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石北線

Sekihoku Main Line

石北本線(せきほくほんせん)は、北海道の旭川市にある新旭川駅から、上川・遠軽・北見を経て、オホーツク海沿岸の網走市の網走駅までを結ぶ、北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する営業キロ234.0キロメートルの鉄道路線である。全線が単線・非電化の地方交通線で、線路名称上の起点は新旭川駅であるが、全列車が宗谷本線を経由して旭川駅に乗り入れている。路線名は、沿線にあたる令制国の石狩国(石狩)と北見国(北見)の頭文字から採られている。なお、N02の地図形状は短縮形の「石北線」で紐づけられている。

石北線の路線図 · 県境: 国土数値情報(国交省)

歴史

現在の路線は単一の計画で建設されたものではなく、北見・網走を目指した三つの路線を繋ぎ合わせて成立した。すなわち、名寄から興部・遠軽を経て北見に至る湧別線ルート、十勝地方の池田から北見を経て網走に至る網走本線ルート、そして旭川から北見峠を越えて遠軽を短絡する石北線そのものである。最初に開業したのは網走側で、網走線は1911年9月25日に野付牛駅(のちの北見駅)に達し、1912年10月5日には初代の網走駅まで延伸されて池田からの通し運転が完成し、この池田 - 網走間が1912年11月18日に網走本線と改称された。

中央の峠越え区間は、最後に、そして最も難工事で建設された。1912年11月18日に湧別軽便線が野付牛 - 留辺蘂間で開業し、1914年からは762ミリメートルの狭い軌間で段階的に遠軽方面へ延伸され、1916年に留辺蘂 - 遠軽間が1,067ミリメートルに改軌され、1922年に湧別線と改称された。一方、旭川側からは官設線が近づいており、石北線が1922年11月4日に新旭川 - 愛別間で開業し、1923年に上川へ達した。1927年には旭川側の路線が石北西線と改称されるとともに、遠軽から石北東線の建設が始まり、両者が北見峠を挟んで互いに向かって延びていった。

全通は1932年10月1日に達成された。この日、石北東線の中越 - 白滝間が開業し、新たに設けられた石北トンネルによって難所の北見峠を越え、旭川から北見・網走方面への最短経路がついに完成したのである。同時に湧別線の遠軽 - 野付牛間が編入され、新旭川 - 野付牛間が石北線と改称された。峠区間の建設はその過酷さでも記憶されている。先行する湧別線の工事で掘られた近くの常紋トンネルは、過酷な労働による犠牲者で知られるようになり、のちにトンネル内から人骨が発掘されている。

野付牛駅は1942年10月1日に北見駅へと改称され、1949年6月1日には全国の鉄道網とともに新たに発足した日本国有鉄道(国鉄)へ移管された。路線が名実ともに現在の名称と姿になったのは1961年4月1日のことで、線区の整理統合により石北線と網走本線の北見 - 網走間が統合され、新旭川 - 網走間の全長234.0キロメートルが石北本線と改称された。現在も遠軽駅に残る、列車が進行方向を変えるスイッチバックの線形は、別々の路線を繋ぎ合わせて成り立ったこの路線の複雑な生い立ちを今に伝えている。

国鉄時代、この路線はオホーツク海沿岸へ向かう優等列車の背骨となった。1959年に準急「オホーツク」が旭川 - 網走間で運転を開始し、1964年には函館 - 網走間に特急「おおとり」が新設され、1972年からは特急「オホーツク」が札幌と網走を結んだ。蒸気機関車の歴史にも名を残しており、1971年12月24日には、全国最後の蒸気機関車牽引の急行列車であった「大雪6号」がディーゼル機関車牽引へと変更された。1977年には北見トンネルが開通し、日本初の地下化による連続立体交差事業と称される形で、北見市内を地下で通り抜けるようになった。

石北本線は1987年4月1日の国鉄分割民営化によりJR北海道へ承継され、JR北海道が全線の第一種鉄道事業者となり、新たに発足したJR貨物が新旭川 - 北見間の第二種鉄道事業者となった。普通列車のワンマン運転は1992年3月14日に全線で開始された。その後の数十年で、地方の利用者の減少により路線は着実に縮小してきた。多くの小駅が廃止または信号場に格下げされており、2016年の上白滝駅・旧白滝駅、2021年のさらに4駅、2024年の愛山駅などがその例である。2016年8月には台風によって峠区間が大きな被害を受け、運転が見合わされ、貨物が一時的に道路輸送へ振り替えられた。

現在も札幌 - 網走間に特急「オホーツク」が1日2往復運転され、これを補完する形で旭川 - 網走間に「大雪」と快速「きたみ」が運転されているほか、おおむね旭川近郊・峠区間・北見 - 網走間の各系統に分けられた本数の少ない普通列車が走っている。毎年秋から翌春にかけては、「玉ねぎ列車」と呼ばれる臨時貨物列車が、沿線で収穫されたタマネギなどの農産物を北見から新旭川まで運んでおり、北見峠と常紋峠の急勾配に対応するためプッシュプル方式で牽引されている。しかしその将来は不透明であり、2016年11月18日にJR北海道は当線を自社単独では維持が困難な路線の一つに挙げており、長期的な存続は地域やJR貨物との協議の対象となっている。

年表

  • 19119月25日:網走線が淕別から野付牛駅(のちの北見駅)に達し、野付牛駅が開設される。
  • 191210月5日:網走線が野付牛 - 初代網走間を延伸開業し池田 - 網走間が全通、11月18日に網走本線と改称。同日(11月18日)湧別軽便線が野付牛 - 留辺蘂間で開業。
  • 191410月5日:湧別軽便線(軌間762mm)の留辺蘂 - 下生田原間が開業。
  • 191611月7日:留辺蘂 - 遠軽間が762mmから1,067mmに改軌される。
  • 192211月4日:官設の石北線として新旭川 - 愛別間が開業。(9月2日に湧別線へ改称済み。)
  • 192311月15日:石北線が愛別 - 上川間を延伸開業。
  • 192710月10日:新旭川 - 上川間を石北西線に改称。石北東線として遠軽 - 丸瀬布間が開業。
  • 19298月12日:石北東線が丸瀬布 - 白滝間を延伸。11月20日:石北西線が上川 - 中越間を延伸。
  • 193210月1日:石北トンネルで北見峠を越える中越 - 白滝間が開業して全通。湧別線の遠軽 - 野付牛間を編入し、新旭川 - 野付牛間を石北線に改称。
  • 194210月1日:野付牛駅を北見駅に改称。
  • 19496月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。
  • 19614月1日:線区の整理統合により石北線と網走本線の北見 - 網走間を統合し、新旭川 - 網走間(234.0km)を石北本線に改称。
  • 197112月24日:全国最後の蒸気機関車牽引の急行「大雪6号」が、ディーゼル機関車牽引による運行に変更される。
  • 19779月18日:北見トンネルにより、日本初の地下化による連続立体交差事業として東相ノ内 - 北見間を地下化。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化により、JR北海道が全線の第一種鉄道事業者、JR貨物が新旭川 - 北見間の第二種鉄道事業者となる。
  • 19923月14日:全線で普通列車のワンマン運転を開始。
  • 20163月26日:上白滝駅・旧白滝駅を廃止、下白滝・金華を信号場に変更。8月には台風で峠区間が被災し運休、貨物が道路代行に。11月18日にJR北海道が自社単独で維持困難な線区に挙げる。
  • 20243月15日:愛山駅を廃止(2021年3月13日にも4駅が廃止されている)。

出典