歴史
仙台空港と仙台市都心部を結ぶ鉄道の構想は、1984年3月に地方の陸上交通審議会が可能性検討の答申を行ったことに始まる。1991年11月に日本政府が空港の滑走路を大型ジェット機対応の3,000メートルに拡張することを決定すると機運が高まり、翌12月には宮城県を中心に空港アクセス鉄道整備検討委員会が設置された。委員会では、仙台市営地下鉄の延伸、モノレールや新交通システムの新設、既存のJR線からの分岐などの案が比較検討され、1992年8月にJR線分岐案に決定した。
当初はJR東日本が事業主体として想定されていたが、同社が難色を示したため、これに替わって第三セクターが設立されることになった。2000年4月に仙台空港鉄道株式会社が設立され、同年6月に第一種鉄道事業の認可を取得した。建設の着工式は2002年12月5日に開催された。建設費は349億円で、総事業費は416億円であった。土木工事と並行して、JR東日本は仙台駅の改良と直通用の新形式車両E721系500番台の製造を進め、仙台空港鉄道も同形のSAT721系を用意した。
2006年9月15日には仙台空港駅でレール締結式が行われ、2007年3月18日、JRの春のダイヤ改正に合わせて開業した。開業当日は約2万人が利用した。しかし開業1年目の利用者数は目標のおよそ7割にとどまり、1日あたりの利用者も目標の1万人に対して7千人台であった。空港利用や買い物利用は目標どおりだったものの、沿線の開発が始まったばかりで通勤利用の伸びが鈍かったことが、目標を達成できなかった主な要因とされる。
2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う津波は、この路線に重大な被害をもたらし、特に仙台空港駅と空港トンネルが甚大な被害を受けた。空港駅の1階部分は躯体だけを残してほぼ壊滅し、各所で防音壁が倒壊したほか、レールや路盤も損傷した。仙台空港駅と仙台駅に停車していた車両に大きな被害はなかった。運行は休止され、4月初めから代行バスが運行された。その後、7月23日に名取 - 美田園間で運行を再開するなど段階的に復旧が進み、10月1日に全線で運転を再開した。震災からおよそ204日後のことで、復旧費用は約30億円であった。
再開後も、沿線の宅地開発の進展に伴う通勤利用者の増加や、仙台空港を利用する訪日外国人旅行者の急増により、編成の増結が検討されている。2026年3月14日のダイヤ改正で快速列車が廃止され、すべての列車が各駅に停車する普通列車に統一された。現在、仙台空港線は1日上下計88本(44往復)を運行し、全列車がワンマン運転で仙台駅まで直通しており、宮城県の県都とその空港を結ぶ主要な鉄道路線となっている。
年表
- 19843月:仙台地方の陸上交通審議会が、仙台空港と仙台市都心部を結ぶ鉄道の可能性検討の答申を行う。
- 199111月:日本政府が仙台空港の滑走路を3,000mに拡張することを決定。12月、宮城県を中心に空港アクセス鉄道整備検討委員会が設置される。
- 19928月:地下鉄延伸・モノレール/新交通・JR線分岐などを比較検討の末、JR線分岐案に決定する。
- 20004月:(JR東日本が事業主体を辞退したため)仙台空港鉄道株式会社が設立される。6月に第一種鉄道事業の認可を取得。
- 200212月5日:建設の着工式が開催される。建設費は349億円(総事業費416億円)。
- 20069月15日:仙台空港駅でレール締結式が行われる。
- 20073月18日:仙台空港線が、JRの春のダイヤ改正に合わせて開業。開業当日は約2万人が利用した。全列車が東北本線経由で仙台まで直通する。
- 2008開業1年目の利用者は目標の約7割(1日約7千人、目標1万人)にとどまり、沿線の通勤利用の伸び悩みが要因とされる。
- 20113月11日:東日本大震災と津波により路線が甚大な被害を受け、仙台空港駅と空港トンネルが壊滅的被害を受ける。運行は休止し、4月初めから代行バスが運行される。
- 20117月23日:名取 - 美田園間で運行を再開する。
- 201110月1日:全線で運転を再開。震災から約204日後で、復旧費用は約30億円であった。
- 20263月14日:ダイヤ改正で快速列車が廃止され、すべての列車が各駅停車の普通列車に統一される。
出典
事実確認日:2026年6月14日