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宮津線

Miyazu Line

宮津線(みやづせん)は、京都府北部と兵庫県東部を日本海沿岸に沿って走る営業キロ83.6キロメートルの鉄道路線で、舞鶴市の西舞鶴駅を起点に、宮津を経て日本三景として名高い天橋立のそばを通り、兵庫県の豊岡駅へと至る。駅数は19駅、軌間は1,067ミリメートルの狭軌で、全線が単線である。現在は公有民営の上下分離方式で運行されており、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が第二種鉄道事業者として列車を運行し、第三セクターの北近畿タンゴ鉄道(KTR)が第三種鉄道事業者として鉄道施設を保有している。丹後半島の付け根を通り、日本三景の一つである天橋立をはじめとする観光地への足となっている。

10 km
宮津線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は私鉄ではなく国によって建設された。鉄道建設を求めていた地元の人々は、民営による建設と運営の難しさを感じて国による建設を訴える方向に転じ、これをうけて1918年(大正7年)の帝国議会で、舞鶴(現在の西舞鶴駅)と峰山を結ぶ峰山線(みねやません)の建設予算案が通過した。当初の計画では志高で由良川を渡り、その左岸に沿って下るルートであったが、上流の地区から、橋が水流の障害となって洪水を引き起こすことへの強い懸念が示されたため、再調査の結果、1921年(大正10年)7月に、神崎まで右岸に沿って下り、河口付近で由良川を横断する計画へと改められた。

工事は舞鶴側から進められた。最初の区間である舞鶴(現在の西舞鶴駅) - 宮津間(15.5マイル、約24.94キロメートル)は、1924年(大正13年)4月12日に鉄道省によって宮津線として開業し、四所・東雲・丹後由良・栗田・宮津の各駅が設けられた。その後、路線は段階的に西へと延伸され、1925年(大正14年)7月31日に丹後山田(現在の与謝野駅)まで、同年11月3日に峰山まで、1926年(大正15年)12月25日に網野まで達した。

開業まもない鉄道は、ほどなく災害に見舞われた。1927年(昭和2年)3月7日、峰山・網野を中心に死者約2,925人を出した北丹後地震(マグニチュード7.3)により、舞鶴 - 網野間が不通となった。復旧は早く、路線は復旧復興の物資・人員輸送を担い、8日には天橋立まで、9日には丹後山田まで、14日には網野 - 口大野間が復旧し、3月21日に全面復旧した。

路線の西半分は、豊岡側から工事が進められた峰豊線(みねとよせん)として別に建設された。豊岡 - 久美浜間が1929年(昭和4年)12月15日に、網野 - 丹後木津間が1931年(昭和6年)5月25日に開業した。1932年(昭和7年)8月10日には最後の区間である丹後木津 - 久美浜間が開通し、峰豊線が全通して宮津線に編入され、舞鶴 - 豊岡間の全体が宮津線となった。舞鶴駅は1944年(昭和19年)4月1日に西舞鶴駅に改称された。

長年にわたり、この路線は国の鉄道によって運営された。鉄道省、続いて日本国有鉄道(国鉄)が運営し、1949年(昭和24年)6月1日に国鉄へ移管された。京都府内の国鉄線では最後の蒸気機関車運転区間であり、その運用は1972年(昭和47年)10月1日に終了した。国鉄の経営悪化に伴い、当線は1980年(昭和55年)の国鉄再建法により特定地方交通線(第3次)に指定され、国による運営からの転換の対象となった。貨物営業は1985年(昭和60年)3月14日に廃止され、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、当線は西日本旅客鉄道(JR西日本)へ移管された。

その後、予定されていた第三セクターへの移管が行われた。建設途中だった宮福線を引き受けるために設立された宮福鉄道は1989年(平成元年)に北近畿タンゴ鉄道へ商号変更し、1990年(平成2年)4月1日に宮津線の運営を承継した。これに伴い営業キロが84.0キロメートルから83.6キロメートルへと変更され、丹後山田駅が野田川駅に、丹後木津駅が木津温泉駅に改称され、特急「タンゴエクスプローラー」が運転を開始した。宮津線は、最後までJR運営で残った特定地方交通線の一つであり、同日に転換された鍛冶屋線・大社線とともに、特定地方交通線全線の転換を締めくくった。宮福線の電化・高速化事業に関連して、宮津 - 天橋立間が1996年(平成8年)3月16日に直流1,500ボルトで電化・高速化され、京都や大阪方面から特急「はしだて」「文殊」などの電車特急が天橋立まで乗り入れるようになった。

過疎化やマイカー化、高速道路の延伸との競合により赤字が積み重なり、特に天橋立 - 豊岡方面で乗客減が顕著となったため、北近畿タンゴ鉄道の経営主体である京都府は、兵庫県や地元自治体とともに検討を開始した。検討会は上下分離方式の導入を提言し、2015年(平成27年)4月1日、鉄道運行事業が北近畿タンゴ鉄道から、WILLER ALLIANCEの子会社であるWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)へ移譲された。新たな体制では京都丹後鉄道が第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道が第三種鉄道事業者となり、上下分離方式による運行が始まった。同時に、宮舞線(西舞鶴 - 宮津間)・宮豊線(宮津 - 豊岡間)の路線愛称が付けられ、路線記号と駅番号が設定されたほか、野田川駅を与謝野駅、丹後大宮駅を京丹後大宮駅、木津温泉駅を夕日ヶ浦木津温泉駅、甲山駅をかぶと山駅とするなど、いくつかの駅が改称された。

年表

  • 19244月12日:鉄道省が最初の区間である舞鶴(現・西舞鶴)- 宮津間(15.5マイル≒24.94km)を宮津線として開業。四所・東雲・丹後由良・栗田・宮津の各駅が開業。
  • 19257月31日:宮津 - 丹後山田(現・与謝野)間(約10.94km)が延伸開業。天橋立・岩滝口・丹後山田の各駅が開業。
  • 192511月3日:丹後山田 - 峰山間(約12.55km)が延伸開業。口大野(現・京丹後大宮)・峰山の各駅が開業。
  • 192612月25日:峰山 - 網野間(約7.24km)が延伸開業。網野駅が開業。
  • 19273月7日:北丹後地震(M7.3、峰山・網野を中心に死者約2,925人)で舞鶴 - 網野間が不通となるが、3月21日に全面復旧。
  • 192912月15日:豊岡 - 久美浜間(約11.91km)が峰豊線として開業。但馬三江(現・コウノトリの郷)・久美浜の各駅が開業。
  • 19315月25日:網野 - 丹後木津間(5.6km)が開業。丹後木津(現・夕日ヶ浦木津温泉)駅が開業。
  • 19328月10日:最後の丹後木津 - 久美浜間(10.8km)が開業して峰豊線が全通・編入され、舞鶴 - 豊岡間が宮津線となる。丹後神野(現・小天橋)駅が開業。
  • 19444月1日:舞鶴駅を西舞鶴駅に改称。
  • 19496月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。
  • 197210月1日:京都府内の国鉄線で最後の蒸気機関車運転(西舞鶴機関区の9600形)が終了。
  • 19853月14日:貨物営業廃止。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)に移管。1980年の国鉄再建法により第3次特定地方交通線に指定されていた。
  • 19904月1日:第三セクターの北近畿タンゴ鉄道(KTR)に移管。営業キロが84.0→83.6kmに変更され、丹後山田駅を野田川駅に、丹後木津駅を木津温泉駅に改称。特急「タンゴエクスプローラー」が運転開始。
  • 19963月16日:宮津 - 天橋立間が直流1,500Vで電化・高速化開業。JR西日本の電車特急「はしだて」「文殊」が運転開始。
  • 20154月1日:鉄道運行事業が北近畿タンゴ鉄道からWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)へ移譲され、京都丹後鉄道を第二種、北近畿タンゴ鉄道を第三種とする上下分離方式による運行を開始。路線愛称を宮舞線(西舞鶴 - 宮津間)・宮豊線(宮津 - 豊岡間)とし、いくつかの駅を改称。

出典