歴史
磐井地方と気仙地方を結ぶこの区間は、私設の「磐仙鉄道」「磐仙軽便鉄道」として二度計画されたが、いずれも資金が集まらず、一切の線路が敷かれないまま頓挫した。最終的に建設を担ったのは国であった。1918年(大正7年)に軽便鉄道法により一ノ関 - 気仙沼間が認可され、翌年には大船渡までの延伸が追加された。建設は1920年の測量開始から始まり、その後およそ15年をかけて一ノ関から区間ごとに延ばされていった。
大船渡線は、政治家が自分の地元へ鉄道を引き込む「我田引鉄」の代表例である。陸中門崎駅から千厩駅にかけての区間はあまりに曲がりくねっており、「鍋弦線」と揶揄された。当初の計画では門崎から真っ直ぐ千厩へ抜けることになっていたが、岩手県出身の首相・原敬率いる立憲政友会の後押しを受け、千厩の北にある摺沢から立候補して1920年の総選挙で当選した佐藤良平により、摺沢を経由して千厩を通らず直接大船渡へ向かうよう計画が変更された。これに対し千厩は対立する憲政会を頼って誘致を進め、1924年の総選挙で憲政会が勝利すると、計画は再び変更されて路線は摺沢から千厩へと折り返すこととなり、今日まで残るジグザグが生まれた。この迂回によって、線路は沿岸と内陸を結ぶ最短路という役割こそ果たせなかったが、人口の多い旧大東地域や、日本百景に選ばれた石灰岩の景勝地・猊鼻渓を経由することにもなった。
建設は一ノ関から着実に進んだ。最初の区間である一ノ関 - 摺沢間(30.6キロメートル)は1925年(大正14年)7月26日に開業し、続いて摺沢 - 千厩間(9.2キロメートル)が1927年7月15日、千厩 - 折壁間(9.9キロメートル)が1928年9月2日、折壁 - 気仙沼間(12.3キロメートル)が1929年7月31日に開業して、内陸区間が完成した。その後、建設は沿岸沿いに再開され、気仙沼 - 上鹿折間(7.5キロメートル)が1932年3月19日、上鹿折 - 陸前矢作間(10.0キロメートル)が1933年2月15日、陸前矢作 - 細浦間(17.6キロメートル)が1933年12月15日、細浦 - 大船渡間(6.0キロメートル)が1934年9月3日に開業した。最後の区間である大船渡 - 盛間(2.6キロメートル)が1935年(昭和10年)9月29日に開業し、一ノ関 - 盛間が全通した。
日本国有鉄道(国鉄)時代には、仙台と三陸海岸南部の諸都市を結ぶ急行列車も設定されたが、並行する道路に到底かなわない線形の悪さが次第に災いした。貨物営業は縮小され、大船渡 - 盛間が1983年3月1日に、陸中松川 - 大船渡間が1984年2月1日に廃止された。1987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、一ノ関 - 盛間の全線はJR東日本が第一種鉄道事業者として承継し、日本貨物鉄道(JR貨物)が一ノ関 - 陸中松川間の第二種鉄道事業者となった。1992年(平成4年)、JR東日本は路線の愛称を公募した。当時アニメ『ドラゴンボール』が放映されていたこともあり、小学生らの票が「ドラゴンレール」に集まり、曲がりくねった線形が神龍の姿になぞらえられたうえ、沿線の龍伝説とも相まって、「ドラゴンレール大船渡線」が採用された。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災は、全線の運行を止めた。沿岸区間は津波の被害が最も大きく、竹駒駅から細浦駅にかけての各駅と大船渡駅の駅舎が流失し、陸前矢作 - 竹駒間の気仙川橋梁が橋脚から押し流されるなど3箇所の橋梁が流失した。大船渡駅や盛駅では列車が津波で冠水したが、乗客・乗務員は全員避難しており無事だった。海から離れた内陸の一ノ関 - 気仙沼間は2011年4月1日に運転を再開したが、4月7日の余震により再び不通となり、4月18日に再開した。
沿岸での早期の鉄道復旧の見込みが立たないなか、分断された気仙沼 - 盛間はバス高速輸送システム(BRT)に転換された。旧線路敷を用いたBRT「大船渡線BRT」は2013年3月2日に運行を開始し、鹿折唐桑から陸前高田付近にかけての区間は海岸寄りへ大きく経路変更された。JR東日本はのちに鉄道復旧費を総額およそ400億円と見積もり、利用者の減少も踏まえてこれを断念した。2019年11月12日、同社は気仙沼 - 盛間の鉄道事業廃止を届け出て、廃止予定日が繰り上げられた結果、この沿岸の43.7キロメートルは2020年4月1日をもって正式に鉄道として廃止された。こうして大船渡線は、今日見られる内陸62.0キロメートルの鉄道となり、沿岸の区間はBRTが担っている。
年表
- 19183月:先行する2つの私設計画(磐仙鉄道・磐仙軽便鉄道)が資金難で頓挫したのち、軽便鉄道法により一ノ関 - 気仙沼間が大船渡線として国に認可される。
- 19193月:大船渡線の気仙沼 - 大船渡間への延伸が認可される。
- 19257月26日:最初の区間である一ノ関 - 摺沢間(30.6km)が開業。真滝・陸中門崎・陸中松川・摺沢の各駅を新設。
- 19277月15日:摺沢 - 千厩間(9.2km)が延伸開業。政治的に争われた、千厩へ折り返す区間でジグザグが生まれた。
- 19289月2日:千厩 - 折壁間(9.9km)が延伸開業。小梨・矢越・折壁の各駅を新設。
- 19297月31日:折壁 - 気仙沼間(12.3km)が延伸開業し、気仙沼までの内陸区間が完成。
- 19323月19日:沿岸区間の建設が始まり、気仙沼 - 上鹿折間(7.5km)が延伸開業。
- 19332月15日に上鹿折 - 陸前矢作間(10.0km)、12月15日に陸前矢作 - 細浦間(17.6km)が延伸開業。後者で竹駒・陸前高田・脇ノ沢・小友・細浦の各駅を新設。
- 19349月3日:細浦 - 大船渡間(6.0km)が延伸開業。下船渡・大船渡の各駅を新設。
- 19359月29日:最後の区間である大船渡 - 盛間(2.6km)が盛駅とともに開業し、一ノ関 - 盛間(105.7km)が全通。
- 19833月1日:大船渡 - 盛間の貨物営業を廃止(陸中松川 - 大船渡間は1984年2月1日に廃止)。
- 19874月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東日本が一ノ関 - 盛間全線を第一種鉄道事業者として承継、JR貨物が一ノ関 - 陸中松川間の第二種鉄道事業者となる。
- 1992JR東日本が路線の愛称を公募。当時放映中のアニメ『ドラゴンボール』もあり、曲がりくねった線形を神龍になぞらえて「ドラゴンレール大船渡線」が採用される。
- 20113月11日:東日本大震災により全線が不通となり、沿岸の駅や橋梁3箇所が流失。内陸の一ノ関 - 気仙沼間は4月1日に運転再開、4月7日の余震で再び不通となり、4月18日に再開。
- 20133月2日:分断された気仙沼 - 盛間の旧線路敷でBRT(大船渡線BRT)の運行を開始。
- 20204月1日:2019年11月12日の廃止届(廃止日繰り上げ)を経て、気仙沼 - 盛間(43.7km)が正式に鉄道として廃止。内陸62.0kmが鉄道として残り、沿岸はBRTが担う。
出典
事実確認日:2026年6月14日