歴史
近鉄の路線網の多くとは異なり、この路線は近鉄の事業として始まったものではない。志摩半島の漁業や真珠養殖の沿岸を観光客に開くために建設された、小さな独立した狭軌鉄道がその起源である。1924年6月7日に鉄道免許が下付された会社が、1926年6月2日に志摩電気鉄道(志摩電気鉄道)と改称した。路線は1929年7月23日に開業し、鳥羽から賢島を経て真珠港(しんじゅこう、「真珠の港」の意)という終点まで運行された。賢島は当初の経路では途中駅であり、路線は日本の小規模な私鉄に典型的な1,067ミリメートルの狭軌で、直流750ボルトで電化されていた。
20世紀半ばを通じて、この路線は次々と経営主体を変えていった。1944年2月11日、志摩電気鉄道はほかのいくつかの地方事業者とともに三重交通(三重交通)に統合された。戦後には路線は緩やかに発展し、1949年7月25日には志摩赤崎駅が開業した。1964年2月1日には鉄道事業が新会社の三重電気鉄道(三重電気鉄道)として分離され、その会社が今度は1965年4月1日に近鉄へ合併されて、志摩半島の路線はようやく近鉄の傘下に入った。
決定的な転換は1960年代末に訪れた。1969年7月1日に貨物営業が廃止されて真珠港駅が廃止され、賢島が路線の終点となった。続いて1969年12月10日、路線は大規模な改築のため全面的に運休した。1970年3月1日に再開した際には、軌間が1,067ミリメートルの狭軌から1,435ミリメートルの標準軌へ改められ、電圧も隣接する鳥羽線に合わせて直流1,500ボルトへと倍に引き上げられていた。この日から近鉄特急が志摩線へ直通できるようになり、賢島が初めて大阪・京都・名古屋と直接結ばれた。
その後の数十年は、リゾート輸送を支えるための輸送力と速度の向上が中心となった。当初単線だった区間の多くが順次複線化され、1988年3月6日に鵜方 - 志摩神明間、1990年12月8日に志摩神明 - 賢島間、さらに1992年から1993年にかけて鳥羽 - 中之郷間や船津 - 加茂間などの諸区間が複線化された。1993年9月11日には加茂 - 五知間に新たな青峰トンネルが開通し、1993年9月21日にはトンネル経由の経路が採用されて、路線は約0.7キロメートル短縮された。
これらの改良には、より速く快適な車両が伴った。21000系「アーバンライナー」世代をはじめとする新型の特急車両が伊勢志摩方面の列車に導入され、1990年代半ばからは改良された区間で特急が最高130キロメートル毎時で運行されるようになった。普通列車のワンマン運転は2001年5月30日に始まり、ICカード乗車券も2010年代に路線全体へ順次導入された。
伊勢志摩リゾートの背骨としてのこの路線の役割は、2013年3月21日、近鉄が大阪・京都・名古屋 - 賢島間専用に製造した上質な観光特急、50000系「しまかぜ」を導入したことで一層際立った。2016年5月には、路線周辺の賢島を会場としてG7伊勢志摩サミットが開催され、その間は警備のため数日間にわたり運行が休止された。今日でも志摩線は主に観光客向けの路線であり続け、普通列車と、日本の主要都市から志摩半島の奥深くへと観光客を運ぶ直通特急とを組み合わせて運行されている。
年表
- 19246月7日:この路線を建設することになる会社(鳥羽 - 鵜方付近)に鉄道免許が下付される。
- 19266月2日:会社が志摩電気鉄道と改称する。
- 19297月23日:鳥羽から賢島を経て真珠港までが、1,067mm狭軌・直流750V電化で開業。
- 19442月11日:志摩電気鉄道が、他の地方事業者とともに三重交通に統合される。
- 19497月25日:志摩赤崎駅が開業する。
- 19642月1日:鉄道事業が新会社の三重電気鉄道として分離される。
- 19654月1日:三重電気鉄道が近鉄に合併され、路線が近鉄の路線網に入る。
- 19697月1日:貨物営業が廃止され真珠港駅が廃止。賢島が路線の終点となる。
- 196912月10日:改軌・近代化工事のため路線が全面運休する。
- 19703月1日:1,435mm標準軌に改軌し電圧を直流1,500Vに引き上げて再開。鳥羽線との直通運転が始まり、賢島が大阪・京都・名古屋と結ばれる。
- 19883月6日:鵜方 - 志摩神明間が複線化され、長期にわたる複線化が始まる。
- 19939月11日:加茂 - 五知間に青峰トンネルが開通。9月21日にトンネル経由へ経路を切り替え、路線が約0.7km短縮される。
- 20015月30日:普通列車のワンマン運転が始まる。
- 20133月21日:観光特急50000系「しまかぜ」が運行を開始し、大阪・京都・名古屋から賢島まで運行される。
出典
事実確認日:2026年6月14日