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流山線

Nagareyama Line

流山線(ながれやません)は、千葉県を走る流鉄の短い通勤鉄道路線である。全長5.7キロメートル、軌間1,067ミリメートルの単線で、直流1,500ボルトで電化されており、松戸市にあり東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線との乗換駅でもある馬橋駅と、流山市の流山駅とを結び、全部で6駅を有する。流鉄が運営する唯一の路線であり、この点でこの会社は珍しい存在で、目立った関連事業を持たないまま1本の短い路線だけを運行する独立した鉄道事業者である。流山の旧来の中心部が幹線である常磐線から離れているため、この鉄道は町と全国の鉄道網とを結ぶ、町自身の連絡線として発達した。

千葉松戸市流山市三郷市2 km
流山線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

路線敷設の契機は、幹線鉄道が町を迂回したことにあった。1896年、日本鉄道土浦線(後の常磐線)の田端 - 土浦間が開通したが、流山の人々はこれを利用するために徒歩約2時間かけて松戸駅へ向かわねばならず、1898年の馬橋駅、1911年の北小金駅の開業により徒歩の時間は短縮されたものの解消はされず、「流山にも鉄道を」という気運が高まっていった。秋元平八ら地元の商工人を中心とする一団は1912年9月17日に鉄道敷設免許を申請し、1913年7月1日付で発起人に対し軽便鉄道の免許状が下付された。

1913年11月7日、資本金7万円で流山軽便鉄道株式会社が設立された。用地の買収と建設が続き、1916年3月14日に馬橋 - 流山間が開業した。軌間762ミリメートルの軽便鉄道として敷かれた5.7キロメートルの路線で、馬橋・大谷口・鰭ヶ崎・流山の4駅を有していた。会社の株主や社員の多くが、一種の地域分担金として株を買った流山の住民であったことから、この鉄道は地元で「町民鉄道」と呼ばれるようになった。1922年11月には社名が流山鉄道に変更された。

全国の鉄道網から貨車を直通させるため、1924年12月に軌間が762ミリメートルから日本の標準である1,067ミリメートルへ改軌され、常磐線との貨車直通運転が始まった。貨物の重要性は高まり、1929年には流山から萬上みりん工場への引込線が完成し、近隣に陸軍の糧秣廠が建設されたことで、町は軍用鉄道としての役割も担うようになった。太平洋戦争中、町は空襲の標的となり、1945年7月17日には走行中の列車が米軍の艦載機による機銃掃射を受け、機関士が重傷を負い、列車には約40か所に着弾の跡が残った。

戦後、石炭やガソリンの不足により列車の運行が困難になったため、会社は電力へと転換した。1949年12月に全線の電化が完成し、日本国有鉄道(国鉄)から直流1,500ボルトの電力を購入した。同線は、変電所を自前で持たない日本唯一の電化私鉄として長年にわたり知られていた。会社と株主の交替に伴い、社名変更が相次ぎ、1951年に流山電気鉄道、1967年に流山電鉄、1971年に総武流山電鉄となった。この間も路線は着実に整備され、1953年に小金城趾駅、1961年に幸谷駅が開業し、1967年には小金城趾駅の列車交換設備が使用を開始した。

かつて田園地帯であった沿線が通勤者向けの宅地で埋まるにつれて乗客数は増加したが、路線の貨物事業は道路輸送の普及と1973年の並行する国鉄武蔵野線の開業によって衰え、1977年に貨物営業は廃止された。1982年には信号方式がタブレット閉塞式から単線自動閉塞式へと近代化され、1986年には最高速度が45キロメートル毎時から55キロメートル毎時へ引き上げられ、1990年には会社自前の西平井変電所が路線への直流1,500ボルト電力の供給を開始した。2008年8月1日、会社は社名を流鉄に変更し、路線の正式名称も、駅で長く使われてきた略称である流山線へと、総武流山線から改められた。

2005年8月のつくばエクスプレスの開業は路線に大きな打撃を与え、乗客を奪って利用者数を大きく減少させた。流鉄はこれに対し経費節減で応じ、2010年に終日のワンマン運転を開始し、2011年には最後の3両編成が引退して、すべての列車が2両編成のワンマン運転となった。2014年7月には小金城趾 - 幸谷間の踏切で衝突事故が起き、列車が脱線して、衝突した自動車に乗っていた2人が死亡した。2024年、会社は運賃を改定したが、これは消費税増税分を除けば34年6か月ぶりの値上げであり、流鉄は1本の5.7キロメートルの路線を流山と広域鉄道網とを結ぶ連絡線として運行し続けている。

年表

  • 189612月25日:日本鉄道土浦線(後の常磐線)の田端 - 土浦間が開通し、流山町の中心部を迂回する。
  • 19129月17日:秋元平八ら地元の商工人により鉄道敷設免許申請が提出される。
  • 19137月1日:発起人に対し軽便鉄道の免許状が下付される。11月7日:資本金7万円で流山軽便鉄道株式会社が設立される。
  • 19163月14日:馬橋 - 流山間が軌間762mmの軽便鉄道として開業(5.7km、馬橋・大谷口・鰭ヶ崎・流山の4駅)。
  • 192211月15日:社名を流山鉄道に変更。
  • 192412月25日:軌間を762mmから1,067mmに改軌し、常磐線との貨車直通運転を開始。
  • 19293月3日:流山駅から萬上みりん工場への引込線(万上線)が完成。
  • 19457月17日:走行中の列車が米軍機の機銃掃射を受け、機関士が重傷を負う。列車には約40か所に着弾の跡が残る。
  • 194912月26日:国鉄からの直流1,500V電力購入により全線を電化。変電所を持たない日本唯一の電化私鉄として長年運行する。
  • 195111月28日:社名を流山電気鉄道に変更。
  • 195312月24日:小金城趾駅が開業し、大谷口駅が廃止される。
  • 19612月3日:幸谷駅が開業。
  • 19676月20日:社名を流山電鉄に変更。7月1日、小金城趾駅で列車交換運転を開始(閉塞方式はタブレット式)。
  • 19711月20日:社名を総武流山電鉄に変更。
  • 19734月1日:国鉄武蔵野線の府中本町 - 新松戸間が開業し、流山線の乗客数に影響が出る。
  • 19774月1日:貨物営業を廃止。
  • 198212月1日:信号保安設備をタブレット式から単線自動閉塞式に変更。
  • 19862月17日:最高速度を45km/hから55km/hに引き上げ。
  • 19902月:西平井変電所が稼働し、自社で直流1,500V電力を供給開始。
  • 20058月24日:つくばエクスプレスが全線開業し、以後、流山線の乗客数は大きく減少する。
  • 20088月1日:社名を流鉄に変更し、同時に路線名を総武流山線から流山線に変更。
  • 20101月23日:終日ワンマン運転を開始。
  • 20115月15日:最後の3両編成が引退し、全車両が2両編成のワンマン運転となる。
  • 20147月11日:小金城趾 - 幸谷間の踏切で乗用車との衝突により電車が脱線し、乗用車の2人が死亡する事故が起こる。
  • 20244月1日:運賃を改定。消費税増税分を除くと34年6か月ぶりの値上げ。

出典