歴史
この路線は、実際に建設された鉄道というよりもまず計画構想として始まった。1972年の都市交通審議会答申第15号において、東京7号線(将来の南北線)の埼玉方面への延伸区間として、川口市中央部から浦和市東部へ至る区間が定められた。1985年の運輸政策審議会答申第7号では、埼玉県内のルートが鳩ヶ谷中央や東川口を経由して浦和市東部へ至るものへと変更された。1992年には、埼玉県、沿線3市、および帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)などによって、第三セクター「埼玉高速鉄道株式会社」が設立され、計画は企業としての形をとった。
埼玉高速鉄道株式会社は1992年3月25日に設立され、同年12月17日に第一種鉄道事業免許を取得した。1995年に着工し、同年7月13日に起工式が行われた。1999年には駅名が決定し、それまで仮称だった鳩ヶ谷中央駅を鳩ヶ谷駅に、川口戸塚駅を戸塚安行駅に、浦和大門駅を浦和美園駅とするなど、いくつかの駅名が変更された。2001年3月28日、赤羽岩淵 - 浦和美園間の全線が、浦和美園駅から徒歩30分ほどの埼玉スタジアムで試合が行われる2002年FIFAワールドカップに先立って開業した。
全体の建設費用は2591億円で、1キロメートルあたり約170億円であった。赤羽岩淵側の、鳩ヶ谷駅終端までの6.2キロメートルは地下高速鉄道整備事業費補助金対象工事として、事業主体の埼玉高速鉄道株式会社が帝都高速度交通営団に施工を委託し、それより浦和美園駅側の区間は日本鉄道建設公団が施工した。本路線は荒川を横断する鉄道で唯一地下を抜けており、荒川の直下を横断することから赤羽岩淵駅と川口元郷駅にはトンネル内への浸水を防ぐ防水扉が設置されている。2001年の開業以来6両編成での運転となっていたが、全駅のホームは当初から8両分が確保されていた。
開業初日から、本路線は直通運転として運行され、列車は営団(現・東京メトロ)南北線を経て東急目黒線の武蔵小杉駅まで乗り入れた。2002年3月30日には路線愛称「彩の国スタジアム線」が発表されたが、利用客には定着せず、埼玉高速鉄道側も「埼玉高速鉄道線」での案内を続けた。2008年6月22日には直通運転区間が日吉駅まで延伸された。2011年3月11日には東日本大震災が発生して全区間で一時運休となったが、同日午後9時20分頃に運転を再開し、埼玉県東部の鉄道路線で震災当日に運転を再開したのは本路線のみであった。
2015年4月、埼玉高速鉄道は定着しなかった2002年の愛称に代わる新たな路線愛称を公募し、2015年11月27日にその結果として「埼玉スタジアム線」が決定し、以降、案内放送を含む大半の旅客向け案内で用いられている。路線建設時から準備されていた8両編成の運転は、2022年4月1日にようやく開始された。2023年3月18日のダイヤ改正では、本路線ははるかに広い範囲を得た。東急新横浜線および相鉄新横浜線の開業により、浦和美園発の直通列車が南北線・東急目黒線を経て、新横浜や海老名方面の東急・相鉄線へ乗り入れるようになった。
浦和美園駅から北へ、岩槻を経てJR宇都宮線(東北本線)の蓮田駅に至る本路線の延伸は、長く検討されてきた。2000年の運輸政策審議会答申第18号は、浦和美園 - 岩槻 - 蓮田の約13キロの延伸を「2015年までの開業が適当な路線」として挙げ、また2016年の交通政策審議会答申第198号も、事業性に課題があるとしながらも、本事業を地域の鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクトとして位置づけた。埼玉県とさいたま市は2021年に岩槻延伸に向けて連携・協力することで合意し、さいたま市は近年、約7.2キロの浦和美園 - 岩槻間について開業目標を2041年4月としている。
年表
- 19721972年の都市交通審議会答申第15号で、本路線が東京7号線の埼玉方面への延伸区間(川口市中央部〜浦和市東部)として定められる。
- 1985運輸政策審議会答申第7号で、埼玉県内のルートが鳩ヶ谷中央・東川口経由で浦和市東部へ至るものに変更される。
- 19923月25日:第三セクターの埼玉高速鉄道株式会社が設立。同年12月17日に第一種鉄道事業免許を取得。
- 1995着工。同年7月13日に起工式が行われる。
- 19999月:駅名が決定。仮称の鳩ヶ谷中央・川口戸塚・浦和大門が、鳩ヶ谷・戸塚安行・浦和美園に変更される。
- 20013月28日:赤羽岩淵 - 浦和美園間の全線が開業。南北線および東急目黒線武蔵小杉駅までの直通運転を開始。
- 20023月30日:路線愛称「彩の国スタジアム線」が発表されるが、利用客には定着しなかった。
- 20086月22日:直通運転区間が日吉駅まで延伸される。
- 20113月11日:東日本大震災により全区間で一時運休。同日午後9時20分頃に運転を再開し、埼玉県東部の鉄道で震災当日に再開したのは本路線のみだった。
- 201511月27日:公募を経て新たな路線愛称「埼玉スタジアム線」が決定し、大半の旅客案内で用いられるようになる。
- 20224月1日:建設時から確保されていたホーム長を活かし、8両編成の運転を開始。
- 20233月18日:東急新横浜線・相鉄新横浜線の開業に伴い、浦和美園発の直通列車が南北線・東急目黒線を経て新横浜・海老名方面の東急・相鉄線へ直通を開始。
出典
事実確認日:2026年6月14日