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参宮線

Sangū Line

参宮線(さんぐうせん)は、東海旅客鉄道(JR東海)が運営する営業キロ29.1キロメートルの鉄道路線で、三重県内を、紀勢本線と接続する多気駅から、伊勢神宮への玄関口である伊勢市駅を経て、海沿いの鳥羽駅までを結んでいる。軌間は1,067ミリメートルの狭軌で全線非電化であり、現在は10の駅を気動車が結んでいる。その名が示すとおり――「参宮」とは伊勢神宮への参詣を意味する――この路線は伊勢へ向かう参拝客を運ぶために建設されたものであり、現代の紀勢ルートが完成する以前には、現在の静かな単線という姿からは想像しにくいほど重要な路線の一部を成していた。

鳥羽市伊勢市明和町5 km
参宮線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、伊勢神宮への鉄道アクセスを目的に設立された私鉄、参宮鉄道(さんぐうてつどう)の事業として始まった。最初の区間は1893年12月31日に開業し、津から相可(現在の多気)を経て宮川までを結んだ。鉄道は1897年11月11日に山田(現在の伊勢市駅)まで延伸され、列車を外宮の近くまで導いて、伊勢へ鉄道で至る主要な手段としての地位を確立した。

この私鉄は1907年10月1日に鉄道国有法により国有化され、官設鉄道の手に移った。1909年10月12日には、国有鉄道線路名称の制定によって亀山 - 山田間(当時およそ57.45キロメートル)が参宮線となった。この段階では路線は多気ではなく亀山を起点としており、関西本線の亀山から伊勢までを連続して結ぶ経路を成していた。1911年7月21日、最後の区間である山田 - 鳥羽間が開業して全通し、亀山から海岸の鳥羽までの直通路線がその全長をもって完成した。

伊勢神宮への参詣客を運ぶため、参宮線は戦前には幹線と同等の扱いを受け、頻繁で格の高い直通列車が運行された。その地位は戦時下で代償を伴った。1944年の8月から9月にかけて、いくつかの区間が複線から単線へと縮小され、レールは軍需資材として撤去された。戦後も路線は参詣と地域輸送のにぎわう経路として続いたが、日本でも有数の鉄道事故の舞台ともなった――1956年10月15日の六軒事故であり、六軒駅構内での衝突によって42名が死亡し、94名が負傷した。

この路線の役割は、並行する紀勢本線の全通によって一変した。1959年7月15日、亀山 - 多気間(42.5キロメートル)が新たに全通した紀勢本線に編入され、参宮線は現在まで残る、はるかに短い多気 - 鳥羽間として再定義された。かつて伊勢への中心的な幹線であったものが、いまや紀勢ルートからぶら下がる支線となり、路線の相対的な重要性は大きく低下した。1963年4月1日には外城田・五十鈴ケ丘・松下の3駅が開業し、鉄道はより地域的な運行形態へと適応していった。

路線の地位への決定的な打撃は、私鉄との競合からもたらされた。1970年3月に近鉄鳥羽線が全通し、特急列車が志摩線の賢島駅まで直通運転を始めると、参宮線は長距離の参詣・観光輸送をほぼ完全に失い、純然たるローカル線の地位へと転落した。貨物営業も同じ時期に段階的に縮小され、1969年から1986年にかけて廃止された。最後の蒸気機関車は1973年7月30日に引退し、路線は完全に無煙化(ディーゼル化)された。

1987年4月1日の日本国有鉄道の分割民営化により、参宮線は新たに発足した東海旅客鉄道に承継された。JR東海のもとで路線は静かなローカル線として存続し、キハ11形やのちのキハ25系といった気動車によって運行され、名古屋からの快速「みえ」が乗り入れて伊勢・鳥羽方面を結んでいる。

今日の参宮線は、営業キロ29.1キロメートルの非電化支線であり、その主たる役割は当初と変わらず――伊勢神宮を訪れ、さらに海辺の町である鳥羽へ向かう人々を運ぶこと――にある。もっとも、かつてこの路線を幹線たらしめた鉄道参詣の大きな波は、いまでは競合する近鉄の路線網を主に利用している。その歴史は、多くの点で、ひとつの主要な参詣幹線が、まず再編された国の本線に、次いで私鉄のライバルに追い越され、現在担う地域的な役割へと静かに格下げされていった物語である。

年表

  • 189312月31日:参宮鉄道が最初の区間、津 - 相可(現在の多気) - 宮川間を、伊勢への私設参詣路線として開業。
  • 189711月11日:宮川 - 山田(現在の伊勢市駅)間が延伸開業し、列車が伊勢神宮の近くまで達する。
  • 190710月1日:鉄道国有法により参宮鉄道が国有化され、官設鉄道の一部となる。
  • 190910月12日:国有鉄道線路名称の制定により、亀山 - 山田間(約57.45km)が参宮線となる。当時の起点は亀山。
  • 19117月21日:最後の区間、山田 - 鳥羽間が延伸開業して全通し、亀山から海岸の鳥羽までが結ばれる。
  • 19448月~9月:いくつかの区間が複線から単線に縮小され、レールが軍需資材として撤去される。
  • 195610月15日:六軒駅構内で六軒事故が発生し、死者42名・負傷者94名を出す。日本有数の鉄道事故の一つ。
  • 19597月15日:紀勢本線の全通に伴い、亀山 - 多気間(42.5km)が紀勢本線に編入され、参宮線は多気 - 鳥羽間に変更される(支線への格下げ)。
  • 19634月1日:外城田・五十鈴ケ丘・松下の3駅が開業し、より地域的な運行形態へ移行する。
  • 19697月1日:貨物営業の段階的廃止が始まる(伊勢市 - 鳥羽間)。
  • 19703月:近鉄鳥羽線が全通し特急が賢島まで直通すると、参宮線は長距離輸送を失い完全なローカル線に転落する。
  • 19737月30日:蒸気機関車がなくなり、無煙化(ディーゼル化)される。
  • 19864月1日:最後の貨物営業(多気 - 宮川間)が廃止され、当線の貨物輸送が終了する。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化により、当線は東海旅客鉄道(JR東海)に承継される。
  • 19913月16日:名古屋からの快速「みえ」が当線へ乗り入れ、伊勢・鳥羽方面を結ぶ。

出典