歴史
この路線は当初から一つの鉄道だったわけではなく、二つの別個の私鉄事業から発展したものである。古いほうは小野田軽便鉄道で、1915年11月25日にセメント工場へ向けて小野田 - セメント町(現在の小野田港)間の2.9マイルを開業した。同社は1923年6月25日に小野田鉄道と改称した。もう一方の事業は宇部電気鉄道で、1929年5月16日に宇部港から新沖山方面への電化路線を600ボルトで開業し、1937年1月21日には雀田 - 本山間の電化支線を、こちらも600ボルトで開設した。
戦時中の国有化により、二つの事業は国の管理下に置かれた。宇部電気鉄道はまず1941年に宇部鉄道に合併され、続いて小野田鉄道が1943年4月1日に国有化されて小野田線となり、宇部鉄道も1943年5月1日に国有化されてその路線は宇部西線となった。1947年に小野田港 - 雀田間の新区間が二つの部分をつなぎ合わせ、その後、旧来の新沖山駅は廃止されて路線網が再編され、1948年2月には統合された路線が小野田線と改称された。
その後、路線は統一規格で電化された。1950年3月1日には旧宇部電気鉄道区間の架線電圧が1,500ボルトに昇圧され、1950年8月10日には残る小野田港 - 小野田間が電化されて、全線の直流1,500ボルト電化が完成した。1983年にはCTC(列車集中制御)が導入され、1986年には貨物営業が廃止された。
日本の国鉄各線と同様に、小野田線は1987年4月1日の国鉄分割民営化に伴い、日本国有鉄道(国鉄)から新たに発足した西日本旅客鉄道(JR西日本)へと引き継がれた。ワンマン運転は1989年3月11日に雀田 - 長門本山間の支線で、往年のクモハ42形を用いて開始され、1990年6月1日には居能 - 小野田間の本線にも105系電車を用いて拡大された。
支線のクモハ42形は、生きた遺産として広く親しまれる存在となった。旧型国電の戦前形式であるこの車両は、1990年代には日本で最後まで定期旅客営業に就いていた同種の車両であり、静かな単線支線を長門本山へと往復して、全国から鉄道愛好家を集めた。1993年からは可部線から転用されたクモハ123形が主に使われるようになり、雀田 - 長門本山間のクモハ42形の運行は2003年3月14日をもって終了し、最後に残った1両も翌日、宇野線から転用されたクモハ123形に置き換えられた。今日の小野田線は利用の少ない地方路線として残っており、JR西日本は2022年に、その輸送密度が1日2,000人を下回ったことを公表している。
年表
- 191511月25日:小野田軽便鉄道が最初の区間である小野田 - セメント町間(2.9マイル)をセメント工場のために開業。
- 19236月25日:小野田軽便鉄道が小野田鉄道に改称。
- 19295月16日:宇部電気鉄道が宇部港 - 新沖山間を600Vで電化開業。
- 19371月21日:雀田 - 本山間の支線が、こちらも600Vで電化開業。
- 19434月1日:小野田鉄道が国有化され小野田線となる。宇部鉄道も5月1日に国有化され宇部西線となる。
- 194710月1日:小野田港 - 雀田間が開業して両区間が接続。新沖山駅が廃止され、小野田線は宇部西線に編入される。
- 19482月1日:統合された宇部西線が小野田線に改称される。
- 19503月1日:旧宇部電気鉄道区間の架線電圧を1,500Vに昇圧。8月10日には小野田港 - 小野田間が電化され、全線の直流1,500V電化が完成。
- 19833月8日:小野田線にCTC(列車集中制御)が導入される。
- 1986小野田線の貨物営業が廃止される。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、当線は西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継される。
- 19893月11日:雀田 - 長門本山間の支線で、往年のクモハ42形を用いてワンマン運転を開始。
- 19906月1日:居能 - 小野田間の本線にも105系電車を用いてワンマン運転を拡大。
- 20033月14日:雀田 - 長門本山間のクモハ42形の運行が終了し、最後の1両も翌日、宇野線から転用されたクモハ123形に置き換えられる。(1993年以降は可部線から転用されたクモハ123形が主力であった。)
- 20224月11日:JR西日本が、当線の輸送密度が1日2,000人を下回ったことを公表する。
出典
事実確認日:2026年6月14日