歴史
この路線は1910年代に新庄側から段階的に建設された。最初の区間である新庄 - 古口間(17.0キロメートル)は、1913年12月7日に酒田線として新規開業した。1914年6月14日には古口 - 清川間(14.1キロメートル)が、同年8月16日には清川 - 狩川間(3.8キロメートル)が、そして同年9月20日には狩川 - 余目間(8.1キロメートル)が延伸開業し、最上川の谷を下って庄内平野の縁へと至る全線が完成した。
この路線の位置づけは、周囲の鉄道の動きに合わせて改められていった。1917年11月1日、山脈の東側で全通が成ると、当時は新庄 - 酒田間および酒田 - 最上川間(貨物支線)を運転していた酒田線は陸羽西線と改称され、新庄の東側の陸羽東線と対をなす陸羽線の西半分となった。1924年4月20日には、羽後亀田 - 羽後岩谷間の開業によって日本海沿岸の羽越北線と接続すると、路線網が再編され、陸羽西線は今日と同じ新庄 - 余目間と定められ、秋田 - 鼠ケ関間は羽越線に編入された。
二十世紀半ばを通じて、この路線は地方の国鉄路線に典型的なかたちで近代化された。1958年4月1日には全旅客列車が気動車に置き換えられ、無煙化された。1987年4月1日の国鉄分割民営化に際しては、東日本旅客鉄道が路線を承継し、全線の貨物営業が廃止された。1991年2月28日にはCTC(列車集中制御装置)化が完成し、沿線の信号扱いの要員が不要となった。
この路線は最上川と谷の文学的な遺産を軸に再ブランド化された。1999年12月4日には公募により決定された愛称「奥の細道最上川ライン」の使用が始まり、その一部が最上川沿いをたどった松尾芭蕉の十七世紀の紀行『おくのほそ道』に鉄道を結びつけた。普通列車にはキハ110形気動車が用いられ、全線を走り通したうえで、余目から先は羽越本線へと直通し、この路線が当初その名を取った歴史的な目的地である酒田方面へと向かっている。
近年の歴史において最も大きな影響を与えた出来事は、災害ではなく建設工事であった。2022年5月14日より、鉄道に概ね並行して建設が進む地域高規格道路「新庄酒田道路」を構成する「高屋道路」の(仮称)高屋トンネルの建設関連工事のため、全線で営業を休止し、バス代行輸送へと切り替えられた。この休止は当初は数年で済む見込みであったが、トンネル工事の進捗に伴い、それを大きく超えて続いた。
2025年9月26日には、国土交通省が高屋トンネル工事の進捗状況を踏まえた陸羽西線の運転再開およびバス代行輸送終了時期の見通しを示した。鉄道の運転は2026年1月16日に全線で再開されたが、再開にあたっては、利用者が極めて少ない羽前前波駅と高屋駅は全列車通過とされ、すべての列車が停車せずに通過することとなった。今日の陸羽西線は再びキハ110形による普通列車を最上川沿いに走らせており、私鉄時代の段階的建設、1917年の陸羽線としての対の成立、1924年の羽越再編、国有化、1987年のJR東日本への移行、そして2022年の道路トンネル工事に伴うバス代行を経てきた、風光明媚な非電化の支線であり続けている。
年表
- 191312月7日:新庄 - 古口間(17.0 km)を酒田線として新規開業。
- 19146月14日:古口 - 清川間(14.1 km)を延伸開業。
- 19148月16日:清川 - 狩川間(3.8 km)を延伸開業。
- 19149月20日:狩川 - 余目間(8.1 km)を延伸開業し、最上川の谷を下って余目までの全線が完成。
- 191711月1日:新庄 - 酒田・酒田 - 最上川間(貨物支線)を陸羽西線と改称(陸羽東線と対をなす陸羽線の西半分)。
- 19244月20日:羽後亀田 - 羽後岩谷間開業により羽越北線と接続。陸羽西線を新庄 - 余目間とし、秋田 - 鼠ケ関間を羽越線とする再編を実施。
- 19584月1日:全旅客列車を気動車に置き換え(無煙化)。
- 19874月1日:国鉄分割民営化にともない東日本旅客鉄道が承継し、全線の貨物営業を廃止。
- 19912月28日:CTC(列車集中制御装置)化が完成。
- 199912月4日:公募により決定された愛称「奥の細道最上川ライン」の使用を開始。
- 20225月14日:地域高規格道路「新庄酒田道路」を構成する「高屋道路」の(仮称)高屋トンネル建設関連工事のため、全線で営業を休止しバス代行輸送を開始。
- 20259月26日:国土交通省が高屋道路「(仮)高屋トンネル」工事の進捗を踏まえた陸羽西線の運転再開およびバス代行輸送終了時期の見通しを示す。
- 20261月16日:全線で運転を再開。ただし利用者が極めて少ない羽前前波駅と高屋駅は全列車通過とする。
出典
事実確認日:2026年6月14日