歴史
この路線には、かすかな前史がある。1887年、硫黄を運ぶために私設の1,067ミリメートル軌間の路線「釧路鉄道」が、跡佐登の硫黄鉱山から釧路の北約48キロメートルにある標茶の精錬所まで開業したが、鉱床が掘り尽くされて9年ほどで廃止された。その数十年後、標茶方面から南下して建設を進めた官設鉄道がこの旧線の路盤の一部を再利用したものの、釧網線そのものは1920年代に始まった新たな事業であり、網走から南へ、釧路から北へと両端から同時に建設され、中間で結ばれることになった。
北側の区間が先に、しかも別の線名で開業した。1924年11月15日、網走本線が網走(初代)から北浜まで、流氷の海岸沿いの約11.6キロメートルにわたって延伸された。線路は1925年11月10日に斜里へ達し、1929年11月14日には札鶴まで延び、いずれも網走本線として開業した。
南側の区間は釧路から延び、釧網線と呼ばれた。1927年9月15日、釧路 - 標茶間の約48.1キロメートルが、一部に廃止された釧路鉄道の経路をたどって開業した。その後、線路は屈斜路カルデラへ向けて内陸を登り、1929年8月15日に弟子屈、1930年8月20日に川湯(現在の川湯温泉)に達した。
二つの区間は1931年9月20日、札鶴 - 川湯間の約22.8キロメートルが埋められて、ついに結ばれた。釧路 - 網走間の直通運転が成立し、全線が一つの路線として運行されるようになった。1936年10月29日、路線は釧網本線と改称され、以後その名で呼ばれている。「釧網」は釧路(釧)と網走(網)の字を取ったものである。
この路線は、日本国有鉄道(国鉄)の地方幹線として二十世紀を歩んだ。1987年4月1日に国鉄が分割民営化されると、釧網本線は新会社の北海道旅客鉄道(JR北海道)に第一種鉄道事業者として継承され、日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者として貨物運行権を保持した。その貨物事業は2002年4月1日に廃止され、定期貨物列車の運行が終わり、路線は旅客専用となった。
後年、この路線は観光を軸に生まれ変わった。ディーゼルの窓開放型観光列車「くしろ湿原ノロッコ号」が1989年6月24日に湿原上で運転を開始し、冬季版の「オホーツク流氷ノロッコ号」が1990年2月10日に続いた。2000年1月8日には、JR北海道が蒸気機関車牽引の「SL冬の湿原号」を加え、保存機C11 171に牽かれて、冬の凍てついた湿原を釧路 - 標茶間(さらに川湯温泉まで)で走らせている。長年、老朽化した気動車で運行されてきた普通列車は、2024年3月16日から新型のH100形(DECMO)が引き継ぎ、近代化された。
年表
- 1887私設の釧路鉄道(1,067mm軌間)が、跡佐登の硫黄鉱山から標茶の精錬所まで硫黄輸送のために開業。鉱床枯渇により約9年後に廃止されるが、路盤の一部はのちに釧網線に再利用される。
- 192411月15日:網走本線が網走駅(初代) - 北浜駅間(約11.6km)を延伸開業。のちの釧網線の最初の区間で、オホーツク海岸沿いを走る。
- 192511月10日:北浜駅 - 斜里駅間(約25.7km)が延伸開業(網走本線として)。
- 19279月15日:釧網線 釧路駅 - 標茶駅間(約48.1km)が開業。一部は廃止された釧路鉄道の経路をたどる。
- 19298月15日:釧網線が標茶駅 - 弟子屈駅間(約25.3km)を延伸開業し、屈斜路カルデラへ向けて内陸を登る。
- 192911月14日:北側で網走本線が斜里駅 - 札鶴駅間(約19.6km)を延伸開業。
- 19308月20日:釧網線が弟子屈駅 - 川湯駅(現・川湯温泉駅、約15.9km)間を延伸開業。
- 19319月20日:札鶴駅 - 川湯駅間(約22.8km)が延伸開業して両端がつながり、釧路 - 網走間が全通する。
- 193610月29日:全通した路線が釧網本線に改称される。「釧網」は釧路(釧)と網走(網)の字を取ったもの。
- 19874月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(第1種)、日本貨物鉄道(第2種)に継承される。
- 19896月24日:ディーゼルの観光列車「くしろ湿原ノロッコ号」が釧路湿原で運転を開始する。
- 19902月10日:冬季版の「オホーツク流氷ノロッコ号」が運行を開始する。
- 20001月8日:蒸気機関車牽引の「SL冬の湿原号」が、保存機C11 171に牽かれて、冬の釧路 - 標茶間(さらに川湯温泉まで)で運転を開始する。
- 20024月1日:全線における日本貨物鉄道の第二種鉄道事業が廃止され、定期貨物列車がなくなり旅客専用となる。
- 20243月16日:路線の定期列車がすべて新型のH100形(DECMO)気動車に置き換えられる。
出典
事実確認日:2026年6月14日