歴史
この路線は、摩耶山の忉利天上寺への参詣路線として建設され、1925年1月6日に摩耶鋼索鉄道によって高尾駅(現在の摩耶ケーブル駅) - 摩耶駅(現在の虹駅)間が開業した。会社は開業前から、高尾よりさらに山麓まで延びる路線の免許もあわせて取得していたが、この下側の区間が建設されることはなかった。
日本の他の山岳鉄道と同様に、この路線も自然災害と戦時の不要不急方針によってたびたび打撃を受けた。1938年7月の阪神大水害では同年8月4日まで運休を余儀なくされた。太平洋戦争中には不要不急線に指定されて1944年2月11日から休止となり、軌道も翌年にかけて撤去された。運行が再開されたのは1955年5月7日で、高尾 - 摩耶間の運行が再開され、2代目の車両が運行を開始した。1956年11月には、建設されないままだった高尾以遠の延伸免許がついに返上された。
戦後の数十年を通じて、この路線は山岳観光・参詣路線としての役割に落ち着く一方で、なおも苦難に見舞われ続けた。1967年7月には水害により数日間の運休となった。1973年2月1日には高尾駅が摩耶ケーブル下駅と改称され、1975年10月29日には運営会社が六甲越有馬鉄道と合併して六甲摩耶鉄道の路線となった。大きな打撃となったのは1976年1月30日で、忉利天上寺が放火によってほぼ全焼し、ケーブルカーが本来輸送するために建設された参詣客の流れが途絶えた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災はこの路線に被害を与え、復旧の見通しが立たないまま長期にわたって休止された。2000年4月25日には、すでに摩耶ロープウェーを所有・運行していた神戸市都市整備公社へ譲渡され、同年6月に復旧工事が始まった。ケーブルカーは2001年3月17日に摩耶ロープウェーとともに運行を再開し、同時に摩耶ケーブル下駅が摩耶ケーブル駅に、摩耶駅が虹駅に改称され、公式通称「虹の駅」を使用するようになり、車両も新しい塗装に変更された。
この路線は、リニューアル工事のため2012年12月1日から再び運休した。2013年1月1日には運営者が神戸すまいまちづくり公社に改称され、2013年3月30日に工事を終えた路線が3代目の車両とともに運行を再開した。運営者は2022年5月1日にさらに神戸住環境整備公社へと改称された。
2023年、この路線は現在の運営体制へと移った。同年3月18日からは発車メロディが松田聖子の「赤いスイートピー」に変更された(それまでは六甲ケーブル線と同じものだった)。当初は11月末までの期間限定とされたが、その後も引き続き使用されている。そして2023年4月1日、摩耶ケーブル線は摩耶ロープウェー・六甲有馬ロープウェイとともに、現在運営にあたるこうべ未来都市機構へ移管された。
年表
- 19251月6日:摩耶鋼索鉄道が、摩耶山の忉利天上寺への参詣路線として高尾駅(現在の摩耶ケーブル駅) - 摩耶駅(現在の虹駅)間を開業。
- 19387月5日:阪神大水害により運休し、8月4日まで運休が続く。
- 19442月11日:不要不急線として高尾 - 摩耶間が休止。翌年にかけて軌道も撤去される。
- 19555月7日:高尾駅 - 摩耶駅間が運行再開。2代目車両が運行を開始。
- 195611月2日:開業前に取得していた高尾駅からさらに麓までの路線の免許を返上する。
- 19677月9日:大水害により7月15日まで運休する。
- 19732月1日:高尾駅を「摩耶ケーブル下駅」と改称。
- 197510月29日:六甲越有馬鉄道と合併し、六甲摩耶鉄道の路線となる。
- 19761月30日:忉利天上寺が放火のためほぼ全焼し、参詣客の乗車がなくなる。
- 19951月17日:阪神・淡路大震災で被災し、復旧の見通しが立たないまま長期休止となる。
- 20004月25日:摩耶ロープウェーを所有・運行する神戸市都市整備公社へ譲渡され、同公社の路線となる。6月5日には復旧工事に着手。
- 20013月17日:摩耶ロープウェーとともに運行再開。摩耶ケーブル下駅を「摩耶ケーブル駅」、摩耶駅を「虹駅」と改称し、虹駅は公式通称「虹の駅」の使用を開始。車両の塗装も変更。
- 20132012年12月1日からのリニューアル運休を経て、3月30日に3代目車両とともに運行を再開。運営者は1月1日に神戸すまいまちづくり公社へ改称されていた。
- 20225月1日:運営者が神戸すまいまちづくり公社から神戸住環境整備公社へ改称される。
- 20234月1日:摩耶ロープウェー・六甲有馬ロープウェイとともにこうべ未来都市機構へ移管。3月18日からは発車メロディが松田聖子の「赤いスイートピー」に変更されている。
出典
事実確認日:2026年6月14日