歴史
この鉄道は、三重県を横断して関ヶ原方面へ抜けようとする長年の構想から生まれた。早くも1883年には四日市と関ヶ原を結ぶ「勢江鉄道」の計画が出願されたが認可されなかった。近代の計画は1927年に形をとり、セメント会社の浅野セメントと小野田セメントがそれぞれ藤原鉄道・員弁鉄道として鉄道敷設免許を申請したのち、同年11月に藤原鉄道として計画を一本化した。三岐線は鉄道敷設法別表75項「三重県四日市ヨリ岐阜県関ケ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」の一部を成すもので、「三岐」という社名そのものが三重(三)と岐阜(岐)の頭文字を組み合わせたものであり、この県をまたぐ構想を表している。
1928年6月9日に藤原鉄道へ鉄道免許状が下付され、同年9月20日に社名を改めた三岐鉄道株式会社が設立された。社長には三重県の実業家・伊藤伝七が就任し、取締役には浅野セメント、小野田セメント、および浅野財閥系の鶴見臨港鉄道から名を連ねた(浅野セメント・小野田セメントはいずれも現在の太平洋セメントの前身である)。建設は速やかに進み、最初の区間である富田 - 東藤原間が1931年7月23日に開業し、続いて東藤原 - 西藤原間が同年12月23日に延伸開業した。この路線は関ヶ原へ至るより長い路線の出発点として構想されていたが、その望みは実現せず、西藤原 - 関ヶ原間の免許は1937年12月2日に失効し、建設は西藤原で止まった。
貨物輸送こそが、この路線の存在理由であった。小野田セメント藤原工場は1932年12月に操業を開始し、翌年1月から鉄道によるセメント出荷が始まって、今日も路線を特徴づける輸送が確立された。戦後、鉄道は近代化を進めた。1952年12月1日には富田から日本国有鉄道(国鉄)の四日市まで旅客列車の直通運転が始まり、1954年3月29日には全線が電化されて貨物列車に電気機関車が用いられるようになり、1956年12月25日には電車による旅客運転が始まった。国鉄四日市への直通運転は1964年10月1日に廃止された。
この路線の最も大きな形の変化は1970年に訪れた。当初の起点である富田駅を利用する旅客の多くが隣接する近鉄富田駅まで歩いて乗り換えていたため、三岐鉄道は近鉄富田 - 三岐朝明間に近鉄連絡線を建設し、1970年6月25日に開業した。これ以後、旅客と貨物の運行経路は分かれ、1985年3月14日には当初の富田 - 三岐朝明間の旅客営業が休止されて貨物専用となり、以後すべての旅客列車が近鉄富田駅発着となった。ワンマン運転は1985年に貨物列車で、1988年1月7日に旅客列車で導入され、1989年には三岐朝明駅が信号場に格下げされた。
その後の数十年で、三岐線は今日の、利用の多い地方路線とセメント輸送という二つの性格に落ち着いた。1990年11月2日には炭酸カルシウムとフライアッシュ(石炭灰)のセメント関連貨物輸送が始まり、1994年12月3日には最高速度が60キロメートル毎時から70キロメートル毎時に引き上げられた。一時期は2001年から2002年にかけて中部国際空港の建設に向けた埋立土砂の輸送も担った。かつてJR以外でセメントを運んでいた事業者は次々とこれをやめ — 西武鉄道が1996年に、秩父鉄道と樽見鉄道が2006年に廃止し — 三岐鉄道がJR以外で唯一セメント輸送を扱う事業者として残った。
2010年代初頭には、自然災害と事故が相次いで路線を試練にさらした。2011年9月の台風12号は保々 - 北勢中央公園口間の朝明川橋梁を損傷させて全線を不通とし、路線は区間ごとに復旧して2011年11月10日に全線開通した。2012年には東藤原駅での電気機関車の2度の脱線と、同年11月の三里駅での旅客列車の脱線によって運転休止が繰り返され、東藤原 - 西藤原間は2013年1月12日にようやく運転を再開した。骨材(バラスト用の砕石)輸送は2012年2月29日に廃止された。今日この路線は、1時間あたり1 - 2本(朝のピーク時は3 - 4本)の地方の旅客列車を、セメント貨物とともに走らせており、2025年5月からは長年使われてきた元西武の車両を元JR東海の211系車両へ置き換え始めている。
年表
- 1883稲葉三右衛門が四日市 - 関ヶ原間を結ぶ「勢江鉄道」の建設申請書を提出するも認可されず。
- 19273月、浅野セメントが藤原鉄道、小野田セメントが員弁鉄道として鉄道敷設免許を申請。11月に藤原鉄道として計画を一本化。
- 19286月9日、藤原鉄道に鉄道免許状が下付される。9月20日、社名を改めた三岐鉄道株式会社が設立される。
- 19317月23日、富田 - 東藤原間が開業。12月23日、東藤原 - 西藤原間が延伸開業し全通。
- 193212月、小野田セメント藤原工場が操業を開始。翌年1月より鉄道でのセメント出荷が始まる。
- 193712月2日、未成の西藤原 - 関ヶ原間の鉄道免許が失効。建設は西藤原で止まる。
- 195212月1日、富田から国鉄四日市駅まで旅客列車の直通運転が始まる。
- 19543月29日、全線が電化され、貨物列車に電気機関車が使用され始める。
- 195612月25日、電車による旅客運転が始まる。
- 196410月1日、富田から国鉄四日市駅までの旅客列車直通運転が廃止される。
- 19706月25日、近鉄富田 - 三岐朝明間の近鉄連絡線が開業し、旅客列車が近鉄富田駅へ乗り入れられるようになる。
- 19853月14日、当初の富田 - 三岐朝明間の旅客営業が休止され貨物専用となり、以後すべての旅客列車が近鉄富田駅発着となる。5月16日、貨物列車のワンマン運転が始まる。
- 19881月7日、旅客列車のワンマン運転が始まる。
- 199011月2日、炭酸カルシウムとフライアッシュ(石炭灰)の貨物輸送が始まる。
- 199412月3日、最高速度が60km/hから70km/hに引き上げられる。
- 20119月4日、台風12号が朝明川橋梁を損傷させ全線が不通となる。区間ごとに復旧し、11月10日に全線が復旧する。
- 20122月29日、骨材輸送が廃止される。東藤原駅での2度の脱線と11月の三里駅での脱線により運転休止が繰り返される。
- 20131月12日、2012年11月の脱線を受けて不通となっていた東藤原 - 西藤原間が運転を再開する。
出典
事実確認日:2026年6月14日