歴史
この路線の原初の二つの部分は、いずれも孤立した三陸海岸の漁村に鉄道を通すための日本国有鉄道(国鉄)の計画として始まった。南側では、国鉄盛線が1970年3月1日に盛 - 綾里間(9.1キロメートル)を開業し、1973年7月1日に吉浜まで(12.5キロメートル)延伸された。北側では、国鉄宮古線が1972年2月27日に宮古 - 田老間(12.8キロメートル)を、国鉄久慈線が1975年7月20日に久慈 - 普代間(26.0キロメートル)を開業した。両端を結ぶ中間の区間――釜石 - 宮古間――はまったく別の路線で、1930年代に鉄道省山田線の一部として段階的に開通し、国鉄を経て、のちにはJR東日本の路線として運営されていた。
1980年代初頭に国鉄の財政が悪化すると、利用の少ないこれらの海岸沿いの線は廃止の対象とされた。岩手県と沿線の市町村は、これらを放棄するのではなく、1981年に国内初の第三セクター(公民共同出資)鉄道会社として三陸鉄道を設立した。1984年4月1日、三鉄は二つの線を同時に開業した。南側では南リアス線として盛 - 釜石間(36.6キロメートル)を開業し、旧国鉄盛線が転換されるとともに、新たに建設された吉浜 - 釜石間(15.0キロメートル)が開業して全通した。北側では北リアス線として宮古 - 久慈間(71.0キロメートル)を開業し、新設の田老 - 普代間(32.2キロメートル)によって、国鉄の宮古線・久慈線が始めた路線が完成した。
四半世紀にわたり、この二つの線は人里離れた風光明媚な海岸沿いで地域の旅客輸送を担った。その穏やかな日常は、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と、それが引き起こした津波が三陸海岸を襲ったことで一変した。三陸鉄道の全線が不通となり、二つの線では駅舎や橋梁を含めおよそ300か所で被害が記録され、津波によって約5.8キロメートルの線路が流失した。並行する釜石 - 宮古間の山田線もまた寸断された。
三陸鉄道は地域復興の最も象徴的な存在の一つとなり、震災からわずか数日後に段階的な運行再開を始めた。北リアス線側では、地震から5日後の2011年3月16日に陸中野田 - 久慈間が復興支援列車として無料で運行を再開し、3月20日には宮古 - 田老間が、3月29日には田老 - 小本間が続いた。2012年4月1日に田野畑 - 陸中野田間が再開した後、最後に残った小本 - 田野畑間が2014年4月6日に再開した。南リアス線側では、2013年4月3日に盛 - 吉浜間(21.6キロメートル)が、2014年4月5日に吉浜 - 釜石間(15.0キロメートル)が運行を再開した。これらの再開によって、三鉄の原初の二線の完全復旧は2014年4月に達成された。
それでもなお二つの線は別個のままで、津波で寸断された山田線が走っていた釜石 - 宮古間の空白によって分断されていた。JR東日本は、この区間を自ら復旧させるのではなく、復旧工事を行ったうえで三陸鉄道へ移管することとした。2019年3月23日に釜石 - 宮古間(55.4キロメートル)が復旧・移管され、これによって北リアス線、移管された旧山田線区間、そして南リアス線が、一続きの路線「リアス線」へとつながった。全線を通る定期列車の運行は、翌3月24日に始まった。
統合されたリアス線は現在、盛から久慈まで全長163.0キロメートルを走り、その三つの構成部分は全体の中の運転区間として残っている。すなわち、盛 - 釜石間(南リアス線、36.6キロメートル)、釜石 - 宮古間(旧山田線、55.4キロメートル)、宮古 - 久慈間(北リアス線、71.0キロメートル)である。大半の列車は一つの区間内で運行され、全線を直通する列車は1日に片道1本のみである。気動車が、路線の名の由来となった起伏に富むリアス式海岸を縫って走り、この路線は今なお岩手の沿岸地域の生活路線であり、三陸地方の復興の不朽の象徴であり続けている。
年表
- 19703月1日:国鉄が盛線として盛 - 綾里間(9.1km)を開業。後の南リアス線の最初の区間。
- 19722月27日:国鉄が宮古線として宮古 - 田老間(12.8km)を開業。後の北リアス線の最初の区間。
- 19737月1日:国鉄盛線が綾里 - 吉浜間(12.5km)を延伸開業。
- 19757月20日:国鉄が久慈線として久慈 - 普代間(26.0km)を開業。中間の田老 - 普代間は建設中。
- 1981岩手県と沿線市町村が、廃止対象とされた国鉄の路線を引き継ぐため、日本初の第三セクター鉄道会社として三陸鉄道を設立。
- 19844月1日:三陸鉄道が南リアス線として盛 - 釜石間(36.6km)を開業。旧国鉄盛線が転換され、新設の吉浜 - 釜石間(15.0km)が開業して全通。
- 19844月1日:三陸鉄道は北リアス線として宮古 - 久慈間(71.0km)も開業。旧国鉄宮古線・久慈線が転換され、新設の田老 - 普代間(32.2km)が開業して全通。
- 20113月11日:東日本大震災により三陸鉄道全線が不通。二線で約300か所が被災し、約5.8kmの線路が流失。並行する山田線(釜石 - 宮古間)も寸断される。
- 20113月16日:震災からわずか5日後、北リアス線の陸中野田 - 久慈間が復興支援列車として無料で運行を再開。3月20日に宮古 - 田老間、3月29日に田老 - 小本間が続く。
- 20124月1日:北リアス線の田野畑 - 陸中野田間が運行を再開し、未再開区間は小本 - 田野畑間のみとなる。
- 20134月3日:南リアス線の盛 - 吉浜間(21.6km)が運行を再開。
- 20144月:原初の二線が完全復旧。北リアス線の小本 - 田野畑間が4月6日に、南リアス線の吉浜 - 釜石間(15.0km)が4月5日に運行を再開。
- 20193月23日:復旧した山田線の釜石 - 宮古間(55.4km)がJR東日本から三陸鉄道へ移管され、北リアス線・旧山田線・南リアス線が一続きのリアス線となる。
- 20193月24日:統合されたリアス線(163.0km・41駅、盛 - 久慈間)として直通営業を開始。盛 - 釜石間(南リアス線36.6km)、釜石 - 宮古間(旧山田線55.4km)、宮古 - 久慈間(北リアス線71.0km)から成る。
出典
事実確認日:2026年6月14日