉羽公園間は1944年(昭和19年)5月17日に休止されてそのまま復旧せず、新富山駅前 - 陸軍病院前間も1945年(昭和20年)1月10日に休止され、うち大学前 - 陸軍病院前間も復旧されずに廃止された。さらに1945年(昭和20年)8月2日の富山大空襲により軌道線は全線が休止に追い込まれた。復旧は1946年(昭和21年)5月15日に始まり、この日に呉羽線の新富山駅前 - 越前町間が営業を再開した。
路線は1950年代に再び姿を変えた。1952年(昭和27年)8月5日には新たに安野屋線(丸の内 - 安野屋)が開業し、同じ日に呉羽線の東側の旅篭町 - 護国神社前 - 安野屋間が廃止されて、古い内側の経路は新線に置き換えられた。代わりに西側の生き残った区間が再建され、1954年(昭和29年)3月20日に呉羽線の新富山駅前 - 大学前間が営業を再開し、五福停留場が大学前に改称され、球場前停留場が新設された。これ以降、この路線の役割は市中心部と富山大学とを結ぶ旅客輸送に落ち着いていった。
洪水と脆弱な渡河橋が、この路線のその後の歩みを左右した。1969年(昭和44年)7月2日、豪雨により神通川に架かる富山大橋が一部陥没し、呉羽線の安野屋 - 新富山駅前間は休止を余儀なくされた。同年10月1日には短い球場前 - 大学前間が廃止され、球場前そのものが大学前へと改称された。橋は復旧し、安野屋 - 新富山駅前間は1970年(昭和45年)6月25日に営業を再開した。この地区に乗り入れていた射水線の電車は、同線が1980年に廃止された際に乗り入れを終え、新富山駅前は新富山へと改称された。
この路線の近代的な転機は、富山大橋の架け替えとともに訪れた。古く幅の狭い橋では軌道線の大型の低床車両が渡れなかったため、安野屋から大学前に至るおよそ1.2キロメートルの区間は、長らく単線かつ旧型車両のみという制約が課されていた。旧橋の下流側に並べて新設された全く新しい橋が2012年(平成24年)3月24日に開通し、これに伴い安野屋 - 新富山間がようやく複線化され、鵯島信号所が廃止され、安野屋・新富山の両停留場が移設されて、保有する全車両がこの区間で運用できるようになった。
その後、この路線の終端の停留場は、富山市の路面電車を生かしたまちづくりに合わせて改称が続いた。2015年(平成27年)に北陸新幹線が高架化された富山駅に到達した際、新富山は富山トヨペット本社前(五福末広町)に改称され、2020年(令和2年)3月21日には、再整備された富山駅を挟んで富山港線との直通運転が始まるのに合わせ、この路線の終点・大学前が富山大学前へと改称された。途中の停留場は、2021年(令和3年)1月1日にトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)へと再度改称された。現在、呉羽線は市内を横断する電車(2系統、および富山港線へ直通する5系統)を富山大学まで運んでいる。
年表
- 191512月16日:郵便局前 - 呉羽公園間の軌道特許状が下付される(後の呉羽線)。
- 191611月22日:呉羽線が郵便局前 - 招魂社裏 - 安野屋町 - 呉羽公園間で開業する。
- 19207月1日:経営不振により富山電気軌道が富山市に譲渡され、富山市営軌道となる。
- 19431月1日:陸上交通事業調整法に基づき、軌道線が富山地方鉄道に譲渡される(以後の運営者)。
- 19445月17日:呉羽線の最も西の陸軍病院前 - 呉羽公園間が休止され、復旧せずそのまま廃止となる。
- 19451月10日:呉羽線の新富山駅前 - 陸軍病院前間が休止(大学前 - 陸軍病院前は復旧されず廃止)。8月2日には富山大空襲により全線が休止する。
- 19465月15日:呉羽線の新富山駅前 - 越前町間が営業を再開する。
- 19528月5日:安野屋線(丸の内 - 安野屋)が開業し、同日に呉羽線の東側の旅篭町 - 護国神社前 - 安野屋間が廃止される。
- 19543月20日:呉羽線の新富山駅前 - 大学前間が営業を再開。五福停留場を大学前に改称し、球場前停留場を新設する。
- 19697月2日:豪雨により富山大橋が一部陥没し、呉羽線の安野屋 - 新富山駅前間が休止。10月1日には球場前 - 大学前間が廃止され、球場前が大学前に改称される。
- 19706月25日:富山大橋が復旧し、呉羽線の安野屋 - 新富山駅前間が営業を再開する。
- 19804月1日:射水線の廃止により同線の乗り入れが中止となり、新富山駅前停留場が新富山停留場に改称される。
- 20123月24日:富山大橋の架け替えに伴い安野屋 - 新富山間が複線化される(従来は単線で旧型車両のみ)。鵯島信号所が廃止され、安野屋・新富山の両停留場が移設される。
- 20153月14日:北陸新幹線が高架化された富山駅に到達するのに合わせ、新富山が富山トヨペット本社前(五福末広町)に改称される。
- 20203月21日:富山駅を挟んで市内電車と富山港線との直通運転が開始され、呉羽線の終点・大学前が富山大学前に改称される。
- 20211月1日:途中の停留場がトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)に改称される。
出典
事実確認日:2026年6月14日