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信楽線

Shigaraki Line

信楽線(しがらきせん)は、滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ、信楽高原鐵道が運営する営業キロ14.7キロメートルの単線鉄道路線である。駅数は6駅、軌間は1,067ミリメートルの狭軌で、滋賀県内の鉄道路線では唯一の非電化路線であり、列車は最高65キロメートル毎時で運行される。旧日本国有鉄道の特定地方交通線を第三セクターに転換した路線で、信楽焼の産地として知られる信楽の町へと山あいを上っていく。地域の外では、42名が亡くなった1991年5月14日の信楽高原鐵道列車衝突事故の現場として最もよく知られている。

2 km
信楽線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

この路線は、草津線の貴生川から関西本線の加茂へ至る計画線として構想され、1922年に鉄道敷設法のもとで国の鉄道建設計画に編入されたものに端を発する。建設は1929年5月16日に着工され、1933年5月8日に国鉄信楽線として貴生川 - 信楽間(当時の営業キロは14.8キロメートル)が開業し、雲井駅と信楽駅が開業した。加茂までの延伸は1933年のうちに建設線から予定線へと格下げされて結局実現せず、その後は長らく信楽 - 加茂間を国鉄バスが補い、2002年まで運行された。

太平洋戦争中、この路線は戦時の物資統制の犠牲となった。1943年10月1日に不要不急線として休止され、レールや枕木は戦争遂行のために供出され、代わりに省営バスが運行された。営業は1947年7月25日に再開され、その際には信楽の住民が枕木の提供や工事への奉仕を行ったとされる。さらに1953年8月には集中豪雨で第一大戸川橋梁が流失したが、1954年にプレストレストコンクリート橋として再建された。そのおよそ30メートルに及ぶスパンは、日本における長スパンの鉄道・道路橋へのコンクリート橋応用の先駆けとなり、この橋は後の2008年に登録有形文化財に登録された。

旅客列車は1962年5月1日に気動車化され、1963年6月1日には勅旨駅が開業した。自動車の普及とともに路線の経営は悪化し、1968年にはいわゆる赤字83線の一つに数えられ、1981年には日本国有鉄道の分割民営化に先立つ改革のもとで、廃止対象となる特定地方交通線の第1次指定を受けた。1987年4月1日の国鉄分割民営化により路線は西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継され、1987年7月13日にはJR信楽線が廃止されると同日に第三セクターの信楽高原鐵道信楽線(14.7キロメートル)として開業した。紫香楽宮跡駅と玉桂寺前駅が新設され、この開業はJR化後初めての第三セクターへの転換となった。

1991年に信楽で開催される世界陶芸祭に備えて、単線である同線の輸送力が増強された。1991年3月16日に特殊自動閉塞化が行われ、列車交換のために貴生川 - 紫香楽宮跡間に小野谷信号場が開設されて、ダイヤは1日18往復に増発された。1991年5月14日、貴生川 - 紫香楽宮跡間の小野谷信号場付近で、信楽高原鐵道の列車と陶芸祭へ向かうJR西日本の臨時快速とが正面衝突し、42名が死亡、614名が負傷した。これは1963年の鶴見事故以来日本で最も多くの死者を出した鉄道事故であり、2005年の尼崎脱線事故までその記録は破られなかった。

調査では、事故の原因は、信楽高原鐵道がJR西日本の列車が停止したことを確認しないまま信楽の赤信号を冒進して列車を発車させたことと、JR西日本の列車を小野谷信号場の先へ進入させた連動装置の不具合とされ、両社がそれぞれ無認可で信号設備に手を加えていた。全線は運休となり、運行は1991年12月8日に再開されたが、小野谷信号場の使用は停止され、全線を1閉塞とするスタフ閉塞に戻されて、運行本数は1日14往復に削減された。両社は1999年に大津地方裁判所で過失の責任を認められ、JR西日本の控訴は2002年に大阪高等裁判所で棄却された。賠償の負担から、滋賀県と甲賀市は鉄道の経営破綻を防ぐために路線施設を保有することとなり、JR西日本は同線への直通運転を取りやめた。

2013年4月1日、同線は認定を受けた鉄道事業再構築実施計画のもとで上下分離方式へと移行した。信楽高原鐵道が列車を運行する第二種鉄道事業者となり、線路や車両を引き継いだ甲賀市が施設を保有する第三種鉄道事業者となった。2013年9月15日には台風18号により再び災難に見舞われて全線が運休し、翌16日には洪水で杣川に架かる杣川橋梁の一部が流失して、17日からバス代行輸送が始まった。列車の運行が再開されたのは、約1年2か月後の2014年11月29日のことであった。長く使われていなかった小野谷信号場は2018年度に正式に廃止され、現在は1日およそ15往復のワンマン運転の普通列車が運行され、全線の所要時間はおよそ24分である。

年表

  • 1922鉄道敷設法のもと、貴生川から加茂へ至る区間が国の鉄道建設計画(建設線)に編入される。
  • 19335月8日:国鉄信楽線として貴生川 - 信楽間(14.8 km)が開業。雲井駅・信楽駅が開業。
  • 194310月1日:不要不急線として休止され、レール・枕木が供出される。省営自動車の運行が始まる。
  • 19477月25日:運行が再開される。信楽の住民が枕木の提供や工事への奉仕を行ったとされる。
  • 19538月:集中豪雨により第一大戸川橋梁が流失し、不通となる。
  • 1954第一大戸川橋梁がプレストレストコンクリート橋として再建され(長スパンのコンクリート鉄道橋の先駆け)、運行が再開される。
  • 19625月1日:旅客列車が気動車化される。
  • 19636月1日:勅旨駅が開業する。
  • 19819月18日:特定地方交通線の第1次廃止対象に指定される(1968年に赤字83線に指定されていた)。
  • 19874月1日:国鉄分割民営化によりJR西日本に承継。7月13日:JR信楽線(14.8 km)が廃止され、同日に第三セクターの信楽高原鐵道信楽線(14.7 km)として開業。紫香楽宮跡駅・玉桂寺前駅が新設。JR化後初の第三セクター転換。
  • 19913月16日:世界陶芸祭に向けて特殊自動閉塞化され、貴生川 - 紫香楽宮跡間に小野谷信号場が開設。1日18往復に増発。
  • 19915月14日:貴生川 - 紫香楽宮跡間の小野谷信号場付近で、信楽高原鐵道の列車とJR西日本の臨時快速が正面衝突。死者42名、負傷者614名。1963年以来最悪の鉄道事故となり、全線が運休。
  • 199112月8日:運行再開。小野谷信号場の使用を停止し、全線を1閉塞とするスタフ閉塞に戻して14往復に削減。
  • 2002両社の責任が認められ(1999年大津地裁、2002年JR西日本の控訴を大阪高裁が棄却)、賠償負担から滋賀県と甲賀市が路線施設を引き受け、JR西日本は直通運転を取りやめる。
  • 20134月1日:上下分離方式へ移行。信楽高原鐵道が第二種、甲賀市が第三種鉄道事業者となる。9月15日:台風18号で全線運休、翌16日に杣川橋梁の一部が流失。17日からバス代行。
  • 201411月29日:台風被害から約1年2か月ぶりに列車運行を再開。(小野谷信号場は2018年度に正式廃止。)

出典