歴史
宮崎空港は1956年(昭和31年)に民間に開放されたが、その後長らく直接乗り入れるアクセス線は存在しなかった。遠い前例はある。1954年(昭和29年)から1962年(昭和37年)まで、今日の日南線の前身にあたる宮崎交通線に飛行場前駅(飛行場駅とも記される)が置かれ、飛行場への最寄り駅となっていた。宮崎交通線の廃止に伴って同駅も廃され、その跡地に建設された日南線には同駅は設けられなかったため、空港は鉄道との接続を失っていた。
専用の空港線を求める機運は、企業の輸送問題とある悲劇から生まれた。延岡市に創業地の工場群を持つ旭化成は、大阪・東京の本社との間で社員の出張が多かったが、当時の宮崎・延岡間には高速の鉄道連絡も高速道路もなく、鉄道も空港には達していなかった。その隙間を埋めるため、同社は1989年(平成元年)3月、延岡工場と宮崎空港とをおよそ25分で結ぶヘリコプター航路を開設した。この航路は年間およそ1万5千人の社員と6千人の訪問者を運ぶ見込みであったという。
1990年(平成2年)9月27日、その社内定期便の一つが宮崎空港から延岡ヘリポートへ向かう途中で墜落し、乗員乗客全員が死亡する事故が発生した(阪急航空チャーター機墜落事故)。ヘリコプターの運航は断念され、その後、日豊本線の高速化と、空港の至近を通る日南線を空港アクセスに活用する構想とをめぐって、地域の交通改善の気運が一気に高まった。
連絡線の建設は1994年(平成6年)7月28日に着工し、空港へのジェット便就航から30年を経た1996年(平成8年)7月18日に開業した。開業と同時に、日南線との分岐点付近に田吉駅が本路線の起点として再開業した。田吉駅はかつて1971年に廃止されていた駅である。この開業により、34年ぶりに空港アクセス路線が復活し、宮崎空港が自前の駅を持たなかった長い時代に終止符が打たれた。
開業後、路線は段階的に近代化されていった。2003年(平成15年)10月1日にワンマン運転が始まり、2015年(平成27年)11月14日には、この路線を含む宮崎エリアで非接触式ICカード「SUGOCA」が利用できるようになった。リアルタイムの列車位置情報もこれに続いた。JR九州のスマートフォンアプリ内の位置情報機能が2016年(平成28年)12月22日に運用を開始し、さらに「JR九州トレインナビ」が2026年(令和8年)1月26日にサービスを開始した。新型コロナウイルス感染症の流行により、2020年(令和2年)3月20日から4月23日まで一時的に減便が実施された。
運営面では、この路線は2022年(令和4年)4月1日に、JR九州の鹿児島支社から新たに発足した宮崎支社の管轄へと移った。2026年(令和8年)3月14日のダイヤ改正は日中の運行を一新し、観光列車「海幸山幸」の下り列車が当線へ乗り入れて宮崎空港駅に停車を開始するとともに、日中帯にパターンダイヤが導入され、短い空港線に特急と普通が30分ごとに走る規則的な運行体系が整えられた。
年表
- 1956宮崎空港が民間に開放されるが、直接乗り入れる鉄道はなかった。
- 19621954年以来、飛行場の最寄りであった宮崎交通線の飛行場前駅が、同線の廃止に伴い廃止。跡地の日南線には駅は設けられなかった。
- 19893月:旭化成が、鉄道・高速道路の連絡がないことを補うため、延岡工場と宮崎空港を約25分で結ぶヘリコプター航路を開設。
- 19909月27日:宮崎空港から延岡へ向かう旭化成の社内定期便が墜落し、乗員乗客全員が死亡(阪急航空チャーター機墜落事故)。空港至近の日南線を活用した鉄道アクセスの気運が高まる。
- 19947月28日:連絡線が着工。
- 19967月18日:1.4kmの路線が、空港へのジェット便就航から30年を経て開業。起点として田吉駅(1971年廃止)が再開業し、34年ぶりに空港アクセスが復活。
- 200310月1日:当線でワンマン運転を開始。
- 201511月14日:当線を含む宮崎エリアでICカード「SUGOCA」が利用可能になる。
- 201612月22日:JR九州アプリ内の列車位置情報システム「どれどれ」の運用を開始し、リアルタイムで列車位置情報を配信。
- 20203月20日 - 4月23日:新型コロナウイルス感染症による利用客減少に伴い、減便等を実施。
- 20224月1日:宮崎支社の発足に伴い、当線の管轄が鹿児島支社から宮崎支社へ移管。
- 20261月26日:リアルタイム列車位置情報システム「JR九州トレインナビ」のサービスを開始。3月14日:ダイヤ改正により観光列車「海幸山幸」の下り列車が当線に乗り入れて宮崎空港駅に停車を開始し、日中帯に30分間隔のパターンダイヤを導入。
出典
事実確認日:2026年6月14日