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新京成線

Keisei Matsudo Line

京成松戸線(けいせいまつどせん)は、2025年までは「新京成線」と呼ばれていた、千葉県を走る営業キロ26.5キロメートルの郊外鉄道で、京成電鉄が保有・運営している。松戸市の松戸駅と習志野市の京成津田沼駅とを結び、県の北西部と中央部をつないでいる。軌間は1,435ミリメートルの標準軌で、直流1,500ボルトの架空電車線方式により電化され、24の駅を有する。この路線は際立って蛇行した線形で知られ、両端の駅は直線距離にすれば約16キロメートルしか離れていないのに、その間の道程は26.5キロメートルに及ぶ。これは、軍の演習線という異例の出自から直接受け継いだ蛇行である。

千葉市川市5 km
新京成線の路線図 · 境界: 国土数値情報(国交省)・GSI

歴史

路線の大半は、旧日本陸軍の鉄道連隊が兵士に線路敷設を訓練させるための演習線(鉄道連隊演習線・松戸線)として敷設した軌道敷を踏襲している。新兵にさまざまな状況下で作業させるため、また規定の演習用線路延長(約45キロメートル)を限られた範囲に収めるため、陸軍はこの線をわざと急曲線が多く、わざと屈曲した線形で建設した。そのため、旅客線として開業する際に可能な限り直線化を図ったものの、線形は今なお良好とは言いがたい。終戦で日本が降伏すると鉄道連隊は解散し、そのレールは西武鉄道に払い下げられたが、軌道敷そのものは残されていたため、西武鉄道と京成電鉄の両社は早くからその再利用に着目した。

両社は鉄道連隊の旧軍人を入社させ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対し、この経路への鉄道敷設の使用許可を働きかけた。営業基盤を千葉県内に持つ京成電鉄が陳情合戦を制し、1946年3月に軌道敷の使用が認可された(正式な払い下げは1955年)。同年10月、京成電鉄は子会社として新京成電鉄を設立し、路線の建設・運営にあたらせた。1947年1月に始まった工事は、新たな資材の入手がほとんど困難であったため、県外まで足を延ばして規格の異なる古資材をかき集めて行われた。開業直前にはGHQが旧軍用線の復活を懸念して一時は開業が危ぶまれたが、新京成電鉄幹部の説得を経て、1947年12月27日に予定どおり「新京成線」として、新津田沼駅(初代)~薬園台駅間の2.5キロメートルが軌間1,067ミリメートルで開業した。

陸軍の演習線は600ミリメートルという極端に狭い軌間で建設されていたが、京成電鉄への払い下げに際して1,067ミリメートルへ改軌された。当時の地方鉄道法では軌間を1,067メートルとし、特別の場合に限り1,435メートルまたは0.762メートルを認めると定めていて、親会社である京成電鉄の1,372ミリメートル軌間は許可されなかったためである。その後、路線は新津田沼側から外へ向けて延伸し、1948年に薬園台~滝不動間が開業、1949年10月までに鎌ヶ谷大仏、さらに鎌ヶ谷初富(現在の初富)に達した。建設資金が不足したため、同社は一時、常磐線の松戸駅までの全通を諦めて初富~松戸間にバスを運行したが、沿線の船橋市にあった日本建鐵工業を傘下に収めた三菱電機の支援を受けて工事を再開し、松戸駅まで線路を通した。

松戸~上本郷間は、路線の他の区間と異なり旧軍用線ではなく全くの新線であったため、台地を切り崩す工事が行われた。1955年4月21日に初富~松戸間が開業して新京成線は単線として全線が完成し、京成千葉線への直通運転が始まった(同年9月に廃止)。軌間はその後、親会社の方式に合わせてさらに二度変更され、1953年10月20日に1,372ミリメートルへ、1959年8月18日に1,435ミリメートルへ改軌された。いずれも京成電鉄自身の改軌より早く、親会社の改軌の予行演習も兼ねていたと推察されている。

1960年代以降、乗客の急増に伴って路線は順次複線化された。陸軍の軌道敷の大半が複線分の幅を備えていたため工事は比較的順調に進み、1975年2月までに新津田沼~京成津田沼間を除く全線が複線化された。最高速度は、33年ぶりとなる1988年に75キロメートル毎時へ引き上げられ、1996年にはさらに85キロメートル毎時へ向上した。隣接路線への直通運転も行われ、また再開された。北総・公団線との相互直通運転は1979年から行われたのち1992年に廃止され、京成千葉線への片乗り入れは2006年12月に再開された。かつては松戸からさらに東京方面の柴又・国府台へ延伸する計画もあり、免許を取得して用地買収まで行われたが、地元の反対や競合する計画のために頓挫し、免許は1971年頃に失効した。

この路線の近年の変容は、企業の統合によってもたらされた。2023年10月31日、親会社の京成電鉄は、この路線を保有する新京成電鉄を、2025年4月1日付で簡易合併方式により吸収合併すると発表し、路線・駅・従業員の雇用、そして運賃体系をいずれも維持する方針を示した。2025年4月1日に合併が発効し、新京成電鉄は京成電鉄に吸収され、路線名は京成松戸線へと改称され、駅ナンバリングも新津田沼側からKS-66~KS-88へと振り直された。運賃やダイヤの変更は行われなかった。京成電鉄は終点となる駅名や地名を基準に路線名を定めていることから路線名の公募は行われず、また路線の起終点の向きも逆転して、京成津田沼駅が起点、松戸駅が終点となった。

年表

  • 19463月:京成電鉄がGHQから旧陸軍鉄道連隊の軌道敷の使用を認可される(正式な払い下げは1955年)。10月:京成電鉄が子会社・新京成電鉄を設立し、路線の建設・運営にあたらせる。
  • 194712月27日:「新京成線」として新津田沼駅(初代)~薬園台駅間2.5kmが軌間1,067mmで開業。工事は同年1月に古資材をかき集めて開始されていた。
  • 19488月26日:薬園台駅~滝不動駅間(4.1km)が開業。
  • 19491月8日:滝不動駅~鎌ヶ谷大仏駅間(3.1km)が開業。10月7日:鎌ヶ谷大仏駅~鎌ヶ谷初富駅(現・初富駅)間(2.1km)が開業し、薬園台~鎌ヶ谷初富間が全通。
  • 195310月20日:全線を1,067mmから1,372mmへ改軌し、京成津田沼駅へ乗り入れ開始。11月1日:京成津田沼駅~新津田沼駅(二代目)~前原駅間(2.3km)が開業。
  • 19554月21日:初富駅~松戸駅間(13.3km)が開業し、新京成線が単線として全線開業。京成千葉線への直通運転を開始(同年9月に廃止)。松戸~上本郷間は旧軍用線ではなく全くの新線であった。
  • 19598月18日:全線を1,372mmから1,435mmへ再度改軌し、京成電鉄の標準軌に合わせる。親会社の改軌より早かった。
  • 19685月14日:新津田沼駅(四代目)が現在地に移転し、京成津田沼駅~新津田沼駅(四代目)間(移転分を含め1.5km)が開業。京成津田沼駅~藤崎台駅~前原駅間(2.3km)を廃止。
  • 19752月7日:鎌ヶ谷大仏駅~くぬぎ山駅間が複線化され、京成津田沼駅~新津田沼駅間を除く全線が複線化。
  • 19793月9日:北総開発鉄道線(当時)との相互直通運転を開始。
  • 19927月8日:新鎌ヶ谷駅が開業。北総・公団線(当時)との相互直通運転を廃止。
  • 19964月1日:最高速度を75km/hから85km/hへ向上させ、松戸~京成津田沼間の所要時分を短縮、日中の運転間隔を10分間隔とする。
  • 200612月10日:京成千葉線への片乗り入れを再開。
  • 20254月1日:京成電鉄が新京成電鉄を簡易合併方式で吸収合併(2023年10月31日発表)。新京成線は京成松戸線へ改称され、駅番号は新津田沼側からKS-66~KS-88へ振り直された。運賃・ダイヤの変更はなし。

出典